見出し画像

タッカー・カールソン氏によるプーチン大統領へのインタビュー【全文の日本語訳】

話題のインタビュー。まともな日本語訳がなかったので自分で翻訳してみた。あくまで私的に参照するための訳だが、誰かの役に立てば幸いです。もちろん全文無料です。機械翻訳しただけの粗雑な訳文で金を取る不届きな輩もいますが。

訳に当たっては、基本的にはクレムリンが公開しているトランスクリプトを利用した。またRevによるトランスクリプトも参照した。目次はタッカー・カールソンの公式サイトのものをそのまま使った。
適当に訳註をつけておくことにする。



イントロダクション



タッカー・カールソン:
大統領、この度はありがとうございます。
2022年2月24日、ウクライナで紛争が始まった時、あなたは国民に向けてこのように演説しました。あなたがいま行動を起こしているのは、アメリカがNATOを通じて「我々に対する奇襲攻撃」を開始しようとしているという結論に達したからであると。
これはアメリカ人の耳には被害妄想的に聞こえます。なぜアメリカがロシアを奇襲すると考えたのか教えて下さい。あなたは如何にしてその様な結論を得たのですか?

ウラジーミル・プーチン:
私はそんなことは言っていませんよ。
これはトークショーなのですか、それとも真剣な対話なのですか?

タッカー・カールソン:
いい台詞ですね。ありがとうございます、もちろん、これはとても真剣な会話ですよ!

プーチンが語るロシアとウクライナの歴史

ウラジーミル・プーチン:
私の知る限り、あなたは歴史を専攻されていたようですが、そうでしょう?

タッカー・カールソン:
はい、その通りです。

ウラジーミル・プーチン:
それでは、もしよければ、30秒か1分くらい歴史的背景を説明させてください。

タッカー・カールソン:
どうぞ、お願いします。

ウラジーミル・プーチン:
では我々とウクライナの関係がどこから始まったのかを見てみましょう。ウクライナの由来とは何なのでしょうか?ロシアは862年から中央集権国家として存在し始めました。この年にノヴゴロドの人々がリューリクを招き君主と戴いたことから、この年がロシアの始まりだとされているのです。1862年、ロシアは建国1000周年を祝いました。ノヴゴロドにはその記念碑もあります。

882年、リューリクの後継者オレグがキエフにやってきました。実際には彼はリューリクの若い息子の摂政でしたが。オレグは、かつてリューリクの従者だった二人の兄弟を追放しました。
したがって、ロシアはキエフとノヴゴロドという二つの権力の中心と共に発展し始めたのです

次に988年の話をしましょう。この年もロシアの歴史において極めて重要なのです。リューリクの曾孫であるウラジーミル王子がロシアに洗礼を授け、正教、つまり東方キリスト教を受容したのです。この時より、ロシアは中央集権国家として強化され始めました。なぜでしょうか?それは一つの領土、統合された経済、一つの同じ言語、そしてロシアの洗礼によって一つの信仰と王子の統治があったからなのです。つまり、ロシア国家が形成され始めたのです。

中世の話です。ヤロスラフ賢公は王位継承順位を導入しました。ですが、彼の死後、さまざまな理由があって継承順位は複雑になりました。王位は、父から長子へではなく、亡くなった王子からその兄弟へ、そしてさらにその息子へと系統を変えて継承されたのです。このことは、一つの国家としてのルーシの分裂を招きました。このような事態は何ら特殊なことではありません。同様のことがヨーロッパでも起きていましたから。しかし、分裂したロシア国家は、チンギス・ハーンの作り上げた帝国の格好の餌食となりました。チンギス・ハーンの後継者、バトゥはルーシの殆ど全ての都市を略奪し、破壊しました。因みに、キエフを含むルーシ南部と他の幾つかの都市は独立を失いましたが、たほうで北部の都市は一定程度主権を維持しました。
彼らはモンゴルに貢物をしなければなりませんでしたが、ある程度の主権は保持したのです。そして、そのことから、モスクワを中心に統一ロシア国家が形成され始めたのです。

キエフを含むロシア南部は、次第に別の「磁石」つまり、ヨーロッパに生じ始めていた中心に引きつけられ始めました。それはリトアニア大公国です。この国はリトアニア-ロシア公国とも呼ばれました。ロシア人が人口の大部分を占めていたからです。彼らは古ロシア語を話し、正教を信じていました。しかし、リトアニア大公国とポーランド王国が合同しましや。数年後、精神的な領域での統合が行われ、正教会の司祭たちがローマ教皇の権威に服することになりました。こうして、これらの土地はポーランド・リトアニア国家の一部となったのです。

数十年の間、ポーランド人は領域内のロシア人の「ポーランド化」に取り組みました。ポーランド語を導入し、この住民は正確にはロシア人ではなく、縁辺部(ウ・クラーヤ)に住んでいるから「ウクライナ人」なのだという考えを定着させようとしました。もともと「ウクライナ人」という言葉は、国家のはずれ、辺境に近いところに住んでいる人、あるいは国境警備に従事している人を意味していたのであり、特定の民族を意味する言葉ではなかったのです。

つまり、ポーランド人はあらゆる手段を使ってロシア領のその部分をポーランド化しようとし、実際、残酷とまでは言わないまでも、かなり厳しく扱いました。その結果、ロシアの土地の一部が自分たちの権利を求めて闘い始めました。彼らはワルシャワに手紙を書き、自分たちの権利が守られるよう要求し、キエフを含め、現地の人々を公職の地位につけるよう要求しました。

タッカー・カールソン:
すみません、今は何世紀の話をしているのか教えていただけますか?

ウラジーミル・プーチン:
13世紀です。

では、その後何が起きたのかをお話しましょう。混乱しないように年号も挙げておきましょう。

少し前の1654年、ロシアのかの部分で権力を掌握していた人々は、繰り返しますが、自分たちの権利が守られるよう要求し、正教徒のロシア系を統治者を派遣するようワルシャワに訴えました。ワルシャワはこの要求を黙殺することで事実上要求を拒否しました。すると、彼らはモスクワを頼り、モスクワは彼らを自国領に組み込みました。

私が何かをでっち上げていると思われないために、資料をお渡ししましょう。

タッカー・カールソン:
あなたが何かをでっち上げているとは思いませんよ。しかし、これまでの歴史の説明が、2年前の事件とどう関連しているのか、私には釈然としないのです。

ウラジーミル・プーチン:
それでも、お渡しします。これは公文書館にある史料の写しです。

これは、現在ウクライナと呼ばれているロシアの土地の一部で、当時権力を握っていたボグダン・フメルニツキーの手紙です。彼はワルシャワに手紙を書き、彼らの権利をまもるよう要求し、拒否された後、モスクワに手紙を書き、モスクワのツァーリの強力な庇護を求めました。これがその文書の写しです。これはお土産に差し上げます(1)。ロシア語への翻訳がありますので、後で英語に翻訳してください。
註(1)  原文は「I will leave them for your good memory」。ここでのmemoryは当然のことながら「記憶」ではなく、「記念」「思い出」の意味。

ロシアは、ポーランドとの戦争の引き金になるとして、直ちには同意しませんでした。しかし、1654年、旧ロシア国家の代表機関であるゼムスキー・ソボルが決定を下し、これらの古ロシアの土地はモスクワの一部となりました。

想定通り、ポーランドとの戦争が始まりました。戦争は13年間続き、休戦協定が結ばれました。1654年の決議の後、32年後だったと思いますが、「永遠平和条約」と呼ばれるポーランドと講和条約が結ばれました。キエフを含むドニエプル川左岸一帯はロシアに返還され、たほうドニエプル川右岸一帯はポーランドのものとなりました。

エカテリーナ大帝の統治下で、ロシアは南部と西部を含む歴史的な領土をすべて取り戻しました。これは革命まで続きました。第一次世界大戦前、オーストリア参謀本部はウクライナ化の思想に依拠し、ウクライナとウクライナ化の思想を積極的に推進し始めました。彼らの動機は明らかでした。第一次世界大戦の直前、彼らは潜在的な敵を弱体化させ、国境地帯で有利な条件を確保したかったのです。そのため、ポーランドで生まれた、その領土に住む人々は本当のロシア人ではなく、むしろウクライナ人という別の民族集団に属しているとされるこの考えは、オーストリアの参謀本部によって推進され始めたのです。

遡ること19世紀には、ウクライナの独立を呼びかける論者が登場しました。しかし、彼らはいずれも、ウクライナとロシアは非常に良好な関係を保つべきであると主張しました。この点は譲れなかったのです。1917年のロシア革命後、ボリシェヴィキは国家再建を目指し、ポーランドとの敵対関係を含む内戦が始まりました。1921年にポーランドとの和平が宣言され、その条約の下でドニエプル川の右岸は再びポーランドに返還されました。

1939年、ポーランドがヒトラーに協力した後―ご存知の通り、ポーランドはヒトラーと手を結びました―ヒトラーはポーランドに和平と友好同盟条約を提示しました。関連する文書はすべて保管されています。この際にヒトラーは見返りとして、ドイツの大部分と東プロイセン、そしてケーニヒスベルク(現カリーニングラード)を結ぶ、いわゆる「ダンツィヒ回廊」をドイツに返還するようポーランドに要求しました。第一次世界大戦後、この地域はポーランドに割譲され、ダンツィヒに代わりグダニスクという都市が誕生しました。ヒトラーは友好的に返還することを求めましたが、ポーランドはそれを拒否しました。それにも関わらず、ポーランドはヒトラーと協力し、共にチェコスロバキア分割に関与したのです。

タッカー・カールソン:
お伺いしたいのですが、あなたは今、ウクライナの一部、つまり東ウクライナは、実際には数百年のあいだロシアの一部であったと論証されていますが、それならば何故あなたは大統領になった24年前にその領土を取り返さなかったのですか?あなたは核兵器を持ってますが、ウクライナは持っていません。これはつまり、事実上ロシアの領土ということです。なぜあなたはこんなにも長いあいだ待ったのですか?

ウラジーミル・プーチン:
今からそれをお話ししましょう。歴史の説明会はもうすぐで済みます。もしかしたら退屈かもしれませんが、この説明で多くのことが理解できるはずです。

タッカー・カールソン:
退屈なんかではありませんよ。

ウラジーミル・プーチン:
それはよかったです。わかってくださったことに感謝します。ありがとうございます。

さて、第二次世界大戦前、ポーランドはヒトラーと協力しました。ヒトラーの要求に屈しなかったものの、それでもヒトラーと共にチェコスロバキアの分割に加わったのです。ポーランドはダンツィヒ回廊をドイツに譲らなかったため、ヒトラーはポーランドを攻撃して第二次世界大戦を開始せざるを得ない状況にを追い込まれました。
1939年9月1日にドイツ・ポーランド間で戦争が始まったのはなぜでしょう? ポーランドが強硬な姿勢を崩さなかったことで、ヒトラーは計画を実行せざるを得なかったのです。

ところで、私は公文書を読んだのですが、ソビエト連邦はとても誠実に振る舞っていました。ソ連はチェコスロバキアを助けるために軍隊を向かわせようとしました。その際、ポーランド領を通過する必要があり、ソ連政府はポーランド政府にその許可を求めています。しかし、当時のポーランドの外務大臣は、もしソ連の飛行機がチェコスロバキアに向かうようであれば、それらはポーランド領空で撃墜されるであろうと述べました。とはいえ、それは重要なことではありません。重要なのは、第二次世界大戦が始まり、ポーランドがチェコスロバキアに対して進めてきた政策の犠牲になったということです。あの有名なモロトフ・リッベントロプ協定により、西ウクライナを含むポーランドの一部領土はロシアに割譲されることになっていたからです。こうして、ロシア、当時はソビエト連邦でしたが、歴史的な領土を取り戻したのです。

大祖国戦争、つまり第二次世界大戦に勝利した後、それらの領土はすべて最終的にロシア、ソビエト連邦に帰属することが明文化されました。ポーランドは、その代わりとして、もともとドイツ領であった西部の土地、すなわちドイツの東部を手に入れました。もちろん、ポーランドはバルト海へのアクセスを取り戻し、ダンツィヒは再びポーランド名で呼ばれるようになりました。このようにして、情勢が展開したわけです。

1922年、ソビエト連邦が建国されました。ボリシェビキは、それまで存在しなかったソビエト・ウクライナを樹立しました。

タッカー・カールソン:
なるほど。

ウラジーミル・プーチン:
スターリンは、これらの共和国も自治体としてソ連に含まれるべきだと主張しました。どういうわけか、ソビエト国家の創設者であるレーニンは、これら共和国にソ連からの離脱権を与えるべきだと主張したのです。そして、またしても理由は定かではありませんが、彼はその新しく建国されたウクライナ・ソビエト共和国にいくつかの土地とその土地に住む人々を移管しました。それらの土地がウクライナと呼ばれたことなど一度もなかったにもかかわらずです。ウクライナ・ソビエト共和国に移管された土地の中には黒海地域も含まれていましたが、この地域はエカチェリーナ大帝の下で獲得されたものであり、ウクライナとの歴史的つながりは全くありませんでした。

1654年にそれらの土地がロシア帝国に変換されたときでさえ、その領土には現代のウクライナの三つか四つの地域が含まれていたのみであり、黒海地域は含まれていませんでした。黒海地域など、全く問題外です。

タッカー・カールソン:
1654年ですか?

