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映画評|『ザ・テキサス・レンジャーズ』 ずっと続いていく野球の試合のよう

 ある昼下がり、ダブルヘッダーの試合を見にいく。もうシーズンも終盤、優勝争いに関係がなくなった、パッとしない2チームの消化試合。スタンドに観客もまばら。ビール売りの女の子たちも暇を持て余している。いい天気で、空には雲ひとつない。外野スタンドは今時めずらしい芝生席で、寝転ぶと小鳥のさえずりが聞こえる。

 スコアボードにはゼロの点数が並んでゆくが、試合も中盤になると、それなりの攻防があって、お互いに少しずつ点を取り合う。ピッチャーが交代し、ピンチヒッターが出て、2塁打やホームランが飛び出す。木製のバットに球が当たる乾いた音がする。うるさい応援団はいない。良いプレーには控えめな拍手、罪のない野次がときおり聞こえる。

 確かに消化試合で、勝敗はもはや重要ではない。けれどもプロのチームなので、ゲームの質は高い。ピッチャーは丁寧にコースを投げ分け、バッターはカウントを考慮して狙い球を絞る。野手たちはキャッチャーのサインで守備位置を変え、ランナーが出ればゲッツーを取るためのシフトを敷く。コーチや監督は真剣で、手を抜いたりはしない。

 これは、そんな平和な午後の、ダブルヘッダーのような映画だ。

 ボニー&クライドの最期を、彼らが追う警察側の視点から描いた物語である。苦境に立たされていた知事は、かつて活躍した凄腕の刑事たち”テキサス・レンジャーズ”を雇うことにする。だが、彼らはすでに老いて引退した身だ。彼らは要請を受けるが、果たして狡猾かつ凶暴な”現役”ボニー&クライドに立ち向かうことができるのだろうか。

 テキサス・レンジャーズを演じるのは、ケビン・コスナーとウッディ・ハレルソン。すっかり貫禄がついて、老いたタフガイの役柄が似合うケビン・コスナーが、物語に安定感を与えている。そう、誰もが知っていて、結末が決まっている物語を、最期まで引っ張れるのは、役者の力量にかかっているといってもいい。その意味で、過不足はない。
 
 1930年代のアメリカ。派手な銀行強盗を繰り返しながら、州をまたいで犯行を重ねるボニー&クライド。ピカピカの車に乗って、目立つお洒落な2人連れである。いまならば、あっという間に捕まってしまうのだろうが、そんな悪人がいくらでも身を潜められる、のんびりした古き良きアメリカの風景も、心をくすぐる。

 ボニー&クライドの心の闇にも、彼らを追うテキサス・レンジャーズの心の闇にも、この映画は、深く踏み込まない。原題は「The Highwaymen」。彼らは道路脇の茂みの中で、ボニー&クライドが現れるのを、じっと待つ。その結末は、彼ら自身がよく知っているはずなのだが、よけいな高揚感はない。クライマックスのシーンでも、応援ラッパの音は聞こえない。そこには、木製のバットに球が当たる芯を食った乾いた音だけがある。

 ほどよい友情と、ほどよい正義の執行。歴史的な事実から外れすぎない、ほどよい展開。そんなほどよい感じが、最後まで続く。ケビン・コスナーが演じる老いた刑事の振る舞いには、なにか普遍的なものがある。その後も、ずっと続いていくようなもの。試合の後、芝生には水がまかれ、緑が生き生きと色を取り戻す。選手たちがベンチから立ち去っても、しばらく球場にいたいと感じる。待っていても、もう何も始まらないのだが。

(2019年 アメリカ映画 監督:ジョン・リー・ハンコック Netflixで視聴可能)


 


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