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柳原良平主義〜RyoheIZM 41〜

 漫画家としての柳原良平


柳原良平は一時、漫画家だった。本人としては、まったくその気がなかったにもかかわらず。

きっかけはアンクル

1958年、アンクルトリスがテレビCMに登場。中年サラリーマンが仕事帰りにバーに寄り、または家に帰って、グラスを傾けつつリラックスするという庶民の日常を描いたこのCMは、その2頭身半のプロポーションとコミカルな動きで、当時の大衆から圧倒的な支持を受け、毎日産業デザイン賞を受賞する。

大メディアからのオファー

その現象を見逃さなかったのが朝日新聞だった。硬派な新聞記事の中に、ホッと一息つくスペースを設けるために漫画を載せるというのは、新聞編集の常套句。何年も前(1951年)から当の朝日新聞の朝刊には、長谷川町子の4コマ漫画『サザエさん』が、夕刊には根本進の『クリちゃん』が連載されていた。そこに割って入るのだから大変だ。

週一回(日曜版)の連載だったが、柳原は朝日という大新聞に掲載されるとあって大いにやる気になった。だが柳原はアンクルトリスのCMで、アニメーションの経験こそあれ漫画の経験など皆無。第一ネタをどうやって捻り出してくればいいのか? 心配になった柳原は一考を案じた。

影武者の存在

それはネタを提供してくれるブレーンを付けること。周囲を見ると、うってつけなブレーンがいる。そう、サントリー宣伝部(〜サン・アド時代)の開高健、山口瞳、酒井睦雄の3人だ。

結局、このチームを入れて名義は”柳原良平+α(プラスアルファ)”ということにした。ギャラは柳原と折半で、その週のアイディアを出した者が半分もらうという、民主主義というか実力主義のルールを敷いて1959年、いよいよ連載が始まった。

連載開始!

アンクルトリスを生み出した”柳原良平+α”が生み出したキャラクターは『ピカロじいさん』というハゲ頭の意地悪ジジイだった。あちこちで意地悪魂を炸裂させ、周囲からひんしゅくを買うという役回りの、今ふうに言う老害の当事者を主人公に設定した。

”ピカロ”というネーミングがどこから来たのかについての記述は発見できなかったが、勝手にピカソとミロの合体ではないかと思っている。ハゲ上がった頭にヒゲを生やしているものの、着ているシャツがボーダーだったりと、ちょっとモダンだからだ。ヒゲにしたって、ダリほどではないものの、細くてカールしたそれは、ちょっとキザだ。

と書いていたら、どうやらこのネーミングは朝日新聞がつけたもので、ピカロとはスペイン語で”悪漢”という意味だということが判明。朝日新聞の中に連載の予告記事(1959年8月9日)があり、そこに記述があることを後で教えてもらった。

+α(プラスアルファ)の威力

漫画が大好きという開高健のアイディアは、ぶっ飛んでいた。山口瞳も数多くのアイディアを提供した。だが二人のアイディアは、柳原に言わせると漫画になりにくかったというから面白い。開高健のアイディアはぶっ飛び過ぎて朝日新聞から却下され、山口のアイディアはセリフが長過ぎた。

二人とも、のちに文学賞を取る著名な作家となるが、柳原にとっては漫画にうまくハマらなかったとのことで、最も貢献したのは酒井だったらしい。そして『ピカロじいさん』は翌1960年に幕を閉じた。

そして、ひとりで

だが柳原の漫画家生活は終わらなかった。今度は読売新聞の夕刊に、しかも毎日連載という大きな仕事が舞い込んだのだ。そして1962年に始まった『今日も一日』は約5年にもわたって続いた。しかも、しばらくして名義は”柳原良平”のみとなり”+α”が消えた。絵もアイディアも自分で、というスタイルで連載を続けた柳原。ついに自他共に認める漫画家になった。

続けられたコツ

ところで、毎日連載するなど狂気の沙汰だと思った。しかも柳原の場合、サントリーの仕事もやりながら、である。こちらなど週に一度のこのコラムでさえ、たまに休んだり遅れたりする体たらくなものだから、そう思うのも無理はない。それにしても柳原は、どうしてこんなことがやれたのか?

毎日の連載となると、どこに行って何を見ても、どんな状況で誰に会っても、漫画のことが頭から離れなくなるらしい。犬も歩けば棒に当たるというやつで、毎日、何かを思いつくとメモするという毎日だったそうだ。

最終的に

毎日の連載でも最初は、休みを取るなら描きためておけばいいと、やってはみたものの、ほとんど休みは取れなかったそうだ。結局、毎日コツコツやるのがいちばん効率がいいということに思い至ったという。やはり毎日の(頭の)訓練と積み重ねが物を言うのだ。

なるほどなあ、と思った。大新聞を舞台にして責任を負い続けると、そんな境地に至るのかもしれない。柳原を見習って、このコラムも、いや、やっぱりそれは無理。(以下、次号)


※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。                                                                                                               

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