ウラジーミル・プーチン:
その通りです。

タッカー・カールソン:
あなたはこの地域について百科全書的な知識をお持ちですね。しかし、何故あなたは大統領に就任してから22年間も、このことを主張しなかったのですか?つまり、ウクライナは本当の国ではないと。

ウラジーミル・プーチン:
ウクライナ・ソビエト共和国には、それまでウクライナが一度も所有したことのない領土、黒海地域も含め、多くの領土が与えられました。ある時、ロシアが露土戦争の結果としてそれらの領土を取得した際、それらは「新しいロシア」即ちノヴォロシアと呼ばれていました。しかしそれは重要な問題ではありません。

重要なのは、ソビエト国家の創設者であるレーニンがそのような形でウクライナを建国したということです。その後数十年にわたって、ウクライナ・ソビエト共和国はソ連の一部として発展しました。そして、またしても理由定かではありませんが、ボリシェヴィキたちはウクライナ化に取り組んだのです。それは単にソビエト連邦の指導部がウクライナ出身者で多く占められていたからというだけではありません。それよりもむしろ、ソビエト連邦によって推進された現地化の一般政策によって説明されます。同じことは他のソビエト共和国でも行われました。これには各国語と国文化の促進が含まれていました。これは、原則としては悪いことではありません。そのようにしてソビエト・ウクライナは作られたのです。

第二次世界大戦後、ウクライナは、戦前にポーランドに属していた土地に加えて、かつてハンガリーとルーマニアに属していた土地の一部、今日では西ウクライナとして知られていますが、を受け取りました。つまり、ルーマニアとハンガリーは自国の領土の一部を奪われ、それがウクライナに与えられたわけです。それらは今もなおウクライナの一部として残っています。このような意味で、私たちはウクライナがスターリンの意志によって形成された人工国家であると断言するに十分な理由を持っているのです。

タッカー・カールソン:
ハンガリーにはウクライナから自国の土地を取り戻す権利があるとお考えですか?また、他の国々には1654年の国境に戻る権利があるのでしょうか?

ウラジーミル・プーチン:
彼らが1654年の国境に戻るべきかどうかは定かではありません。しかし、スターリンの時代を考えれば、いわゆるスターリン体制は、多くの人が主張するように、数多くの人権侵害や他国の権利侵害が頻繁にありました。こうしたことを踏まえれば、もちろんそれらの土地を取り戻すと主張することは可能でしょう。彼らにそうする権利があるという話しているわけではありませんが、少なくともそういう主張は理解できるのではないでしょうか…

タッカー・カールソン:
あなたはヴィクトール・オルバンにウクライナから領土を取り返してもよいと伝えましたか?

ウラジーミル・プーチン:
そんなことは一度もありません。一度も彼に伝えたことはありません。そのことについて会話さえしたことはありません。しかし、私はそこに住むハンガリー人が自分たちの歴史的な故郷に帰りたいと思っていることを確かに知っています。

少々脱線しますし、個人的な話にはなりますが、とても興味深いお話をしましょう。80年代初頭、私は当時のレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)からソビエト連邦を横断してキエフまで車を走らせました。キエフに立ち寄った後、西ウクライナに向かいました。ベレゴヴォという町に行きました。そこではすべての町や村の名前がロシア語と、私には理解できないもう一つの言語、ハンガリー語で併記されていました。ロシア語とハンガリー語です。ウクライナ語ではありませんよ、ロシア語とハンガリー語です。

ある村を車で通りがかった際、家の横に座っている男性たちがいました。彼らは黒い三つ揃いのスーツと黒いシルクハットを着用していました。私は、「彼らは芸人なのですか?」と尋ねました。すると、「いいえ、芸人ではありませんよ、彼らはハンガリー人です」と言われました。「彼らは何をしているのですか?」と尋ねると、「どういう意味ですか?ここは彼らの土地で、彼らはこの土地に住んでいるんですよ」と答えられました。これは1980年代のソビエト時代の出来事です。ハンガリー人は言葉、民族名そして民族衣装のすべてを守ってきました。ここが故郷だと感じるハンガリー人がいるのです。現在、権利の侵害があると...

タッカー・カールソン:
それはよくある話だと思います。多くの国々が自分たちの国境に不満を抱えています。それはご存知のように、トランシルバニアの人々だけでなく多くの人々が20世紀の戦争、あるいはさらにさかのぼって先ほど挙げられたような千年も前の戦争によって不当に国境を引かれたと感じています。しかし、あなたは事実としてこの件については2年前の2月までは公に発言されていませんでした。今日読ませていただいたあなたの声明では、西側やNATOからの物理的な、潜在的には核の脅威を感じたことにより行動を起こしたということでした。この認識で正しいでしょうか?

ウラジーミル・プーチン:
おそらく私の長い演説はインタビューという範疇から外れてしまうと理解しています。だからこそ冒頭で私がお尋ねしたのです。「これはトークショーなのですか、それとも真剣な対話なのですか」と。そしてあなたは「真剣な対話」と言いました。ですから、どうかお付き合いください。

我々は今、ソビエトのウクライナが設立された経緯にさかのぼっています。その後、1991年にソビエト連邦が崩壊しました。そして、ロシアが気前よくウクライナに与えたものはすべて、ウクライナに「引きずり去られた」のです。

ここで本日の議題の中でも非常に重要な点に触れたいと思います。結局、ソビエト連邦の崩壊は、事実上ロシアの指導部によって開始されたのです。当時のロシアの指導部が何を指針にしていたのかはわかりませんが、すべてがうまくいくと考えていた理由がいくつかあったのではないかと私は推察します。

まず、当時のロシア指導部は次のような関係性に信頼を置いていたことだと考えられます。ロシアとウクライナの関係における基盤とは、事実上は共通言語(90%以上の人々がロシア語を話していた)、家族間などの繋がり(3人に1人は家族や友人との何らかの繋がりが存在していた)、共通の文化、共通の歴史、共通の信仰、また何世紀にも及ぶ一つの国家で共存したこと、そして密接に相互連結し合った経済体制であったのです。すべてこれらがあまりにも根幹にあったが故に、良好な関係が必然的であるはずだったのです。

次に2つ目の非常に重要な点について指摘いたします。これはアメリカ人の視聴者を含め皆さんに聞いていただきたい部分です。旧ロシア指導部はソビエト連邦が消滅したことで、イデオロギー的な分断線はもはなくなったと解釈しました。ロシアは、ソビエト連邦の崩壊にさえ同意し、自発的かつ積極的に行動しました。そしてこうしたロシアの行動は、いわゆる「文明化された西側諸国」から協調と連帯の誘いと理解されるであろうと信じていたのです。これこそ、ロシアが、アメリカ合衆国と西側全般に期待していたことなのです。

当時、ドイツにも賢明な政治家はいました。社会民主党の大物政治家だったエゴン・バール氏は、ソ連が崩壊する直前、ソ連指導部との個人的な会話の中で、ヨーロッパに新しい安全保障システムを構築すべきだと主張しました。ドイツの統一を支援するという前提の下で、米国、カナダ、ロシア、その他の中央ヨーロッパ諸国をも含む新しいシステムを構築する必要がある、と。ただし、NATOを拡大させてはならない、とバール氏は述べました。もしNATOが拡大すれば、ロシアの国境線に近づくだけであり、状況は冷戦時代と全く同じになる、と。以上です。
彼は当時すでに高年の賢人でしたが、誰も彼の言葉に耳を傾けませんでした。事実、彼は一度怒ったこともあるのです(私達の記録にはその会話が残っています)。彼は言いました「もし私に耳を傾けないのであれば、今後再びモスクワには行かない」。バール氏はソ連指導部の対応に憤慨していました。彼は正しかったのです。ことがらは彼の予言通りに進んでいるのです。

NATO拡大

タッカー・カールソン:
もちろん、その通りになりました。そしてあなたは何回もそれについて言及してこられました。 妥当な指摘だと思います。そして多くのアメリカ人は、ソビエト連邦崩壊直後にはロシア・アメリカ両国はうまくやっていくだろうと思っていました。しかし真逆のことをが起きました。あなたはそれが起きた理由について、西洋が強大なロシアを恐れているためだ、ということ以外で説明されたことがありません。その一方で中国に関しては、西側諸国はあまり恐れているようには見えません。ロシアに関して言えば、どういったことが西側の政策担当者たちをロシア弱体化に駆り立てたと考えているのでしょうか?

ウラジーミル・プーチン:
西側諸国は、強いロシアを恐れている以上に、強い中国を恐れています。ロシアの人口は1億5千万に対し、中国には15億もの人々が住んでおり、その経済は急成長を遂げています。年間成長率5%を超え、かつてはさらに高い数値を見せていました。そして中国にとってそれでも十分なのです。ビスマルクがかつて言ったように、潜在力が最も重要なのです。中国の潜在力は巨大です。購買力平価と経済規模の大きさに着目すれば、既に世界最大の経済大国になっています。アメリカはかなり前に追い抜きましたし、現在でも急速に中国経済は成長し続けています。

誰が誰を恐れているかなんて話はしないでおきましょう。そんな観点から物事を判断してはいけません。1991年以降、ロシアが「文明国」からなる兄弟の一員として歓迎されることを期待していたにもかかわらず、そのような事は一切おきませんでした。あなた方は我々を騙したのです。もちろん「あなた方」というのはあなた個人を指しているのではありません。アメリカ合衆国について話をしているのです。NATOは東方に拡大しないという約束がありましたが、実際には5回にわたり拡大が行われました。我々はそれらを受け入れ 、説得しようと努め、「やめてくれ、今や我々もあなた方同様に資本主義国であり、市場経済に基づいている。共産党による支配というものはもうないのだ。話し合いの場を持とうではないか」と言ってきました。
さらに言えば、このことも以前公の場で発言しましたが、エリツィン時代を振り返ってみましょう。当時は我々の間に少しずつ溝が生まれかけていました。その少し前まで、エリツィンは大いに賞賛される存在でした。彼がアメリカに渡ったのを覚えていますか?議会で好意的な言葉を並べ、「神よアメリカを祝福したまえ」などと言ったのです。彼の態度や発言、全てが「入れてくれ」というシグナルでした。
しかし、答えはノーでした。ユーゴスラビアでの出来事を覚えていますか?それまではあれほど賞賛されていたエリツィンですが、ユーゴスラビアの情勢でセルビアを支持する発言をした途端、立場は変わりました。我々もセルビアに肩入れしないわけにはいかなかったのです。私もそこには複雑な経緯があったことはわかっています。しかし、正教という同じルーツを持ち、我々と深い繋がりのある民族であるセルビア人が何世代にも渡って苦難を強いられてきたことを知っていたロシアにとって、声を上げないということはできなかったのです。

とりあえず重要なのは、エリツィンが支持を表明したことでした。それに対してアメリカは何をしたのでしょうか?国際法にも国連憲章にも違反して、ベオグラードを空爆を開始しました。

この問題に関しては、ランプから魔人を解き放ったのは他でもないアメリカなのです。さらに、ロシアが抗議して遺憾の意を表明すると、彼らは何と言いましたか?国連憲章や国際法は時代遅れになった、と。今や、誰もが国際法を引き合いに出しますが、当時は、すべてが時代遅れで、すべてを変えなければならないと言い始めたのです。
確かにバランス・オブ・パワーは変化しており、それとともに変えるべきものもあるでしょう。しかし、このようなやり方は認められません。

エリツィンは即座に泥沼に引きずり込まれ、アルコール依存症、何も理解していない、何も知らない、と非難されました。しかし、彼はすべてを理解していました。

NATOとビル・クリントン

私が大統領になった2000年には、「いいだろう、ユーゴスラビア問題は終わった。だが関係の修復を試みなければならない。ロシアが入ろうとして拒まれた扉を再度開くことにしよう」と考えました。

さらに付け加えますが、以前公の場でこのことについて触れたので改めて繰り返します。
このクレムリンでの退任間近のビル・クリントン大統領との会談の際、隣の部屋での出来事です。私から彼に言いました。「ビル、ロシアがNATO加盟を要請したとして、それは実現すると思いますか?」すると、彼は「そうですね、それは興味深いことです。私はあり得ることだと思います」と答えたのです。ですが、その日の夜、夕食を共にした際に彼は「チーム内で相談をしてみましたが、ノーだ、今の時点では無理です。」と言ったのです。これは彼に尋ねれば認めるでしょうね。彼はきっと私たちのインタビューも見るでしょう。こんな事は彼が実際にそう答えたからこそ口に出したのであって、でなければ決して言ってはいませんでした。そう、「今はダメだ」とね。

タッカー・カールソン:
その時のあなたは本気だったのですか?本当にNATOに加盟しようとしていたのですか?

