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夢と宝くじ

タイトルはきれいで自然な取り合わせなのですが、今回の投稿内容はどう贔屓目に見ても下品だと言わざるを得ません。本当はこのような公の場に晒すべき話題ではないのかもしれないのですが、私にとって避けて通ることのできないテーマであり、今書かずして自分の成長はないと思われるため、恥を忍んで公開させて頂きます。もし、怪しい不穏な気配を感じられた方は、ここでお止めください。申し訳ありません。

さて、私は物心ついた頃から、いつ大便をするのか、ということについて長い間悩み、苦しめられてきました。特に、何か重要なことが差し迫っている時、大げさに言い過ぎかもしれないのですが、人生のステージが変わるような出来事、例えば大学受験や就職、結婚などが間近に迫っている時、腸の働きがセンシティブになってしまって、ますます出し時の見極めが難しく、ベストタイミングの前に無理に出そうとしがちで、腸とお尻の不調に拍車を掛けてしまうということが多くありました。

今回の原因は、大阪から東京への異動だということははっきりしているのですが、本人としては、単なる国内の異動であるし、業務分野も特段大きく変わるわけではないので、先に述べたような人生を画するイベントに比して、大したことのない変化だとは思っているのですが、身体と無意識の世界では相当なストレスが溜まってしまっているようなのです。それが何故なのかは未だに自分でもわかりません。

そんなこんなで、あらゆる意味でモヤモヤし、お通じも腸も不調を極めていた或る晩、大学生で寮生活を送っていると思しき私は、同じ寮の誰だかも分からない住民の部屋に何故か無断で入り込み、そこに大量のう〇こがあふれ出ている便器を見てしまう、という強烈な夢を見てしまったのです。そしてよせばいいのに、怖いもの見たさに便器の傍にまで寄ってしまったばかりに、そのう〇こに訳もなくまみれてしまうというおぞましい状況に陥り、そこで目を覚ましました。

まだ明け方の5:00前で、夢とうつつとの境もわからず、しばらくそのまま寝床にぼんやりと横たわっておりました。家のブラインドの隙間から漏れる日の光が強さを増し、鳥のさえずりも聞こえるようになってくると、通常であれば何の夢を見たのかさっぱりわからなくなってしまう筈であるのに、その日は夢が解像度を増してきて、いてもたってもいられず、丁度目を覚ました妻に、その一部始終を話してしまいました。

「そんなおぞましい夢を見て大丈夫?もう、信じられない」というなり携帯でネット検索をしていると思しき妻。私は妻に話したことでちょっと気持ちが軽くなり、とにかく身体を清めたいとの思いに駆られ、頭から足の先まで熱い湯でくまなくシャワーで洗い流し、仕上げに冷水を被って何とか気を取り直しました。

すると、妻が「その夢、とても縁起がいいらしいわよ。運気が一気に上がるらしいの。ある占い師は、その日の内、いや遅くとも翌日には宝くじを買いなさい、だって」
本当のところは、私が例によってう〇こに囚われた生活を送っている帰結としてあのような馬鹿馬鹿しい夢が現れただけなのだと思うのですが、つい先ほどまで怯えて絶望的な気持ちになっていたのが嘘のようで、妻のそのあっけらかんとしたコメントにそそのかされて、その日の朝、いつものモーニングページを書く、勤め先の会社ビルの一角にあるオフィスワーカー用の共用スペースで、恐らく数十年ぶりに、しかもネットで宝くじを購入したのでした。

あらゆることが混沌とし、自分の行動や気持ちの真意さえ全く分からずモヤモヤしたままの毎日、いつか霧が晴れる時は来るのでしょうか。晴れない霧はない、明けない夜はない、しばらくはこのモヤモヤをモヤモヤとして冷静に受け止め、可能であれば味わい、すっきりする日が来るのを焦らずに待ちたいと思っています。

物書きになることを改めて誓う (上加茂神社(賀茂別雷神社))

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