ブルックナー:交響曲第3番「ワーグナー」

A performance of Anton Bruckner's Symphony No. 3 in D minor, WAB 103, filmed at the Royal Albert Hall in London on November 25th, 2016. This is a very moving and emotional piece of music, perfect for a tear-jerker movie scene or a intimate performance.

00:00 I. Sehr langsam, misterioso
18:00 II. Adagio. Bewegt, quasi andante
30:35 III. Scherzo. Ziemlich schnell - Trio. Gleiches Tempo
37:40 IV. Finale. Allegro

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 
バイエルン国立歌劇場管弦楽団 
1954年10月11日録音

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アントン・ブルックナーの交響曲第3番ニ短調は、1873年に最初の稿が完成された交響曲であり、彼が番号を与えた3番目の交響曲にあたる。リヒャルト・ワーグナーに献呈されたことに由来する「ワーグナー」という愛称も付けられている。

作曲の経緯
1872年に着手し、1873年に初稿(第1稿または1873年稿)が完成した。

初稿執筆の最中の1873年、ブルックナーはリヒャルト・ワーグナーに面会し、この第3交響曲の初稿(終楽章が未完成の状態の草稿)と、前作交響曲第2番の両方の総譜を見せ、どちらかを献呈したいと申し出た。ワーグナーは第3交響曲の方に興味を示し、献呈を受け入れた。

この初稿により1875年、ヘルベック指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演が計画されたが、リハーサルでオーケストラが「演奏不可能」と判断し、初演は見送られた。

1876年(交響曲第5番作曲の時期)、ブルックナーはこの曲の大幅改訂を試み、1877年に完成した(第2稿、または1877年稿)。

同じ1877年、ブルックナー自身がウィーン・フィルを指揮して、この曲は初演された。もっともこの初演は、オーケストラ奏者も聴衆もこの曲に理解を示さず、ブルックナーが指揮に不慣れであったことも手伝い、演奏会終了時にほとんど客が残っていなかったという逸話を残している。とはいえ、残っていた数少ない客の中には、曲の初演準備のために2台ピアノへの編曲作業を手伝った、若き日のグスタフ・マーラーもあった。この初演の失敗により、ブルックナーはその後約1年間、作曲活動から遠ざかった。

1878年、この曲が出版されることとなり、それにあわせて一部修正を行った。

1888年、再度この曲は大幅改訂され、1889年に完成した(第3稿、または1889年稿)。交響曲第8番の改訂と同じ時期である。この稿は1890年に、ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルによって初演された。この第3稿での初演は成功を収めた。

日本初演は1962年5月23日ハンス・カウフマン指揮の京都市交響楽団により、京都会館にて。

曲の愛称
ワーグナーに献呈されたことから「ワーグナー」の愛称も付けられている。この曲の初稿をワーグナーに献呈する際、ブルックナーは表紙に「ワーグナー」の文字を華やかな金泥色で記すよう指示した。印刷された表紙は、ワーグナーの文字の方がブルックナーよりもずっと大きい。

ワーグナーの対応
1873年8月31日、ブルックナーはこの作品と旧作の第2交響曲の楽譜を持ってバイロイトのワーグナー宅を訪問している。風采の上がらないブルックナーを見て、ワーグナー夫人のコジマは、物乞いと勘違いしたという。ワーグナーはバイロイト祝祭劇場建設のプロジェクトに忙しく、献呈に興味を示さずほとんど門前払いの形でブルックナーを帰らせたが、後で楽譜を見て感動し、劇場建築現場にたたずんでいたブルックナーを連れ戻して抱きしめ、「私はベートーヴェンに到達する者をただ一人知っている。ブルックナー君だよ。」と称賛した。

献呈を快諾された晩、ワーグナー夫妻とブルックナーは2時間半程歓談したという記録が遺されている。その際、ワーグナーがしきりにビールを勧めたため、ブルックナーはすっかり酔ってしまい、翌朝ブルックナーは、ワーグナーがどちらの交響曲の献呈を受け入れてくれたのかすっかり忘れていた。同席していた彫刻家キースに尋ねるとニ短調の交響曲についての話でトランペットが話題になっていたという。そこで、念のためにとホテルに備付けられた便箋に、「トランペットで主題が始まるニ短調交響曲(の方でしょうか)。A・ブルックナー Symfonie in D moll, wo die Trompette das Thema beginnt. A. Bruckner mp.」と書いてワーグナーに送ったところ、同じ紙に書き添えて「そうです! そうです! 敬具。リヒャルト・ワーグナー Ja! Ja! Herzlichen Gruss! Richard Wagner」との返事があった。