ウラジーミル・プーチン:
いいですか、私の質問は「できるかどうか」だったのです。そして返ってきた答えは「ノー」でした。西側指導部の立場を知りたいという私の気持ちが誠実でなかったとしたら......。

タッカー・カールソン:
しかし、もしクリントンがイエスといっていたら、あなたはNATOに加盟していましたか?

ウラジーミル・プーチン:
彼がもしイエスと言っていたら、まず和解のためのプロセスが始まっていたはずです。そして最終的には、西側のパートナー各国に誠実な意思が認められたならば、加盟が実現したのかもしれません。しかしそれは起こらなかったわけです。ノーはノーです。

タッカー・カールソン:
ではなぜそのような事が起きたのだと分析していますか?動機の部分に的を絞って聞きます。あなたがそれを苦々しく感じているのはわかります。それは理解しています。ですが、なぜ西側諸国はあなたを拒絶したのですか?なぜ、そのような敵意を見せるのでしょうか?なぜ冷戦が終わっても関係が修復されなかったのでしょうか?あなたから見て、その動機は何でしょうか?

ウラジーミル・プーチン:
苦々しく思っているのではありません。単純に事実を述べただけです。私たちは新婚夫婦ではないので、こういった状況で苦々しさとか、恨みつらみは問題ではないのです。単純に我々があちらには歓迎されていないことが分かったというだけです。わかった、結構。では別のやり方で関係性を築こう、別の場所で共通点を探ればいい、というだけなのです。

なぜこのように否定的な反応を見せられたのかという点に関しては、あなたたちのリーダーに聞くべきでしょうね。私にも推測しかできませんが、おそらくですが、国が大きすぎるとか、独自の意見を持っていることなどが挙げられるでしょう。そして私はNATOでどのように問題が解決されているかを見てきました。

ここで例を挙げましょう。ウクライナに関してです。アメリカの指導部は圧力を強め、たとえ不本意であってもNATO全加盟国がそれに従属し、投票します。では次にウクライナに関して2008年に何があったのかをお話しましょう。実はこの事に関しては議論されていて、今さら私が秘密を打ち明けるなんてことも、新種の情報をあなたにお伝えするというわけでもないのですが。それでもその後も我々は様々な方法で関係構築しようとしてきたのです。例えば中東情勢、イラクなどでは特に慎重さを見せ、アメリカとのやり取りには細心の注意を払っていました。

私は繰り返し、北コーカサス地方においてテロリズムや分離主義を支持してはいけないとアメリカに訴えてきました。しかし彼らはそれを続けました。政治的支援、情報支援、財政的支援、さらには軍事的支援までもが、米国とその衛星からコーカサスのテロリスト集団にもたらされたのです。

この問題をアメリカの大統領と取り上げたことがあります。
彼は「ありえないでしょう!何か証拠でもあるのですか?」と言いました。私はあると答えました。その会談に備えて証拠品を持参していました。証拠は彼の手渡され、彼が何と答えたと思いますか?大変申し訳ありませんが、これは本当に起こった事で、そのまま引用しましょう。「まったく、奴らのケツを蹴り上げてやる」、そう彼は言ったのです。我々は対応を待ち続けましたが何もありませんでした。

そこで私からFSB長官に 「CIA宛てに書簡を送ってくれ。大統領との会話に関する返答はどうだった?」と指示を出し、それを一度、二度と繰り返したところ、回答が来ました。アーカイブにも保管されています。その中でCIAはこう返答してきました。「我々はこれまでロシア国内の反対勢力と協働してきた。これこそが正しい行いだと信じているし、継続していく」。馬鹿げた話です。そうこうしているうちに関係改善など到底無理だと分かったのです。

タッカー・カールソン:
あなたに敵対する勢力ということですか?CIAがロシア内で政府を転覆させようと活動をしていると考えていらっしゃるのですか?

ウラジーミル・プーチン:
もちろん、その件に限っていえば彼らはコーカサス地域で我々と戦った分離主義勢力、つまりテロリストの事を表しています。彼らが所謂言う所の 「反対勢力」なのです。 これが2つ目の論点です。

三つ目の時期は、これはとても重要なのですが、米国ミサイル防衛システムが作られた時です。私たちは、ABMを創設しないようにと長いこと説得をしてきました。さらに遡るって、私はブッシュJrの父親であるブッシュ氏から招待を受けて海沿いにある彼の自宅へと訪問した際、ブッシュ大統領とそのチームと非常に真剣な対話をしています。そこで私が提案したのは、米国、ロシア、ヨーロッパは一体となってミサイル防衛システムを作るべきということです。なぜなら、仮にそれが一方的に作られる場合は、我々の安全の脅威になります。米国による公式表明ではそのシステムはイランによるミサイルの防衛とされていましたが。それがこのミサイル防衛システム構築に関して出されていた大義名分です。私はロシアも米国、欧州も協力しその構築にあたる事を提案したのです。彼らはそれが非常に興味深いものだと言いました。「本気なのですか?」と聞かれ 「もちろんです」と答えています。

タッカー・カールソン:
すみません、それは何年の出来事でしょうか?

ウラジーミル・プーチン:
定かではありません。ブッシュ氏の招待を受けアメリカを訪れた時期をネット検索をすればすぐ確認できるでしょう。ただ、今名前を挙げる人物に聞けばもっと容易にわかります。

非常に興味深い提案だと反応がありました。「これほどの規模であり、戦略安全保障に関わる大きな課題に我々が協働できると考えてみてください。世界は変わります。経済的問題や政治的問題が浮上することはあるでしょうが、そのような挑戦によって世界情勢は劇的に変わるでしょう」そう話したところ、彼は肯定し、「あなた本気ですか?」と再び聞き返してきました。「もちろん本気です。考えてみる必要があります」と答えました。そして「わかった」と返され、私はその返答に対して了承を示しました。
その後米国から私の執務室へと国防長官 ロバート・ ゲーツ氏、元CIA長官、国務長官コンドリーザ・ライス氏がやってきました。まさにこの部屋であり、このテーブルでの出来事です。彼らがこちら側、そして私とロシアの外務大臣と防衛大臣があちら側に座りました。そこで彼らはこう告げました、「わかりました。協議の結果、提案を受諾することになりました」。私は、「よかった、ありがたい、素晴らしい」と言いました。「但し幾つかの例外がありますが」。

タッカー・カールソン:
以上のことから、アメリカ側で大統領が決定を下しても、政府機関の長などにその方針が覆されてしまう場合があると2度ほど話されました。つまり、あなたの説明では、アメリカ政府は当選してきた者たちにはなく、別の誰かによって運営されていると言っているように聞こえますね。

ウラジーミル・プーチン:
その通りです。その通り。結局のところ彼らはただ我々に対し「引っ込んでろ」と言い放ったという事です。詳しい経緯についてはここでは控えます。非公開の会話での事でしたのでね。でも結局はその提案は断られた、これが事実なのです。

まさにその時に私がこう宣言しました。「よろしい、ならばこちらとしても対抗措置に出ざるを得なくなる。確実にミサイル防衛システムを突破できる攻撃システムを作り出しますよ」と。返ってきた答えはこのようなものでした、「ミサイル防衛システムあなた方に対するものではありません。アメリカを標的にしない限りで、お好きになさってください」。そこで私は「オーケー」と返事をしました。

そして、我々は極超音速システム搭載の新型大陸間弾道ミサイルを作り出し、そして現在も開発を進めています。ロシアは、極超音速攻撃兵器開発に関しては各国の中でも、今アメリカよりも一歩抜きん出てトップを走っています。そして日々それらを改良しているところです。
しかしこれは我々が先んじて始めたことではないと言いたい。本来はこちらが別の道つまり協調路線を提示したにも関わらず、それを押し戻されたのです。

NATOの東方拡大問題に関しては、「NATOは絶対に東には1インチも前進させない」と我々に約束したはずです。それがどうでしょう?彼らはこう言ったのです「いや、その合意は書面に残されいるわけじゃないから拡大は続ける」と。 バルト三国、東ヨーロッパ地域の全体など、五回に渡って拡大が行なわれました。

そしていよいよ本題に移りますが、彼らが最終的に手を伸ばしてきたのがウクライナです。2008年ブカレスト・サミットにて彼らはウクライナとジョージアに対しNATO加盟への門戸は開かれていると宣言しました。

次に彼らの意思決定の仕方について触れます。当初ドイツ、フランスなどは反対であり、他のいくつかの西ヨーロッパ諸国も同意はしていませんでした。 しかし、後に判明したことですが、ブッシュ大統領はとてもタフな男で、タフな政治家です。「彼は我々に圧力をかけた、だから従うしかなかったんだ」と後で聞きました。全く馬鹿げた話、まるで幼稚園児のようです。彼らは保証とは何か?この幼稚なやり口は何なのでしょうか?彼らは一体どんな人間なのでしょうか? 見ての通り圧力をかければ、彼らは同意してしまうわけです。それから「ウクライナがNATOに加わることはないはずだと分かっていますよね」などと言い出します。
私はこう言いました。「いやいや、2008年に合意してただろ。未来では同意しないとは言い切れないよな?」。「だってあの時は圧力をかけられたんだ」 私の返答はこうです、「じゃ明日もまたアメリカに強要されてお前たちは同じように頷いてしまうのか? 」

全く無意味なことです。一体誰と話せばいいのだ。本当に理解不能です。我々は対話の用意はできているのです。でも一体誰と?彼らは一切保証をしません。これでは何にもなりません。

ウクライナ

つまり、彼らはウクライナの土地開発を進めはじめたということです。その背景がどうであれ、ここまで話した経緯を見れば、ウクライナという場所が歴史的にどう発展してきた土地柄なのか、どうロシアと関わってきたかはわかりますよね。2、3人に一人は何かしらの形でロシアと関わりを持つ国です。独立宣言をして主権国家化したウクライナでは選挙が行われるのですが、ところでウクライナは中立国家と宣言されているのですが、2008年になって突然NATOへの門戸を開かれたのです。おいおい、何事だ!話が違うじゃないか、といった気分です。

政権に就いた歴代大統領は全て、多かれ少なかれロシア寄りな有権者層を取り込む必要がありました。その地域がウクライナ南東部で、非常に多くの人々を抱える所だったのです。ロシアに好意を持っていた有権者層から支持得るのは非常に困難でした。

ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ氏が政権を握ったのは、クチマ大統領の後、初めて彼が勝利した時でした。彼らは、ウクライナの憲法には規定されていない第3回投票を組織したのです。これはクーデターです。想像してみてください、アメリカの誰かが選挙結果が気に入らなかったとしたとしますよね…

タッカー・カールソン:
2014年の話ですか?

