キミシマフミタカ

NetflixやU-NEXT(ときどき映画館)で観ることのできる映画やドラマを独自の視…

キミシマフミタカ

NetflixやU-NEXT(ときどき映画館)で観ることのできる映画やドラマを独自の視点で考察します。

最近の記事

映画評|『違う惑星の変な恋人』 木村聡志ワールドとはアトラクションのない楽しいディズニーランド

 この類まれな映画を言葉で表現するのは難しい。「とても面白い演劇を見ているようだった」「途中で何度も吹き出した」「見終わってハッピーな気持ちになった」「オフビートな感じがコーエン兄弟やタランティーノに似ている」「パンティ論争って何?」「筧美和子ってこんなに演技が上手だったっけ?」「中島歩ワールドが全開している」「それにしてもあのセリフの“間”は何?」「カーチェイスも殺人もないのに、なんでこんなに飽きないのか」  どの表現もちょっと違う。的を外している気がする。この映画には

    • ドラマ評|『ハイ・ライフ』 みんなハイでご機嫌なら、世界は平和で居心地がよい

       南国の首都で暮らしていたときのこと。よく晴れた午後、することもなくソファで寝転んでいると、よく友だちの友だちが、乾燥した葉っぱが詰まった靴の箱を抱えて遊びに来た。ビールを飲みながら、葉っぱをまわす。そんな日常、いま考えれば天国のような日々だった。  ラジオから流れる能天気な音楽が、キラキラした粒になって部屋の中を漂い、笑いがとまらなくなる。友だちとはテレパシーが通じたし(何語で話していたのか覚えていない)、ハイになって繰り出す夜の街は、まるでフェリーニの映画のように幻想

      • 映画評|『終わらない週末』 不穏なエントロピーは拡大し、宿題が残される

         ある週末、アマンダ(ジュリア・ロバーツ)と夫のクレイ(イーサン・ホーク)は、息子と娘を連れて、レンタルした郊外の豪華な別荘にやってくる。都会の喧騒から逃れ、ゆったりと寛ごうとする一家。やがてちょっとした異変が起こり始める。スマホやモバイルが使えなくなる。ビーチに行くと、巨大なタンカーが突進してきて砂浜に座礁する。  深夜、別荘の玄関のドアがノックされる。扉を開けると、黒人の父娘がいる。父G・H(マハーシャラ・アリ)は、自分はこの家の持ち主で、「市内が停電したので引き返して

        • 映画評|『モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン』 “次世代のタランティーノ”のポップな「地獄めぐり」を楽しむ

           映画やドラマを見るとき、事前に情報を仕入れておかないのが、まっとうな映画の見方であるような気がする。映画はスクリーンに映し出されたものがすべて。それ以上でもそれ以下でもない。すくなくとも製作者や監督はそのつもりで作品をつくっている。なんの情報もなく、いきなり映画を見始めるのが正しい作法だと思う。  そんなわけで、この映画の公式サイトで“次世代のタランティーノ”というキャッチを見た瞬間、あわててほかの情報をシャットアウトした。いや、すでに手遅れだった。“次世代のタランティー

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          映画評|『バーニング 劇場版』 村上春樹の原作を”二度読み”したくなる

           この韓国の映画は、村上春樹の短編「納屋を焼く」が原作である。映画を見たあと、久しぶりに「納屋を焼く」を読み返してみた。村上春樹の短編では個人的にベスト3に入るほど好きな作品なのだが、「あれ、こんな作品だったっけ?」と思った。それは不思議な感覚だった。映画を見た後に読んだら、まったく印象の違う作品になっていた。 「納屋を焼く」には一人の若い女性と二人の男性が登場する。主人公である小説家らしい「僕」と、若くエキセントリックな彼女、そしてルックスの良い謎めいた金持ちの青年。二人

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          映画評|『ザ・テキサス・レンジャーズ』 ずっと続いていく野球の試合のよう

           ある昼下がり、ダブルヘッダーの試合を見にいく。もうシーズンも終盤、優勝争いに関係がなくなった、パッとしない2チームの消化試合。スタンドに観客もまばら。ビール売りの女の子たちも暇を持て余している。いい天気で、空には雲ひとつない。外野スタンドは今時めずらしい芝生席で、寝転ぶと小鳥のさえずりが聞こえる。  スコアボードにはゼロの点数が並んでゆくが、試合も中盤になると、それなりの攻防があって、お互いに少しずつ点を取り合う。ピッチャーが交代し、ピンチヒッターが出て、2塁打やホームラ

          映画評|『ザ・テキサス・レンジャーズ』 ずっと続いていく野球の試合のよう