サティ:ピアノ曲集Ⅰ(compositions by Erik Satie)

In this video, I'msharing Erik Satie's three piano compositions: the Gymnopedies, the Trois Gnossiennes, and the Trois Nocturnes.

Erik Satie is one of the most well-known and widely-loved classical composers of the 20th century. His compositions are cerebral and stylish, and they can be difficult to play - but that's part of their appeal! If you're interested in learning more about Erik Satie and his music, this video is a great place to start.

Trois Gymnopedies:3つのジムノペディ
00:00 1.Lent et douloureux
03:01 2.Lent et triste
05:36 3.Lent et grave

(P)チッコリーニ
1956年2月22日
29日&3月1日録音

Trois Gnossiennes :3つのグノシェンヌ
07:56 1.Lent
11:18 2.Avec etonnement
13:05 3.Lent

(P)チッコリーニ 
1956年2月22日,29日&3月1日録音

Trois Nocturnes:3つの夜想曲
15:38 1.Doux et calme
18:12 2.Simplement
19:51 3.Un peu mouvemente

(P)チッコリーニ
1956年2月22日、29日&3月1日録音

ジムノペディ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『ジムノペディ』 (Gymnopédies) は、エリック・サティが1888年に作曲したピアノ独奏曲。

第1番から第3番までの3曲で構成され、それぞれに指示があり、

第1番「ゆっくりと苦しみをもって」 (Lent et douloureux)
第2番「ゆっくりと悲しさをこめて」 (Lent et triste)
第3番「ゆっくりと厳粛に」 (Lent et grave)
となっている。

解説
3/4拍子のゆったりとしたテンポ、装飾を排した簡素な曲調、独特の愁いを帯びた旋律が特徴として挙げられ、特に第1番がサティの代表的な作品として、タイトルとともに知られるようになった。『ジムノペディ』という名称は、大勢の青少年が古代ギリシアのアポロンやバッカスなどの神々をたたえる祭典「ギュムノパイディア(英語版)」(古代ギリシア語: Γυμνοπαιδίαι)[1]に由来しており、サティはこの祭りの様子を描いた古代の壺を見て曲想を得たといわれる。また、一説には彼が愛読してやまなかったギュスターヴ・フローベールの小説『サランボー』からインスピレーションを得て作曲したとも言われている[2]。

あまり表舞台に出たがらないサティのために、友人であったクロード・ドビュッシーによって1897年に、ピアノ曲からより大きな規模による演奏形態である管弦楽曲に編曲された(第1番と第3番)。「なぜ第2番を編曲しなかったのか?」という問いに、ドビュッシーは「第2番まで編曲して聞かせるには少し退屈だから」と答えたといわれる。また編曲の際、ドビュッシーの意図により元の第1番は第3番として、第3番は第1番として番号をひっくり返している。

日本での普及
日本では、戦前に早坂文雄と共にサティ作品の演奏・紹介に努めていた伊福部昭が、1951年に著した『音楽入門―音楽鑑賞の立場』において「人類が生みえたことを神に誇ってもよいほどの傑作」と絶賛していたが、当時は曲自体ほとんど知られることはなかった。

1963年公開のフランス映画『鬼火』(ルイ・マル監督、モーリス・ロネ主演)がこの曲をフィーチャーしたことにより、一躍世界的に知られるようになった。その後、1975年に東京都豊島区池袋に開館した西武美術館において、それまでタブーとされていた美術館内での環境音楽として使用され、日本でもこの曲が広く知られるようになった。

この曲には気分を落ち着かせるヒーリング効果もあるとされ、例えば病院における血圧測定中に心身の緊張をほぐすBGMとして流されたり、精神科などでは音楽療法の治療の一環として使用されることもある。また、演劇やTV番組の静かな場面でのBGMとして流されることも多い。

グノシエンヌ

『グノシエンヌ』(Gnossiennes)は、エリック・サティが1889年から1891年と1897年に作曲したピアノ曲。サティが24歳の時に作曲した第1番から第3番の3曲は「3つのグノシエンヌ」として有名である。

概要
題名は、従来は古代ギリシアのクレタ島にあった古都クノーシスに由来するというのが定説だった。しかし、グノーシス派に由来したサティによる造語であると説明する人もいる。

サティが生前に「グノシエンヌ」の題名で発表したのは、「3つのグノシエンヌ」(グノシエンヌ第1番、第2番、第3番)の3曲のみである。サティの死後、他に3曲が発見され「グノシエンヌ」の題名で出版されたが、自筆譜に「グノシエンヌ」の題名が書かれていたわけではなく、作曲時期や曲の傾向から「グノシエンヌ」と勝手に命名されたにすぎない。

古代ギリシャの詩の脚韻を踏んだリズムが伴奏部に使われている。[要出典]

「3つのグノシエンヌ」には、プーランクによるオーケストラ編曲版(1946年編曲)が存在する。

曲の特徴

『ジムノペディ』よりも東洋的な雰囲気は、1889年のパリ万国博覧会で民族舞踊合唱団を通じて知ったルーマニア音楽の影響だと言われている。「思考の端末で」「うぬぼれずに」「頭を開いて」等、この曲の演奏者への助言として付された奇妙な注意書きがある。

第1番
1890年作曲。拍子記号も小節線もなく、音楽と時間に対するサティの自由な思考が窺える。「思考の隅で…あなた自身を頼りに…舌にのせて」などと書き込まれている。

第2番
1890年作曲。第1番と同様に小節線を持たず、バスの一定の音形の上にのびやかな旋律が歌われる。楽譜には「外出するな…驕りたかぶるな」といった注意書きがみられる。

第3番
1890年作曲。増2度が多用された旋律が、東洋風の響きを醸しだしている。「先見の明をもって…窪みを生じるように…ひどくまごついて…頭を開いて」といった書き込みが暗示的。

第4番
1891年1月22日の日付が自筆譜に書かれている[3]。冒頭に「ゆっくりと」の指示がある。他の「グノシエンヌ」とは異なり、左手はアルペジオによる伴奏である。サティの死後発見され、ロベール・キャビー(英語版)の手で1968年にサラベール社から出版された。

第5番
自筆譜に1889年7月8日の日付が書かれている。6曲の中で最も早期の作品。「モデレ」(中庸の速度で)の指定があり、 他の「グノシエンヌ」と異なりこの曲にのみ小節線が書かれている。作曲時期に開催されていた、1889年のパリ万国博覧会でジャワのガムラン音楽とルーマニアやハンガリーの音楽から霊感を受けて作曲されたと言われている。サティの死後発見され、ロベール・キャビー(英語版)の手で1968年にサラベール社から出版された。自筆譜の裏には、サティが採譜したとみられる「ハンガリーの歌」が写譜されている。

第6番
1897年1月作曲[注 2]。サティの死後発見され、1968年にサラベール社からキャビーの手で出版された。この曲のみ、他のグノシエンヌとは曲想が明らかに異なり、むしろ『逃げ出させる歌』や『ひねくれた踊り』によく似ている。他の5曲と同様、反復されるリズムに乗って詩情あふれる旋律がたゆたうように歌われる。

5つの夜想曲
「5つの夜想曲」という作品は、「3つの夜想曲」と「第4と第5の夜想曲」の計5曲からなる。『5つの夜想曲』は、1919年にエリック・サティが作曲した夜想曲。

第1曲 やさしく、しずかに(Doux Et Calme)
第2曲 単純に(Simplement)
第3曲 やや動きをもって(Un Peu Mouvementé)
第4曲 神秘的にやさしく(Mystérieux Et Tendre)
第5曲
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