ウラジーミル・プーチン:
いいえ、それ以前のことです。ヴィクトル・ヤヌコビッチが選挙で勝利した後でした。しかし選挙結果を不服とした野党勢力はアメリカの後ろ盾を得て、憲法にない三回目の決選投票を開催させました。これは何でしょうか?クーデター以外の何物でもないでしょう。その行為をアメリカが支持し、結果として三回目の選挙によって新政権が誕生しました。もしアメリカ国内において選挙結果で誰かが不服を主張し、それも憲法に明文化されていない三回目の選挙が行われたらと考えていただきたい。それにも関わらずウクライナではそのような事が行われたわけです。結果として親欧米派と見られていたヴィクトル・ユシチェンコが権力の座につきました。
それはそれで結構です。我々はその人物とも関係を築いていきました。彼はモスクワを訪問し、私たちはキエフを訪れました。私もそこへ行ってますし、非公式ながら会談もしています。彼が親欧米であれ、それは別に構わないのです。全く結構です。ウクライナ国内でどう体制が推移していくかは独立国家であるその国自身が決める事のはずなのです。結果としてクチマ大統領の在任期間中に状況は悪化し、それでも結果としてヴィクトル・ヤヌコビッチが政治を担うようになりました。

おそらく彼は最高の大統領ではなかったのかもしれません。私には分かりません、評価をしたいとも思いません。しかしながらここでEUとの協力・提携関係における論点が浮かび上がってきました。常に我々は寛容な見方をしていたのです。「どうぞご自由に」といった具合に。でもその後協定の内容を確認すると我々にとって問題があることが明らかになりました。我々はウクライナと自由貿易圏を確立し、関税国境を開放していました。ところがその協定に則るとウクライナが欧州側へ国境を開放しなければならなくなり、結果的にロシア国内の市場が侵食される危険がありました。

そこでこう伝えました。「これでは上手くいかない。それならばウクライナとの国境を閉鎖する」と。つまり関税を強化するということです。ヤヌコビッチはウクライナの損得を計算しはじめ、その上で欧州のパートナーに対しこう伝えました。「署名をする前に考える時間が欲しい」。彼がこう言った瞬間、野党勢力は西側の支援を受けて破壊活動を開始しました。そして、全てはマイダン革命とウクライナでのクーデターへと至ったのです。

タッカー・カールソン:
ロシアとの貿易がEUとのそれより多かったということですか?ウクライナは…

ウラジーミル・プーチン:
もちろん。単純に貿易高だけで測れるものでもないですが、大枠において言えばそうです。ウクライナ経済の基盤はロシアとの協業関係の上に築かれていました。企業同士の協力関係はソビエト連邦時代から極めて密だったのです。そこにある企業は、ロシアとウクライナの両方で組み立てられる部品を生産しており、その逆も同様でした。 かつては非常に密接な関係がありました。

その後先ほどから触れているクーデターが発生しますが、これに関しては今の所詳しくは話さないでおきます。
さて、アメリカ合衆国は我々にこう伝えました「ヤヌコヴィチを大人しくさせてくれれば、我々は野党を落ち着かせる。政治的解決のシナリオに沿って状況を展開させよう」。私たちは答えました、「わかった、そのようにやろう」と。

アメリカが私たちに要求した通り、ヤヌコヴィチは軍隊も警察も用いませんでしたが、野党勢力は武装し、キエフでクーデターを起こしたのです。
これは一体どういうことなのでしょうか?「一体何様の積りなんだ?」私はこの言葉を当時のアメリカ指導部に伝えたくて仕方ありませんでした。

タッカー・カールソン:
誰の後ろ盾があったというのでしょうか?

ウラジーミル・プーチン:
もちろんCIAの後ろ盾です。あなたが昔入りたかった組織だ。入れてもらえなくて良かったじゃないか、神に感謝すべきですよ。とはいえ、真面目な組織であることは理解しています。私も旧ソ連の情報機関であるKGB第一総局で働いていたので、ある種同業です。常に対立してきた関係ではありますが、仕事は仕事ですから。

技術的にはCIAはすべて正しく実行し、政府転覆という目標を達成しました。しかし、政治的な見地からすると、あまりに大きな過ちだったのです。当時の政治指導者による計算違いでしょう。彼らは事態がどのような方向に進んでいくのか理解すべきでした。

2008年にウクライナにNATO加盟への道が開かれました。そして2014年に彼らはクーデターを起こし、その政変を受け入れなかった人々への迫害を始めました。まさしくクーデターです。その結果クリミア半島は脅威にさらされ、私たちはこれを保護下に置かざるを得なかったのです。彼らは2014年、ドンバスで戦端を開き、航空機や大砲で民間人を攻撃しました。ここからすべてが始まったのです。航空機でドネツクを攻撃する映像もあります。彼らは大規模な軍事作戦を実行し、失敗すると次の計画へと着手しました。このことは、領土で軍事的な開発と、NATO加盟への扉が開かれたことを背景にしています。

私たちがこの事態への懸念を表明するのは当然ではありませんか? これを黙認したとすれば、ロシアにとっては看過できない失態となっていたでしょう。米国の政治指導者層が我々を、越えてはならない一線まで追い込んだ結果なのです。もしその線を越えていれば、ロシアそのものが崩壊したかもしれません。それだけでなく、私たちと同じ信仰をもつ同胞であり、実質的にロシア民族の一部と言える人々をその「戦争マシーン」の前に見捨てることはできませんでした。

何がこの紛争を引き起こしたのか?

タッカー・カールソン:
つまり今回の紛争が始まる8年前の話ですよね。あなたにとっての引き金は何だったのでしょうか?どのタイミングで軍事作戦を行わざるを得ないという決断されたのですか?

ウラジーミル・プーチン:
第一に紛争を引き起こしたのはウクライナ国内でのクーデターです。

ちなみに、当時3カ国、ドイツ、ポーランド、フランスの代表団がやってきたことを付言しておきます。彼らはヤヌコビッチ政権と野党の間に締結された合意の保証人となっていました。にも関わらず、野党側はクーデターを敢行し、これら全ての国は平和的解決の保証人だったことなど覚えていない振りをしたのです。彼らは合意を即刻暖炉に放り込み、今や誰もそれを思い出しません。

野党と当局、そして、この状況をすべて政治的な場に戻す代わりにクーデターを支持した保証人の三カ国の間の合意について、アメリカが知っているのかどうかはわかりません。
ですが、いずれにせよ無意味だったと言えるでしょう。
なぜなら、率直に言えば、ヤヌコヴィチ大統領はすべての条件に同意していたからです。彼が勝てる見込みのない早期選挙を行うことにも同意していました。それは誰もが知っていることです。

しかし、それならば、なぜクーデターを起こしたのでしょうか?どうして犠牲者を生んだのでしょうか?どうしてクリミアを脅かしたのでしょうか?なぜ、ドンバスで軍事作戦を行ったのでしょうか?この点は私には理解できません。そしてこの点こそが、大いなる誤算なのです。CIAはクーデター完遂という彼らの職務を終えました。確か国務副長官の一人が50億ドル近くの巨額の費用をつぎ込んだと豪語していたと思います。 しかし政治的には大間違いでした! なぜこんな事をしなければならなかったのか?犠牲者も、軍事行動もなしに、またクリミアを失うこともなく、合法的にことを運べたはずです。マイダンの血なまぐさい事件がなければ、私たちは指一本動かそうとも思わなかったでしょう。

といいますのは、ソビエト連邦が崩壊した後、私たちは、私たちの国境は旧ソビエト連邦の共和国の国境に沿うべきだということに同意したのですから。私たちはそれに同意したのです。しかし、NATOの拡大には同意していませんし、ウクライナがNATOに加盟することにも同意していません。私たちとの話し合いなしにNATOの基地を置くことにも同意していません。何十年もの間、私たちはウクライナに対して、あれもするな、これもするなと言い続けてきました。

何が今回の事態を引き起こしたのでしょうか?まず第一には、ウクライナ政権がミンスク合意を履行しないと宣言したことです。ご存じのように、2014年の出来事の後、ミンスクではドンバスの平和的解決の計画が打ち出されました。しかし、現在のウクライナの指導者たち、外務大臣、その他すべての高官、そして当時の大統領自身も、ミンスク合意は全くもって気に入らないと言ったのです。別言すれば、彼らは合意を履行するつもりがなかったのです。1年か1年半前、ドイツとフランスの前指導者たちは、ミンスク合意には確かに署名したが、それを履行するつもりはないと、全世界に向けて公然と発言しました。彼らは私たちを騙したのです。

タッカー・カールソン:
自由に話せる相手はいましたか?アメリカ大統領や国務長官に電話して、NATOを以てウクライナを軍事化し続けるなら、我々は行動を起こすと伝えましたか?

ウラジーミル・プーチン:
それについては常々話し合ってきました。私はアメリカとヨーロッパのリーダーたちに、かかる行動を即座に停止し、ミンスク合意を履行するように求めました。正直に言えば、私はこの事態をどうすれば処理すればよいのか分かりませんでしたが、合意を履行する準備はできていました。これらの合意はウクライナにとっては複雑なものでした。つまり、ドンバスの領土の独立について多くの項目が盛り込まれていましたから。しかしながら、私は自信を持っていたのです。骨の折れる仕事ではありますが、ドンバスの住民をウクライナに戻るよう説得できれば、傷は次第に癒えるだろうと、私は心から信じていたのです。ドンバス地域が共通の経済と共通の社会的環境へと再統合されれば、またドンバスの人々に年金や社会的給付が再び支払われるようになれば、散らばった欠片は元の位置に落ち着くのだと。

いや、しかし誰もそんなことは望んでいませんでした。誰もがただ軍事力を以て問題を解決することを望んでいたのです。しかし、私たちはそのようにさせるわけにはいかなかったのです。

ウクライナ側が「我々は何も履行しない」と宣言した時、状況は極まりました。彼らは軍事行動の準備を始めました。2014年の戦争を始めたのは彼らなのです。私たちの目的はこの戦争を終わらせることです。2022年に目下の戦争を始めたのは私たちの方ではないのです。これは彼らが始めた戦争を止める試みなのですよ。

タッカー・カールソン:
あなたは戦争を止められたと思いますか?つまり、あなたは目的を達成したのか、ということです。

ウラジーミル・プーチン:
いいえ、まだです。私たちの目的の一つは非ナチ化にあります。非ナチ化とは、あらゆる種類のネオナチ運動の非合法化です。これはイスタンブールでの交渉プロセスにおいて私たちが何度も話し合ってきた問題のひとつです。もっとも、私たちが主導したものではなかったのですが。というのも、私たちは、特にヨーロッパ諸国から「最終的な文書調印のための条件を整える必要がある」と言われたからです。私たちのカウンターパートであるフランスとドイツは、「彼らが銃を突きつけられて条約に署名するなんて、どうして想像できる?軍隊をキエフから撤退させるべきだ」と言いました。私は「わかった」と答え、私たちはキエフから軍を撤退させました。

私たちがキエフから軍を撤退させるや否や、ウクライナ側の交渉担当は、イスタンブールで達した合意のすべてをゴミ箱に放り込みました。そして、米国と欧州のその衛星国家の助けを借りて、長期にわたる戦争の準備を整えました。事態はこのようにして推移したのです。そして現在のこの状況があるのです。

タッカー・カールソン:
非ナチ化とは何ですか?それは何を意味するのですか?

