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柳原良平主義〜RyoheIZM 24〜

海洋画家としての柳原良平


孤高の海洋画家

海洋画家と呼ばれる、船や海、港を専門に描く画家がいる。高橋健一、飯塚羚児、亀山和明や野上隼夫、世界に目を向けるとイヴァン・アイヴァゾフスキーやウィリアム・ターナーなどなど、その数は多い。

柳原良平も当然そのひとりに数えられていると思ったのだが、彼のことを純粋な海洋画家と呼ぶ記述には出会ったことがない(他の海洋画家との比較はあったが)。

船以外でも有名

もちろん、アンクルトリスをはじめ海事関連以外の作品も数多いこともあるかもしれないし、漫画やアニメーション、デザイン、装丁など、画家のそれとはジャンルの異なる作品を量産していたからかもしれない。

しかし、だからといって柳原の船への思いが他の画家たちと比べて劣るとは思えない。船名はもとより船の種類や構造に至るまで知り尽くし(前出の野上隼夫は船舶の設計者出身だが)、しかも生み出した作品が広く老若男女に受け入れられていることを思えば、海洋画家の中でもトップクラスのメジャーアーティストと呼ばれてもおかしくはない。

それなのに海洋画家と呼ばれないのはなぜか。それはたぶん、他の海洋作家たちのなかにあって、存在が異質だからだろう。

多過ぎる引き出し

まず、ほとんどの画家によるほとんどの作品が油絵であることが挙げられる。柳原は、ペン画に水彩画、シルクスクリーン、リトグラフに切り絵と、あらゆる手法で作品を制作している(もちろん油絵も多数ある)。

次に、海洋画家の描く絵のほとんどが写実的なタッチによるものであることも要因のひとつ。ご承知のとおり柳原の作品は大胆なデフォルメとマンガチックな人物が大きな特徴になっている。

すぐ柳原作品とわかる

また、そうしたタッチによる柳原の作品を知っている人たちは、柳原が描いた写実的な油絵に対しても、ある種の脚色性を見出している。それは圧縮などのデフォルメの加減だったり、発色の鮮やかさだったりするわけだが。

だから柳原の作品を広く知れば知るほど、写実的なタッチの油絵であっても、それが柳原の作品であることがすぐわかるという。つまり異質というよりオリジナリティが強烈だから、海洋画家という既存の枠組みに入れづらいのではなかろうか。

画家から見た評価は?

例えとして適切かどうかわからないが、油絵が音楽ジャンルにおけるクラシックだったとすると、柳原の作品はクラシックのみならず、ポップスやジャズ、ロック、歌謡曲など、あらゆるジャンルにわたって作品を残していることになる(演歌はなさそう気がするが)。

今は変わってきているものの以前の音楽業界においては、クラシックの音楽家がポップスのアーティストを下に見ることは普通だった。だとするなら油絵を描く他の海洋画家は柳原を下に見ていたのだろうか。

そういう画家もいたかもしれないが、多くの画家は柳原を評価しリスペクトしていたのではないかと思う。と、アートの素人が”思う”などと書いても説得力は皆無だが、根拠がないわけでもない。

唯一無二の個性

それは簡単に言うと、柳原のような作品は誰にも描けないからだ。あんなデフォルメは誰にもできないし、リトグラフや切り絵など、マルチな手法で作品を展開できるのも柳原だけだろう。

船の本質をつかんだうえで施す大胆なデフォルメは、柳原の面目躍如たる所以であり、唯一無二のものと言える。デフォルメについて、帝京大学名誉教授・岡部昌幸氏は、こう説明する。

「フランス語で”フォルム”が動詞になると”フォルメ”。それを否定する”デ”がついて”デフォルメ”になる。つまり形を崩すわけです。日本だとデフォルメっていうと個性を強調するというふうに考えられてますけど、語源的にはちょっと違う。本来は部分強調ではなくて形を破壊するんです。ピカソもそうでしょ?」

柳原流デフォルメ

その上で柳原特有のデフォルメには、具体的にどんな特徴があるのか訊ねてみた。

「規則性を崩すってのもデフォルメだけど、柳原さんの場合、デフォルメに規則性があるんですよ。でないと船に品格なんて出ませんから。枠組み、つまりグリッドシステムを意識してると思いますよ。柳原さんの美しい平行線は、水平、垂直など画面全体のバランスやリズムなどを大切にしています。グラフィックデザインの基本中の基本がマスターされていますね」

柳原はもともとデザイナー出身だ。そうしたデフォルメ感覚は、デザインの仕事で培われた素養がセンスとなって現れたものだろう。

「それで、絵にしたってイラストっぽく描くことで、大衆の心をつかむことができると柳原さんは感じたんでしょうね。マンガみたいにペン画で描いたって、芯を捉えることはできるんです」

広告デザイナーという出自

どうすれば大衆の心をつかめるのか? そのセンスを日夜磨いているのが広告会社で活躍する人々だ。柳原が広告出身であったことは周知の事実だから、広告出身のデザイナーであったことは、柳原の個性を考える上で大きい要素なのかもしれない。

なんだか当たり前のことを、くどくどと書き過ぎたかもしれないし、異論反論で炎上するかもしれない。今回は個人的な思いを書き過ぎた。反省はしないが。(以下、次号)


※編注
「船キチ」という表現は「尋常ではない船マニア」といったニュアンスを表しています。柳原良平が自著の中で、主に自身に対して頻繁に使用している表現ですが、そこに差別や侮蔑の意図はまったく感じられません。従って本コラムでは、他の言葉に置き換えず、あえて「船キチ」という単語をそのまま使用しています。                               

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ご協力いただいた方々

●岡部昌幸(おかべ・まさゆき)  1957年、横浜生まれ。少年期より地元横浜の美術と港・船の文化、歴史に関心を持つ。1984年、横浜市美術館の準備室に学芸員として勤務し、地域文化のサロンを通じて柳原良平と交遊。1992年、帝京大学文学部史学科専任講師(美術史)に就任。現・帝京大学文学部名誉教授、群馬県立近代美術館特別館長。                     

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