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詩 | いのちとともに生きる

「私はひとりきりで生きている」
長い間、そう思って過ごしてきた。

心の底に置いたままの深い悲しみを
誰にも、絶対に悟られないように
明るくふるまい、笑顔を絶やさずにきた。

そうやって生きると決めたのは自分なのに
いつも誰かに、助けてほしかった。

簡単に、他人に話せない悩みほど
簡単に、過去になってはくれない。

この世からいなくなったあの人を
思い出して悲しみの涙を流せるのは
決まっていつも、ひとりきりの夜。

それでも朝が来れば
私は身支度をして家を出て
いつものように、笑顔で過ごすのだ。

皆、本当の私のことを知らないまま
明るく、順調に生きている人だと
決めつけては、自由な生き様を羨ましがる。

そのとき私は、
目に見えるものだけが評価されるのは
勉強や仕事だけじゃないと知った。
生き様でさえ、見た目で判断されてしまうのだ。

どんなに優しく穏やかで、
何不自由なく生きているように見えても
心の底の悲しみは、千差万別。

ときには怒りとして
ときには後悔として
ときには寂しさとして
深い悲しみは、心を強く揺さぶるのだ。

しかし、悲しみに心を揺さぶられるたび
生きている「いのちある者」だと実感する。

決してひとりきりではなく、
私は、悲しみとともに生きているのだ。

それが不思議なことに
あの人が旅立った日付にはいつも
大好きな笑顔のままの、あの人を夢に見る。

もう一度、逢って抱きしめたい。
それが叶うのは、私のいのちが尽きるとき。

「あれから私、頑張ったよ」
あの人に報告したいから、今も生きている。

諦めそうになっても、歯を食いしばる。
もう、私だけのいのちではないのだから。
あの人は記憶の中で、今でも生きている。

たとえ、ともに生きているのが
「悲しみ」という感情であっても
その悲しみも含めて、私の大切な記憶の一部。

その悲しみの向こう側には
大切なあの人と過ごした優しい日々がある。

私はきっと、あの頃の記憶があるから
今も強く生きていられるのだろう。

悲しみによって、生かされるいのち。
そして、悲しみとともに生きるいのち。

思い出して涙できる過去があるということ
それは、紛れもなくあなたが
いのちとともに生きている、ということだ。

心に悲しみを背負って生きるあなたへ。

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