ウラジーミル・プーチン:
今それについて話したいと思っていたところです。これは極めて重要な課題ですから。

非ナチ化。ウクライナは独立後、一部の西側アナリストが言うように、アイデンティティを模索し始めました。そして、ヒトラーに協力した偽りの英雄の上にアイデンティティを築きあげました。それ以外に良い方法を考えつかなかったのです。

先程すでに述べたように、19世紀にウクライナの独立と主権を唱える者たちが現れたとき、彼らは独立ウクライナはロシアと友好関係を築くはずだと想定しました。しかし、歴史が下り、しかし、歴史的な発展により、これらの領域はポーランド・リトアニアコモンウェルスの一部となり、ウクライナ人は迫害され、かなり残酷な扱いを受け、残酷な言動にさらされました。もちろん、アイデンティティを破壊する試みもありました。こうした扱いは人々の記憶に刻まれていました。第二次世界大戦が始まると、一部の極端なナショナリストはヒトラーに協力しました。ヒトラーが自由をもたらしてくれるのだと信じていたのです。ドイツ軍は、SSでさえ、ヒトラーの協力者たちをして、最も汚い仕事に従事させました。つまりポーランド人とユダヤ人を絶滅させるという仕事です。ロシア人も絶滅の対象でした。これはあのよく知られたバンデラやシュヘーヴィチによって指揮されました。ウクライナの国家英雄とされたのはこれらの人々なのです。これが問題なのです。他の国にもナショナリズムやネオナチは存在するではないか、と私たちは常々言われてきました。ええ、たしかに。確かにそういった芽はありますが、しかし私たちはそれを根こそぎ取り除き、他の国々はネオナチと戦っています。しかし、ウクライナは違います。ウクライナでは、このような人々が国民的英雄になっているのです。彼らの記念碑が建てられ、彼らの旗が掲げられ、ナチスドイツのように松明を持って歩く群衆が彼らの名前を叫ぶのです。ポーランド人、ユダヤ人、ロシア人を絶滅させた人々です。このような習慣を止め、このような観念が広まるのを防ぐ必要があります。

私は、ウクライナ人はロシア民族の一部だと言いました。彼らは、「いや、我々は別の民族だ 」と言いいます。それは構わないのです。彼らにはそう言う権利がありますから。しかし、ナチズム、つまりナチのイデオロギーに基づいてはならないのです。

タッカー・カールソン:
あなたは現在の領土の満足していますか?

ウラジーミル・プーチン:
まずは質問に対する回答を終えさせていただきましょう。あなたはネオナチと非ナチ化に関して質問されましたね。

ちょっとこれを見てください、ウクライナの大統領がカナダを訪問したという話をご存知ですか?この件は有名ではありますが西側ではあまり報じられてはいません。カナダ議会は、第二次世界大戦中にロシア軍と戦った人物を紹介しました。さて、第二次世界大戦時にロシアと戦っていたのは一体誰のことだと思いますか?ヒトラーとその共犯者たちでしょう。 そして、この人物は親衛隊の一員であったということです。彼はロシア人、ポーランド人、ユダヤ人の虐殺に関与しています。SS部隊はウクライナの民族主義者で構成され、彼らはこの汚い仕事をしました。ウクライナの大統領はカナダの国会議員全員と一緒に立ち上がり、この男に拍手を送りました。こんなことがあり得るでしょうか?ちなみにウクライナの大統領はユダヤ人です。

タッカー・カールソン:
私の質問は、この問題をどうするのか、ということです。ヒトラーが死んで80年、ナチスドイツはもう存在しません。だから、あなたが言っているのは、ウクライナのナショナリズムを消滅させたい、少なくともコントロールしたいということでしょう。でもどのようにそれを実行なさるのかをお聞きしたいのです。

ウラジーミル・プーチン:
私の話を聞いてください。あなたの質問は非常にデリケートなのです。

私の考えを言ってもいいですか?気分を害さないでいてくださいね。

タッカー・カールソン:
もちろんです!

ウラジーミル・プーチン:
この質問は答えづらく、かなり厄介です。
ヒトラーが亡くなって80年も経つとおっしゃいますね。しかし、彼のような人たちは生きています。ユダヤ人、ロシア人、ポーランド人を絶滅させた人々は生きています。そして、現在のウクライナの大統領は、カナダ議会で彼に拍手を送り、スタンディングオベーションをしています!
こんにち起きている事態を見ながらもなお、私たちはこのイデオロギーを完全に根絶やしにしたと言えるのでしょうか?それが私たちの理解する非ナチ化です。この観念を維持し、このやり方を支持し、それを維持しようとする人々を排除しなければなりません。それが私たちの非ナチ化が意味するところなのです。

タッカー・カールソン:
そうですね。私の質問はかなり具体的で、もちろんナチズムを擁護するものではありません。あるいは、実践的な質問でした。あなたは国全体を支配しているわけではありませんし、そうしたいわけでもないようです。では、あなたが支配していない国で、どうやってその文化やイデオロギー、感情、歴史観を排除するというのですか?どうやってそれを行うのですか?

ウラジーミル・プーチン:
奇妙に思われるかもしれませんが、イスタンブールでの交渉で私たちは、ウクライナでネオナチズムを醸成しないこと、つまり法的に禁止することに合意しました。

カールソンさん、私たちはそのことで合意したのです。これは交渉プロセスで可能なことなのです。そして、これは近代国家としてのウクライナにとって屈辱的なことは何もありません。ナチズムを推進することが許される国家がありますか?そんなものはないでしょう?それだけなのです。

平和的解決?

タッカー・カールソン:
交渉が予定されているのですか?なぜウクライナの紛争を解決するための話し合いがないのですか?和平交渉です。

ウラジーミル・プーチン:
ええ、ありますよ。複雑なプロセスの中で、立場のすり合わせという非常に高い段階に達しましたが、話はまとまりかけました。しかし、私たちがキエフから軍を撤退させた後、すでに申し上げたように、ウクライナ側はこれらの合意事項をすべて投げ捨て、ロシアと最後まで戦うよう西側諸国、つまり欧州諸国と米国の指示に従いました。

さらに、ウクライナ大統領はロシアとの交渉をを法的に禁止しました。ロシアと交渉することを禁じる法令に署名したのです。しかし、彼が自分自身やすべての人に交渉を禁じているのであれば、私たちはどうやって彼らと交渉できるというのでしょう?私たちは、彼が和平についていくつかの提案をしていることを知っています。しかし、何かに合意するためには対話が必要です。そうでしょう?

タッカー・カールソン:
しかし、あなたはウクライナの大統領とではなく、アメリカの大統領と話すことになるでしょう。ジョー・バイデンと最後に話したのはいつですか?

ウラジーミル・プーチン:
思い出せませんね。 覚えていません。調べてみます。

タッカー・カールソン:
覚えていないのですか!?(笑)

ウラジーミル・プーチン:
ええ。どうしてそんなに驚かれるのですか?私が何でもかんでも覚えているとお思いですか?私には私のやるべきことがあります。国内政治もありますし。

タッカー・カールソン:
彼はあなたが戦っている戦争に資金を提供しているのですから、記憶に残っていると思いました。

ウラジーミル・プーチン:
そうですね、彼は資金を提供しています。しかし、特別軍事作戦の前に彼とは話しました、もちろんですが。そして私はその時彼に言いました、ちなみに、詳細には立ち入りませんし、決して言いませんが、その時私は彼にこう言いました。「あなたは、ウクライナで起こっているすべてのことを支持したり、ロシアを押しのけようとしたりすることで、歴史的な大きな間違いを犯していると私は信じています」と。 ちなみに、私は彼に何度も言いました。この辺でやめておきましょう。

タッカー・カールソン:
彼は何と言いましたか?

ウラジーミル・プーチン:
彼に聞いてください。あなたはアメリカの市民ですから、彼に聞いてください。私たちの会話の内容についてコメントするのは適切ではありません。

タッカー・カールソン:
しかし、2022年の2月以前からは彼とは話していないのですね?

ウラジーミル・プーチン:
はい、話していません。でも一定の連絡は維持されていますが。そういえば、ミサイル防衛システムで協力しようという私の提案を覚えていますか?

タッカー・カールソン:
ええ。

ウラジーミル・プーチン:
彼らみんなに訊いてみてください。前大統領もコンドリーザも健在ですし。ゲーツ氏も当時駐ロシア大使だったCIA長官バーンズ氏も、これは私の考えですが、非常に成功した大使だと思います。彼らは皆、あの会話に立ち会っていましたから、彼らに聞いてみてください。

同じことですよ。バイデン大統領が私にどう答えたかご興味があれば、彼に聞いてください。いずれにせよ、私は彼と話をしました。

タッカー・カールソン:
はい、非常に興味があります。
しかし、外から見ると、この戦争は世界全体を巻き込み、核戦争を引き起こすような事態に発展する可能性もあるように思えます。なので、バイデンに電話して、「この問題をなんとかしよう」と言ったらどうですか?

ウラジーミル・プーチン:
解決策ですか。とてもシンプルなことです。
繰り返しますが、私たちはさまざまな機関を通じて連絡を取っています。この件に関して私たちがアメリカの指導者に伝えていることをお話しします。 「本当に戦争をやめたいのなら、武器の供給をやめることだ。数週間以内に戦いは終わるだろう。それだけだ。そして、その前にいくつかの条件について合意することもできる」。

これより簡単なことがありますか?なんのために電話をしなきゃならないのですか?何を話せばいいのでしょう?あるいは何を懇願すればいいのでしょう?

タッカー・カールソン:
それで、どんなメッセージが返ってきたのですか。

ウラジーミル・プーチン:
「ウクライナにあんな武器やこんな武器を届けるなんて。怖いわ、そんなことしないで」とでも?一体何か話すべきことがあるというのでしょうか?

タッカー・カールソン:
NATOはこれが世界規模の戦争や核戦争になることを懸念していたと思いますか?

ウラジーミル・プーチン:
少なくとも彼らはそう言っています。そして、ありもしないロシアの脅威を唱えて自国民を脅しているのです。これは明らかな事実です。そして、考える人たち、俗人ではなく、考える人たち、アナリスト、実際の政治に携わっている人たち、賢い人たちは、この話が嘘であることを完全に理解しています。彼らはロシアの脅威を煽ろうとしているのです。

タッカー・カールソン:
あなたが言及された脅威とは、ロシアがポーランドやラトビアに侵攻することだと思います。ポーランドにロシア軍を送るシナリオを考えられますか?

ウラジーミル・プーチン:
あるとすれば、ポーランドがロシアを攻撃する場合です。なぜでしょう?なぜなら、ポーランドにもラトビアにも、他のどこの国にも、私たちは何の関心もないからです。なぜ私たちがそんなことをするのですか?単純になんの関心もないのに。そうした言説は、脅威を煽っているだけなのです。

タッカー・カールソン:
まあ、あなたもご存じでしょうが、「彼(プーチン)はウクライナに侵攻し、大陸全域に領土的な野心がある」と主張です。あなたははっきりと、そんなことはないと言っているのですね?

ウラジーミル・プーチン:
完全に論外ですよ。世界的な戦争に巻き込まれるのは常識に反します。そして、世界規模の戦争は全人類を破滅の淵に立たせるでしょう。当たり前のことです。

確かに、私たちは抑止力を有しています。
これまでずっと、「明日にはロシアが戦術核を使うんだぞ、いや次の日こそロシアがついにやるぞ」などという脅し文句ばかり言って我々に対する恐怖心を煽ってきたのでしょう。だから何だと言うんです?こんなものは、大衆向けのホラーか、ウクライナでのロシアとの対決においてアメリカの納税者やヨーロッパの納税者から税金をむしりとる口実にすぎません。目的はロシアをできるだけ弱体化させることです。

タッカー・カールソン:
ニューヨーク州選出の上院議員、チャック・シューマーは昨日、ウクライナでの戦争に資金を提供し続けなければ、米軍兵士や市民がウクライナで戦うことになりかねないと述べました。これをどう評価しますか?

ウラジーミル・プーチン:
これは挑発ですよ。それも安っぽい挑発です。

なぜアメリカ兵がウクライナで戦わなければならないのか理解に苦しみます。たしかに、アメリカからの傭兵がいるのはわかってます。最も多いのはポーランドからの傭兵で、アメリカがそれに続きます。そのあとはジョージアですね。さて仮に誰であろうと正規軍部隊の派遣などを考えているのだとしたら、それは人類を非常に深刻な、世界的な紛争の瀬戸際に立たせることになるでしょう。これは誰にとっても明らかなことです。

そもそも、米国はそんなことをする必要があるのでしょうか?いったい何のために?自国の領土から何千マイルも離れた場所で!もっと他にすることがあるのでは?国境の問題あるでしょう、移民の問題も、33兆ドルを超える国家債務の問題もね。他にやることがないからウクライナで戦うのですか?

