カリールジブランの『預言者』~自分の能力からパートナーを見つめる事

 アメブロの2019年10月12日の記事と重複します。

 人間は全知全能ではないから人間だと思いつつも、現実を見つめると悲しさと情けなさがこみあげる事が多々あります。

 私は小さい頃からコンプレックスのかたまりで、まるでギリシャ神話のドラゴンヘッドのように、どこまでいっても足りない足りないの連続でした。


 もうここ2年くらいの事ですが、パートナーとの様々な格差を感じ、自己嫌悪に陥る人の気持ちが身にしみて理解できるようになりました。本来、人は人、自分は自分でそれぞれの人生を生きていて、たまたま近くのレールを走っている人がいたにすぎないのです。しかし、あらゆる現実をつきつけられると、先天運の格差をもってしても悲しいものがあります。

 相手も決して全知全能でないと理解しているのですが。自分もあの人よりできる事がこの世にあるのだろうか?いったい、役に立てる事はあるのだろうか?と、2人で会う機会があり、おひらきになった後の帰り道では毎回思います。冷静に考えれば、おそらく私にもできる事があり、その中には相手が苦手な事や取り組んだ事のない領域・知らない世界もあるはずです。

 美輪さんがおっしゃった「人間関係は腹6分よ」ではないですが、ほどよい距離を保って、同じ土俵に立たず、主従関係にならない事がうまくいく秘訣のような気がします。そういった問いには、カリールジブランの『預言者』がぴったりなんでしょうね。

 「結婚について」35ページ(カリール・ジブラン著、船井幸雄訳『預言者』35~36ページ、成甲書房、2009年)

「夫婦は共に生まれ、いつまでも共にいます。

たとえ死の白い翼が、ふたりの日々を散り散りにしようとも。

そう、神の沈黙の記憶のなかでさえ、あなたがたはいつも一緒なのです。

しかしそんなふたりの間にも空間は必要です。そこから天からの風を舞い遊ばせなさい。

愛し合いなさい。ただし、それが束縛になってはいけません。

ふたりの魂の岸辺の間を、愛が自由な波のように行き来できるように。

たがいの杯を満たし合いなさい。同じひとつの杯から飲むのではありません。

たがいにパンを分かち合いなさい。同じひとつの魂から食べないように。

共に歌い、共に踊って、楽しみなさい。

しかしお互いに独立していることも大切です。

ちょうどリュートの弦が、それぞれ一本ずつ張られていながら、一緒に震えてひとつの曲を奏でるように。

心を捧げ合いなさい。ただし、相手に委ねきってしまわないように。あなたの心をしっかりと包み込んでいられるのは、生命の手だけなのですから。共に立っていなさい。ただし、近づきすぎてはいけません。

神殿の柱はそれぞれ離れて立っていてこそのもの。

樫の木や杉の木も、たがいに影のなかでは育たないのですから。」

 どんなに仲が良くても別の人間です。これは夫婦・パートナーだけでなく、親子や兄弟でも同じ事が言えます。この世に同じ人間は1人としておらず、だから個としての価値があるのだと思います。


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