この時ブルックナーが使用した便箋によると、宿泊していたホテルは「金の碇 Zum goldenen Anker Bayreuth」というもので、2020年現在も4つ星ホテルとして営業している。ワーグナーの家であるヴァーンフリート荘とも程近く、逆にバイロイト祝祭劇場へは少し距離がある。

演奏時間
初稿が約70分、第2稿が約60分、第3稿が約55分(各21分、14分、7分、13分)である。 [5]

楽曲の構成
第1楽章
適度に、神秘的に(第1稿)
適度に、より動きをもって、神秘的に(第2稿)
遅めに、神秘的に(第3稿)
ニ短調 2/2拍子 ソナタ形式

弦の下降する音型を背景にトランペットによって第一主題の旋律がでてくるが、こうした明確な二元的音響構成は、ニ短調交響曲(《無効》)の手痛い経験からともいえよう。経過句に入り少しずつ膨らんで行き、頂点部分で特徴的な旋律を力強く演奏しフェルマータで休止する。曲は静まり主題を確保後、経過句もほぼ同様に繰り返す。再度静かになると第二主題の登場となる。 第二主題は3+2、および2+3のブルックナーリズムによって対位法的に構成される。この主題は少しずつ変化しながら展開され、主題冒頭の動機を使って高揚するとクライマックスを築く。 第三主題が金管で提示される。第三主題も同じリズムを用いエコーの効果を示しながら進んでいく。提示部の終わりにはミサ曲第1番ニ短調のグローリアのなかのミゼレーレの部分が奏され、宗教的イメージとの関連をうかがわせる。 展開部の初めは第一主題の反行形が木管で演奏され、短い応答部分を経ると次第に曲が大きく発展し、第一主題を使ってクラマックスを築く。展開部の終わりにはワーグナーのトリスタンやワルキューレからの引用と思われる楽句が初稿ではおかれていたが次の稿ではもうその部分は削除されている。展開部から再現部へ移行する際に木管に交響曲第2番第一楽章の第一主題が現れる。再現部はかたどおりである。 コーダにはベートーヴェンの交響曲第9番からの影響と思われる、オスティナート・バスによる形成が見られる。

尚、1稿は全体的に経過部分が長くなっており、終結部も異なる。また、2稿と3稿では展開部や終結部に大きな違いがる。

第2楽章
アダージョ、荘重に(第1稿)
アンダンテ、動きをもって、荘重に、クワジ・アダージョ(第2稿)
アダージョ、動きをもって、クワジ・アンダンテ(第3稿)
変ホ長調 4/4拍子 A-B-C-B-Aの形式

第1主題(A)は美しく更に内面的な旋律で、第2主題(B)はヴィオラが奏でる。中間部(C)は神秘的にと書かれた楽想で、第1主題の再現で頂点となる。ここでの管弦楽法はワーグナーの影響が反映されている。コーダも美しい音楽で、その頂点のあとには『ワルキューレ』の眠りの動機が引用されている。

第3楽章
スケルツォ かなり急速に ニ短調 トリオ:同じテンポで イ長調 3/4拍子

何かを問いかけるようなヴァイオリンの旋回モチーフと、それに応じる低弦のピッツィカートとが交互に現れて序奏を形成し、最強音で主題が開始される。中間部には六度の下降を特徴とする歌謡的な楽句が現れるがその軽やかなワルツ的な伴奏は、トリオを予告しているといえよう。トリオはピッツィカートをおりまぜたワルツの雰囲気の濃い曲である。細部において1稿、2稿、3稿ともそれぞれ異なる。尚、2稿のみダカーポ後にコーダへ移行する。

第4楽章
アレグロ ニ短調~ニ長調 2/2拍子 自由なソナタ形式

第1稿、第2稿では展開部と再現部とが分かれているが、第3稿ではブルックナーが晩年に用いた、展開部と再現部が合体した形をとっていて、再現部は第2主題から始まる。コーダの最後には第1楽章の冒頭主題がニ長調で大きく鳴らされて全曲をしめくくる。ただし、第1稿ではこの部分はなく、その2小節前で終わってしまうので、この終わり方に聴きなれた聴衆からすると何とも中途半端に聞こえてしまうのはやむをえまい。
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