ロシアと交渉したほうがいいのでは?現在の状況を理解し、ロシアが自国の利益のために最後まで戦うことを理解した上で、協定を結ぶのです。そして、それを理解した上で、実際に常識に立ち返り、我が国とその利益を尊重し、一定の解決策を探し始めるのです。その方がずっと賢く合理的だと思いますよ。

誰がノルドストリームを爆破したのか?

タッカー・カールソン:
ノルドストリームを爆破したのは誰ですか?

ウラジーミル・プーチン:
あなたに決まってるでしょ(笑)

タッカー・カールソン:
その日は忙しかったですよ(笑)
私はノルドストリームを爆破してませんよ。

ウラジーミル・プーチン:
ええ、あなた個人にはアリバイがあるかもしれませんが、CIAにはそんなアリバイはありません。

タッカー・カールソン:
NATOやCIAがやったという証拠はありますか?

ウラジーミル・プーチン:
詳しいことは言いませんが、このような場合、人はいつもこう言います、「 利害関係のある人物を探せ 」 と。しかし、この場合、私たちは利害関係のある人物を探すだけでなく、能力のある人物を探すべきです。ノルドストリーム爆破することで利益を得る人はたくさんいるかもしれませんが、その全員がバルト海の海底に潜って爆発を起こせるわけではありません。誰がそれに利害を持ち、誰が実行できるのか、です。

タッカー・カールソン:
しかし、私は困惑しています。つまり、これは史上最大の産業テロ行為であり、史上最大のCO₂排出量です。あなたの安全保障サービスや諜報サービスの情報から、NATO、アメリカ、CIA、西側諸国がやったという証拠があるのであれば、なぜそれを提示してプロパガンダ戦で勝利を勝ち取らないのですか?

ウラジーミル・プーチン:
プロパガンダ戦において、米国に勝つことは非常に困難です。なぜなら、米国は世界中のメディアとヨーロッパの多くのメディアを支配しているからです。欧州最大のメディアの最終的な受益者はアメリカの金融機関です。ご存じないですか?ですから、このプロパガンダ戦に参戦することは可能ですが、いわば法外なコストがかかります。情報源にスポットライトを当てるだけでは、成果は得られません。何が起こったかは全世界に明らかで、アメリカのアナリストでさえ直接話しています。本当ですよ。

タッカー・カールソン:
はい。この質問には答えていただけると思います。あなたはドイツで働いていましたね。ドイツ人はNATOのパートナーがこのようなことをし、自国の経済に大きなダメージを与えたことを知っています。なぜ彼らは沈黙しているのでしょうか?私にはそれが非常に不可解です。なぜドイツ人は何も言わないのでしょうか?

ウラジーミル・プーチン:
私にとっても理解に苦しむ所です。ただ現在のドイツの指導層は、ドイツの国益よりも西側諸国の利益に導かれており、そうでなければ彼らの行動や不作為の論理を説明することは困難です。ノルドストリーム1は爆破され、ノルドストリーム2も損傷しましたが、1本のパイプは無事な状態でガス配送に利用可能なはずです。しかしドイツ側でパイプを開こうとしません。こちらとしてはいつでもどうぞという状態なのですが。

ポーランドを経由するもう1つのルートは、ヤマル-ヨーロッパと呼ばれるもので、こちらでも大量のガス供給ができます。ポーランドはこのルートを閉鎖していますが、ポーランドがドイツの指図通りに動くのは、汎欧州基金から資金援助を受けています。つまりドイツはポーランドをある程度養っているということです。そしてドイツへのルートを閉ざしたのです。なぜでしょうか?理解できません。

ドイツはウクライナに武器を供給し、資金を提供しています。ドイツはウクライナへの資金援助において、アメリカに次いで2番目のスポンサーです。ウクライナを通るガスルートは2つあります。ウクライナ人は単に1つのルートを閉じただけです。2つ目のルートを開ければ、ロシアからガスを得られます。彼らはそれを開きません。なぜドイツは言わないのでしょう?
「金も武器もやるから、バルブを開けてくれ。バルブを開けて、ロシアからのガスを私たちのために通してくれ。私たちは欧州で液化ガスを法外な価格で購入しているので、競争力も経済もどん底になっている。お金が欲しいのか?私たちにまともな生活を送らせてくれ、私たちの経済のためにお金を稼がせてくれ。なぜなら私たちがあなた方に与えるお金はそこから来ているのだから」と。
彼らはそうすることを拒否します。なぜ?彼らに尋ねてみてください(テーブルをコンコンと叩く)。ここにあるものと彼らの頭の中にあるものは同じなんですよ。彼らは非常に無能な人々ですよ。

タッカー・カールソン:
世界は2つの半球に分かれているのかもしれません。1つは安価なエネルギーを持つ地域、もう1つは持たない地域です。もし今、世界が多極化しているのだとしたら、そうであることは明らかです。それぞれの側には誰がいると思いますか?

ウラジーミル・プーチン:
あなたは世界が二つの半球に分裂しつつあると言いました。人間の脳は2つの半球に分かれており、一方はある種の活動を担当し、もう一方は創造性などをより重視します。しかし、それでも依然として同じ頭です。世界はひとつの全体であるべきで、安全保障は「最も裕福な十億人」のためのものではなく、共有されるべきです。それが、世界が安定し、持続可能で、予測可能な唯一のあり方なのです。頭が2つに割れている間は病気であり、深刻な悪条件です。今、世界が経験しているのは重病の時期です。

しかし、誠実なジャーナリズムのおかげで、この仕事は医者の仕事に似ています、何とか改善できると思います。

タッカー・カールソン:
そうですね、では一つの例を挙げましょう。米ドルは、さまざまな方法で世界を一つに結び付けてきました。おそらくあなた方の利益にはならないかもしれませんが、間違いなく私たちの利益にはなります。 基軸通貨、つまり世界的に受け入れられている通貨は無くなるのでしょうか? 制裁によって世界におけるドルの地位はどのように変わったと思いますか?

ウラジーミル・プーチン:
ドルを外交的な駆け引きの道具として使うことは、米国の政治指導部が犯した最大の戦略的失策の一つです。ドルはアメリカのパワーの要です。ドルをいくら刷っても、すぐに世界中にばらまかれることは誰もがよく理解していると思います。アメリカのインフレはごくわずかです。アメリカのインフレ率は3%か3.4%で、これはアメリカにとっては、まったく許容範囲だと思います。しかし、彼らは印刷を止めようとしません。33兆ドルの負債は何を物語っているのでしょうか?米ドルの大量発行そのものです。

とはいえ、これは米国が世界中でパワーを維持するための主要な武器です。政治指導者が米ドルを政治闘争の道具として使うことを決めたとたん、このアメリカのパワーは打撃を受けました。強い言葉は使いたくありませんが、これは愚かなことであり、重大な過ちです。

世界で起こっていることを見てください。アメリカの同盟国でさえ、ドル準備を縮小しています。これを見て、誰もが自分たちの身を守る方法を探し始めています。また、アメリカが特定の国に制裁を加えているという事実、例えば取引制限や資産凍結などの措置は、世界中に大きな懸念を与え、危険な兆候となっています。

何が起きたのでしょう?2022年まで、ロシアの対外貿易取引の約80%は米ドルとユーロで行われていました。米ドルは第三国との取引の約50%を占めていましたが、現在は13%に減少しています。米ドルの使用を禁止したのは私たちではありません。米ドルでの取引を制限したのはアメリカの決定です。米国経済への打撃、世界における米国の力の弱体化など、米国の国益と、納税者の利益の観点からすれば、まったく愚かな行為だと思います。

ちなみに、人民元での取引は約3%でした。現在、私たちの取引の34%はルーブルで行われており、人民元での取引も34%を少し超える程度です。

なぜアメリカはこのようなことをしたのでしょうか?推測するに、自己を過信していたのでしょう。おそらく制裁はロシアの完全な崩壊につながると考えたのでしょうが、何も崩壊しませんでした。しかも、産油国を含む他の国々は、人民元での石油代金の支払いを考え、すでに受け入れています。何が起こっているのか、気づいていますか?。米国内でこのことに気づいている人はいますか?一体何をしているのでしょうか?米国は自分自身を切り刻んでいる…専門家はみんなそう言っています。米国の知的で思慮深い人に、米国にとってドルが何を意味するか尋ねてみてください。アメリカは自分の手でそれを殺しているのです。

タッカー・カールソン:
それは正しい評価だと思います。問題は次に何が来るかです。ある宗主国を、もっと感傷的で寛容な別の宗主国と交換するのでしょうか?例えば、BRICSは中国経済に完全に支配される危険性があるのでしょうか?ある意味、彼らの主権にとって好ましいことではありません。その心配はありますか?

ウラジーミル・プーチン:
そのような話は以前にも聞いたことがあります。子供をしつけるための怖い話のようなものです。
私たちと中国とは隣人同士です。近親者を選ぶことができないように、隣人を選ぶことはできません。私たちは中国と数千キロメートルの国境を接しています。これが第一です。

第二に、私たちには数世紀にわたる共存の歴史があり、それに慣れています。

第三に、中国の外交政策の理念は攻撃的ではなく、常に歩み寄りを求めるというものです。

次の点はこうです。私たちはいつも同じ話で脅かされますが、多少穏やかな形ではありますが、またもや同じ話です。

確かに、中国との協力は増え続けています。しかし、中国と欧州の協力関係の拡大ペースは、中国とロシアの協力関係の拡大ペースよりも速く、また大きいのですよ。ヨーロッパの人たちに訊いてみてください、怖くないのですか?と。彼らは怖くないのかもしれません、私にはわかりませんが、しかし特に経済問題に直面している今、彼らは何としてでも中国市場にアクセスしようとしています。中国企業もヨーロッパ市場を開拓しています。

中国企業はアメリカにも進出していますか?ええ、しかし、政治的な理由で中国との協力を制限しようとしています。

タッカーさん、あなた方が中国との協力を制限することは、あなた方自身の不利益になるのですよ。これは難しい問題で、ドルの場合と同じように、銀の弾丸による特効薬的な解決策はありません。

ですから、非合法な制裁、つまり国連憲章に照らして非合法な制裁を行おうというなら、慎重な考慮が必要なのです。決断を下す人たちは、その点に問題を抱えていると思います。

アメリカとのコミュニケーション再確立

タッカー・カールソン:
先ほど、世界は対立する同盟に分断されず、グローバルな協力があれば、世界はもっと良くなるとおっしゃいましたね。でも、そうならない理由の一つは、アメリカの現政権があなた方と対立しているからです。ジョー・バイデンの後に新政権が誕生した場合、アメリカ政府とのコミュニケーションを再構築できると思いますか?それとも、大統領が誰であろうと関係ないのでしょうか?

ウラジーミル・プーチン:
お答えしましょう。その前に、先ほどの話を終わらせてください。私たちは昨年、同僚であり友人でもある習近平国家主席とともに、中国との相互貿易額を2000億ドルにするという目標を設定しました。そして、私たちはこの水準を超えました。私たちの統計によれば、中国との二国間貿易はすでに合計2300億ドルに達しており、中国の統計では2400億ドルとなっています。

もう一つ重要なことは、ハイテク、エネルギー、科学研究開発において、私たちの貿易はバランスが取れており、相互補完的であるということです。とてもバランスが取れているのです。

BRICSについては、今年ロシアが議長国に就任しましたが、BRICS諸国は概して非常に急速に発展しています。

私の記憶が正しければ、1992年当時、世界経済におけるG7諸国のシェアは47%でしたが、2022年には30%強にまで落ち込んでいます。BRICSは1992年には16%でしたが、今ではG7を上回っています。ウクライナでの出来事とは関係がありません。これは、さきほど申し上げたような世界の発展や世界経済のトレンドによるもので、必然的なことなのです。これは太陽が昇るようなもので、太陽が昇るのを阻止することはできません。それを受け入れ、適応しなければならないのです。

アメリカはどのように適応するのでしょうか?制裁、圧力、爆撃、武力行使の助けを借りてでしょう。しかし、これは自惚れです。
世界が客観的な条件によって変化しており、あなた方の国が現在の国際的地位を維持するためには、たとえ誰かが覇権的な地位を狙っているとしても、適切かつ時宜にかなった仕方で決断をくださねばならないのです。が、あなた方の政治的な指導者たちはそれを理解していません。
ロシアやその他の国に対するものも含め、そのような残忍な⾏為は逆効果です。これは明白な事実で、すでに明らかになっていることなのです。

あなたは別の指導者が現れて何かが変わるか、とお聞きになりました。お答えしましょう。それは指導者の問題ではなく、特定の人物の人格の問題でもありません。私は、例えばブッシュとは非常に良い関係を築いていました。アメリカでは、ブッシュは田舎者で何もわかっていないようなイメージを持たれています。そうではないと断言します。ロシアに関しても、彼は多くの間違いを犯したと思います。2008年にブカレストで行われた、ウクライナに対するNATOの門戸開放の決定などについてはお話ししました。それは彼の大統領在任中に起こったことです。彼は実際にヨーロッパに圧力をかけました。

しかし、一般的に、個人的な人間レベルでは、私は彼と非常に良好な関係を築いていました。彼は他のアメリカ人、ロシア人、ヨーロッパ人の政治家と比べても悪い人ではありませんでした。断言しますが、彼は自分のしていることを他の人と同じように理解していました。トランプともそのような個人的な関係がありました。断言しますが、彼は自分のしていることを他の人と同じように理解していました。トランプとも同様の個人的な関係がありました。

それは指導者の人格の問題ではなく、エリートたちの考え方の問題なのです。武力を用いてでも、どんな犠牲を払ってでも支配しようという考え方がアメリカ社会を支配しているのであれば、何も変わらないでしょう。しかし、最終的には、世界は客観的な状況によって変化しているのであり、米国が現在も持っている利点を利用して、いずれはそれに適応できるようになるはずだという認識を持つようになれば、おそらく何かが変わるかもしれません。

いいですか、中国経済は購買力平価で世界第1位の経済大国になりました。2位がアメリカ、3位がインド(人口15億人)、4位が日本、5位がロシアです。ロシアは昨年、あらゆる制裁や規制にもかかわらず、ヨーロッパで一番の経済大国となりました。制裁、制限、ドルでの支払い禁止、SWIFTからの排除、石油輸送船舶への制裁、航空機への制裁、あらゆるもの、あらゆる場面での制裁ですよ。あなたから見てこれは並大抵のことですか?世界で最も多くの制裁がロシアに対して行われています。この間、私たちはヨーロッパで一番の経済大国になったのです。

アメリカが使っている手段は機能しません。さて、どうすべきか考えなければなりません。この認識が支配エリートにもたらされれば、そのときこそ、国家の第一人者は、有権者やさまざまなレベルで決定を下す人々がこの人物に何を期待するかを見越して、行動するようになるでしょう。そうすれば、何かが変わるかもしれません。

タッカー・カールソン:
しかし、あなたは2つの異なるシステムについて述べています。あなたは、リーダーは有権者の利益のために行動すると言いますが、これらの決定はリーダーによってなされるのではなく、支配階級によってなされるのだとも言っています。あなたは長い間この国を運営し、アメリカのすべての大統領を知っていますね。そこで、アメリカの権力の中枢とは何だと思いますか?また、実際に意思決定をしているのは誰ですか?

ウラジーミル・プーチン:
分かりません。アメリカは複雑な国家です。一方で保守的であり、他方で急進的に変化しています。これを整理するのは容易ではありません。

選挙では誰が決定を下すのか。各州に独自の法律があり、各州が独自の規制を持ち、したがって誰かが州レベルの選挙から排除される可能性があるのに、これを理解できるのでしょうか?二段階の選挙制度のことです。これを理解するのは非常に困難です。

確かに、共和党と民主党という2つの政党が支配的であり、この政党システムの中に、決定を下し、決定を準備する中枢が存在します。

では、なぜソ連崩壊後、このような誤った、乱暴な、まったく不当な、ロシアに対する圧力政策がとられたのでしょうか。結局のところ、これは圧力政策なのです。NATOの拡大、コーカサスの分離主義者への支援、ミサイル防衛システムの構築、これらはすべて圧力の要素です。圧力、圧力、圧力、なのです。

そして、ウクライナをNATOに引きずり込むのも、すべて圧力、圧力、圧力、です。なぜなのでしょう?私が思うに、とりわけ、過剰な生産能力が生み出されたからだと思います。ソビエト連邦との対立の間に、ソビエト連邦に関する多くの研究所が作られ、専門家が育成されました。ロシアを「削り」続け、解体しようとし、この領土にいくつかの準国家的存在を作り出し、分割された形でそれらを制圧し、将来中国との闘争のためにそれらの潜在力を利用することが必要だと、彼らは政治指導部を説得したのです。これは、ソ連との対立のために働いた人々の過剰な潜在能力も含めて、間違いです。これらは取り除かれねばなりません。 かわりに、新しい新鮮な力、将来を見通し、世界で何が起こっているかを理解する人々が必要です。

インドネシアの発展ぶりを見てください!人口は6億人です。この現実から逃げられるでしょうか?インドネシアが世界の主要経済国の仲間入りをする、すでに仲間入りしているが、このことは、好き嫌いに関係なく、想定しなければなりません。
(注)インドネシアの人口は2.7億人

アメリカでは、経済的な問題はあるにせよ、GDPは2.5%成長しており、経済成長も順調であり、状況は依然として正常であるこことは理解しています。私の記憶が正しければですが。

しかし、将来を確実にしたいのであれば、変化するものへのアプローチを変える必要があります。すでに申し上げたように、ウクライナの情勢がどう終わろうと世界は変化します。

世界は変化しているのです。米国の世界における地位も徐々に変化しています。米国の専門家が書いていることです。唯一の問題は、その変化がどのように起こるかということです。そして、これは反米ではなく、単に世界の発展のトレンドを追いかけている人々によって書かれています。ただそれだけです。

そして、それを評価し、政策を変えるためには、政治的リーダーのレベルで、思考し、先を見通し、分析し、ある決断を提言できる人々が必要なのです。

タッカー・カールソン:
お聞きしたいことがあります。NATOの東方への拡大は、1990年代にあなた方全員が交わした約束を反故にするものだと、あなたははっきり言っていますね。NATO拡大はあなたの国に対する脅威です。あなたがウクライナに軍隊を派遣する直前、アメリカの副大統領が安全保障会議で演説し、ウクライナの大統領にNATOへの加盟を促しました。それはあなたを挑発して軍事行動を起こさせるための試みだったと思いますか?

ウラジーミル・プーチン:
もう一度繰り返しますが、私たちは、2014年のクーデター後にウクライナで発生した問題に対して、平和的手段による解決を求めることを何度も何度も提案してきました。しかし、誰も私たちに耳を傾けませんでした。しかも、アメリカの完全な支配下にあったウクライナの指導者たちは、突然、ミンスク合意を履行しないと宣言し、そこにあるすべてを憎み、その同地域で軍事活動を続けました。

それと並行して、ウクライナはNATOの軍事機構によって、さまざまな人材訓練や再訓練センターという名目で利用されていました。彼らは実質的に、そこで基地を作り始めたのです。それが全てです。

ウクライナは、ロシア人を非正規国民であると宣言し、ウクライナにおける非正規国民の権利を制限する法律を可決しました。ウクライナは、ロシア人から南東部の領土をすべて贈り物として受け取ったのに、突然、その領土ではロシア人は非国民であると発表したのです。これが普通のことと思われますか?これらすべてをまとめて、2014年にネオナチがウクライナで始めた戦争を終わらせるという決定に至ったのです。

ゼレンスキーはどこまで権限を持っているのか?

タッカー・カールソン:
ゼレンスキーはこの紛争の解決について交渉する自由があると思いますか?

ウラジーミル・プーチン:
私は詳しいことは知りませんし、もちろん私が判断するのは難しいのですが、いずれにせよ彼にはその自由があると思います。彼の父親は第二次世界大戦中、ファシストやナチスと戦いました。私はこう言いました。 「ボロージャ、あなたは何をしているのですか?あなたのお父さんはファシズムと戦ったのに、なぜあなたは今ウクライナのネオナチを支持しているのですか?あなたのお父さんは最前線の兵士だったんですよ」と。彼がなんと答えたかは言いません。これは余談ですし、それを言うのは不適切と思いますから。

しかし、選択の自由については、当然その自由を行使するでしょう。彼は、ウクライナを平和に導くというウクライナ国民の期待のもとに政権を握りました。選挙で圧勝したのもそのおかげです。しかし、政権に就いてから、彼は2つのことに気づいたと私は思います。第一に、ネオナチやナショナリストとは衝突しないほうがいい、彼らは攻撃的で非常に活動的なので、彼らからは何も期待できないということ。第二に、アメリカ主導の西側諸国は彼らを支援しており、ロシアと敵対する人々を常に支援する、それは有益で安全だからだ、ということです。だから彼は、ウクライナでの戦争を終わらせると国民に約束したにもかかわらず、このような立場をとったのです。彼は有権者を欺いたのです。

タッカー・カールソン:
しかし、現時点(2024年2月時点)で、彼にはあなたやロシア政府と直接話す自由があり、またそれは彼の国や世界を助けることになると思いますか?彼にそれができると思いますか?

ウラジーミル・プーチン:
できないということがありましょうか?彼は自分が国家元首だと考えていますし、また選挙に勝ったのですから。ロシアでは、2014年以降に起こったすべての権力はクーデターに由来し、その意味で今日の政府にも不備があると考えていますが、しかし、彼は自分自身を大統領だと考えていますし、また彼は大統領として米国、全ヨーロッパ、実質的に世界の他の国々から認められています。彼にそれができないということがあるでしょうか?当然彼には可能ですよ。

私たちはイスタンブールでウクライナと交渉し、合意しました。しかも、交渉グループのリーダーであるアラハミア氏は、たしか今でもラーダで与党の派閥、大統領党の党首を務めています。この国の議会であるラーダでは、彼はいまだに大統領派閥を率いており、そこに座っています。私がお話ししている文書に予備的な署名もしました。
彼は全世界に向けて公言しました。「私たちはこの文書に署名する準備ができていたのですが、当時イギリスの首相だったジョンソン氏がやってきて、ロシアと戦ったほうがいいと言って私たちを説得したのです。ロシアとの衝突で失ったものを取り戻すために必要なものはすべて与えてくれる、と。私たちはこの提案に同意しました。」
彼の声明は公表されています。彼はこのように公言しています。

彼らはそこに戻れるのか、戻れないのか?問題は、彼らがそれを望んでいるのかいないのかということです。

さらに、ウクライナ大統領は私たちとの交渉を禁止する政令を出しました。その政令を取り消せばいいのです。私たちは交渉を拒否したことはありません。「ロシアは交渉の準備ができているのか」って?はい、私たちは拒否していませんよ!拒否したのは向こうです。では、大統領令を取り消し、交渉に入ろうじゃありませんか。私たちは決して拒否していません。

元英国首相のジョンソン氏の要求や説得に従ったという事実は、私にとっては馬鹿げていて、またとても悲しいことです。なぜなら、アラハミア氏が言うように 「私たちはすでに1年半前に、この敵対行為、この戦争を止めることができたはずです。しかし、英国は私たちを説得し、私たちはこれを拒否したのです」。で、そのジョンソン氏は今どこにいるのですか?そして戦争は続いているのです。

タッカー・カールソン:
それは面白い問いですね。ジョンソン氏はどうしてそんなことをしたんですか?

ウラジーミル・プーチン:
知るものですか。私にも理解できません。
しかし、一般的に言って、こうした信念から出たものでしょう。つまり、いくらかの理由があって、誰もがロシアを戦場で負かすことができるという幻想をいだいていたのです。優れた知性のためではなく、傲慢さとピュアな心のためです。

タッカー・カールソン:
あなたはロシアとウクライナの関係を説明し、その中でロシアを何度か正教国と表現しました。それはあなたにとってどういう意味を持っていますか?あなたは自らをクリスチャンの指導者と述べていますね。それはあなたにどのような影響を与えているのでしょうか?

ウラジーミル・プーチン:
すでにお話ししたように、988年にウラジーミル王子自身が祖母のオルガ王女に倣って洗礼を受け、その後、従者に洗礼を施し、数年かけて徐々に全ロシアに洗礼を施しました。異教徒からキリスト教徒になるには長い年月がかかりました。しかし最終的に、この正教、東方キリスト教はロシア国民の意識の中に深く根を下ろしたのです。

ロシアが拡大し、イスラム教、仏教、ユダヤ教を公言する他の国々を吸収したとき、ロシアは常に他の宗教を公言する人々に非常に誠実でした。これがロシアの強みです。これは絶対に明らかです。

そして、私が今挙げたすべての世界宗教と、ロシア連邦、ロシアの伝統的な宗教は、主要な理念、主要な価値観が非常によく似ています。ところで、ロシア当局は、ロシア帝国に加わるためにやってきた民族の文化や宗教について、常に細心の注意を払っていました。ロシアに住むすべての民族は、基本的にロシアを祖国と考えています。

例えば、ラテンアメリカからあなたの国やヨーロッパに人々が移ってきた場合を考えてみましょう。人々はやってきますが、彼らは歴史的な祖国からあなたやヨーロッパ諸国にやってくるのです。そして、ロシアで異なる宗教を公言している人々は、ロシアを自分たちの祖国と考えています。私たちは共にあり、一つの大きな家族なのです。そして、私たちの伝統的な価値観はとても似ています。私は今、一つの大きな家族と言いましたが、誰もが自分の家族を持っており、それが私たちの社会の基盤となっています。そして、祖国と特定の家族は互いにつながっており、国全体、祖国の正常で持続可能な将来を確保しない限り、子供たちや家族の正常な将来を確保することは不可能です。ロシアで愛国心が強いのはそのためです。

タッカー・カールソン:
宗教の違いをひとことで表すと、キリスト教は明確に非暴力を旨とする宗教だということです。イエスは「なんぢの頬を打つ者には、他の頬をも向けよ」とか「殺すなかれ」とか言っています。しかし、いかなる国の指導者であっても、時に人を殺さざるを得ない立場にあります。そうした立場の指導者がクリスチャンであることは、どのように両立するのでしょうか? あなた自身、どのように折り合いをつけていますか?

ウラジーミル・プーチン:
とても単純なことです。自分自身と家族、また祖国を守るとなればね。
私たちは誰も攻撃しません。ウクライナの情勢はいつから始まったのですか?クーデターとドンバスでの敵対行為が始まってからです。そして、私たちは国民、私たち自身、祖国、私たちの未来を守っています。

宗教全般については、毎日教会に行ったり、床に頭を打ち付けたりすることではありません。それは心の中にあるものですよ。私たちの文化は人間中心ですからね。 ロシアの文化、ロシア文学における天才として西洋でもよく知られているドストエフスキーは、このロシアの魂について多くのことを語っていますと。

西側社会はより実用的です。ロシア人はもっと、永遠についてとか道徳的価値について考えています。あなたは同意なさらないかもしれないけれど、西側の文化はより実用的なものを好むのです。

これが悪いことだと言っているのではありません。このことが、今日の「黄金の10億人」が、生産や科学の分野でさえも成功を収めることを可能にしているのです。悪いことではないのです。でも、私たちは見た目は同じように見えても、心の作りは少し違うということを私は言いたいのです。

タッカー・カールソン:
では、あなたは、超自然的なものが働いていると思いますか?今世界で起きていることを見渡して、神が働いているのを見ますか?人間にはない力が働いていると思うことはありますか?

ウラジーミル・プーチン:
いいえ、正直なところ、そうは思いません。私の考えでは、世界共同体の発展は固有の法則に従っており、その法則はあるがままのものです。人類の歴史上、常にそうでした。ある国や国民が台頭し、より強く、より豊かになり、そして国際舞台から去り、それまでの地位を失うのです。

例を挙げるまでもないでしょうが、チンギス・ハーンとモンゴル帝国に始まり、ローマ帝国で終わるかもしれません。人類史上、ローマ帝国のようなものはかつてなかったように思います。

とはいえ、蛮族の持つポテンシャルは徐々に高まり、人口も増えていきました。総じて蛮族は強くなり、今で言う経済的な発展を始めました。その結果、やがてローマ帝国は崩壊し、ローマ帝国による体制も崩壊しました。しかし、ローマ帝国が崩壊するまでには5世紀かかりました。今起きていることと違うのは、すべての変化がローマ時代よりもはるかに速いペースで起きているということです。

イーロン・マスクとAI

タッカー・カールソン:

では、人工知能の帝国はいつ始まると思いますか?

ウラジーミル・プーチン:
ハハハハ(笑)
あなたはますます複雑な質問をしてきますね。それに答えるには、大きな数字、ビッグデータ、AIの専門家でないと。

人類は現在、多くの脅威に直面しています。遺伝子研究の進歩によって、スーパーマン、特殊な人間を作り出すことができるようになりました。遺伝子操作されたアスリートとか、科学者とか、軍人とかね。

イーロン・マスクはすでにアメリカで人間の脳にチップを埋め込んだという話もあります。

タッカー・カールソン:
それについてどう思いますか?

ウラジーミル・プーチン:
まあ、イーロン・マスクを止められる人は誰もいません。彼はじぶんの好きなようにやるでしょう。
とはいえ、彼との共通基盤を見つけ、彼を説得する方法を探すべきです。彼は賢い人だと思います、本当にそう思います。ですから、このプロセスには何らかの枠組みとルールが必要だという点で、彼と合意に達する必要があります。人類は、核兵器の使用を誤れば人類が滅亡に追い込まれることに気づき、核兵器による存亡の危機を感じると、すべての核保有国は互いに歩み寄るようになりました。

かつて火薬の使用を止めることが不可能だったように、今日、遺伝学やAIの研究を止めることは不可能です。しかし、AIや遺伝学、その他の分野の奔放で無秩序な発展が脅威であることに気づけば、すぐに、これらを規制する方法について国際的な合意に達する時が来るでしょう。

投獄された米国人ジャーナリスト、エヴァン・ガーシュコヴィッチについて

タッカー・カールソン:
お時間をいただきありがとうございました。最後に1つだけお聞きしたいのですが、アメリカではとても有名な人についてです。ここではそうでもないでしょうが。
つまり、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者エヴァン・ガーシュコヴィッチです。彼は32歳で、ほぼ一年間刑務所に収監されています。これは米国で大きな話題になっています。あなたの言い分の詳細には立ち入らないことにしますが、何が起こったかについてあなたに直接お聞きしたいのです。良識の証としてあなたが彼を釈放し、彼が米国に戻ることは可能でしょうか?

ウラジーミル・プーチン:
私たちは、良識を重んじ、幾度も親善の意思を示してきましたが、もうそういったことはやるだけやったと思うのです。誰かが同じような態度を以て私たちに報いるのを見たことがありません。しかし、理論的には、私たちは、私たちのパートナーが互恵的な措置を取ればですが、私たちがそれを行う可能性を排除するものではありません。

私が「パートナー」というとき、それは第一に特務機関を指しています。特務機関は互いに連絡を取り合っており、当該の問題について話し合っています。私たちはこの問題を解決したいと思っていますが、特務機関のチャンネルを通じて、特定の条件について議論が行なわれています。

タッカー・カールソン:
つまり、典型的には、このようなことは何世紀にもわたって起こってきたということです。ある国が自国内で他国のスパイを捕まえ、他国にいる自国の諜報員と交換するのです。
しかし、こういうのは私には関係のないことですが、この問題はスパイの交換とは違うのです。この男は明らかにスパイではなく、ただの青年です。たぶん、彼は何らかの形で法を犯したのでしょう。でも、彼はスーパースパイではないんです。誰もが知っていることです。彼は人質を取られていて、交換の材料にされています。これは真実です、お言葉を返すようですが、それは真実であり、誰もがそれが真実であることを知っています。ですから、彼は別のカテゴリーに属しているのかもしれませんし、彼を解放する代わりに他の誰かを要求するのはフェアではないと思います。そうすることはロシアの品位を落とすことになると思います。

ウラジーミル・プーチン:
何をもって「スパイ」とするかについては、さまざまな解釈ができますが、法律で定められていることがあります。ある人が策謀を巡らせ、秘密情報を入手したとあれば、これはスパイ行為とみなされます。そして、それこそが彼のしていたことなのです。彼は機密情報を入手し、それを秘密裏に行ったのです。もしかしたら、彼はそのことに関与していたかもしれないし、誰かに引きずり込まれたかもしれない。あるいは不注意から、またあるいは自ら進んでそうしたのかもしれません。純粋な事実だけを考慮すれば、これはスパイ行為に該当します。彼が機密情報を受け取っていたときに現行犯逮捕されたことから、その事実が立証されました。もし、それが突飛な言い訳であったり、捏造であったり、立証されていないものであったなら、話は違っていたでしょう。しかし、機密情報をこっそり入手していたところを現行犯逮捕されたのです。これがスパイ行為では無いとしたら、では何だというのですか?

タッカー・カールソン:
では、あなたは彼が米国政府やNATOのために働いていたと言いたいのですか?それとも、持っているべきではない資料を渡されただけの記者だったと?これらは全く異なることに思えます。全く異なることです。

ウラジーミル・プーチン:
彼が誰のために働いていたのかは知りません。しかし、繰り返しお伝えしますが、機密情報を秘密裏に入手することはスパイ行為と呼ばれますし、そして、彼はアメリカの特務機関やその他の機関のために働いていました。 彼がモナコのために働いていたとは思えません。モナコはその情報を得ることにほとんど興味がないからです。いずれにせよ、合意に至るかどうかは、特務機関次第です。ある程度の土台はできましたから。私たちの見解では、特務機関とは関係のない人々もいます。

アメリカの同盟国で服役している人の話をしましょう。その人は愛国心から、ヨーロッパのある首都で悪党を排除しました。コーカサスでの出来事の間、その悪党が何をしていたか知っていますか?あまり言いたくないことですが、とにかく話しましょう。彼は捕虜になった私たちの兵士を道路に並べ、自分の車で彼らの頭を轢いたのです。こいつはいったいどんな人間なんですか?この者を人間と呼べるのでしょうか?しかし、ヨーロッパの首都のひとつでこの悪党を排除した愛国者がいました。彼が自分の意志でやったかどうかは別問題です。

タッカー・カールソン:
これは全く異なる話です、つまり、エヴァン・ガーシュコヴィッチ、32歳の新聞記者の話をしているんですよ。

ウラジーミル・プーチン:
ええ、彼がしたのは何か別のことです。

タッカー・カールソン:
彼はただのジャーナリストです。

ウラジーミル・プーチン:
彼はただのジャーナリストではありません。繰り返しますが、彼は機密情報を秘密裏に入手していたのです。

ええ、たしかにそれは違う話ですが、それでも、私が言っているのはどこの刑務所に収監されていようと本質的に米国当局に管理されている他の人々のことです。特務機関の間では現在も対話が続いています。この問題は冷静かつ責任あるプロフェッショナルな方法で解決されなければなりません。彼らは連絡を取り合っているので、彼らに仕事をさせてやってください。

あなたがおっしゃるガーシュコヴィッチ氏が祖国に戻る可能性は排除しません。結局のところ、彼をロシアの刑務所に閉じ込めておく意味はありませんから。私が米国の特務機関に考えていただきたいのは、私たちの特務機関が追求している目標に彼らがどれだけ貢献できるかということなのです。

私たちは対話の準備ができています。さらに、協議は進行中であり、このような協議が成功を収めた例は数多くあります。おそらく今回も成功するでしょう。いずれにせよ、合意に達する必要があります。

タッカー・カールソン:
彼を解放してくれることを願っています。大統領閣下、ありがとうございました!

ウラジーミル・プーチン:
私も、最終的には彼に祖国に帰ってもらいたいと思っていますよ。私は絶対に誠実です。しかし、もう一度言わせてください。対話は続いています。このような問題は、公にすればするほど解決が難しくなります。何事も落ちついて行わなければなりません。

タッカー・カールソン:
戦争についても同じことだと思います。つまり、もう一つ質問したいと思いますが、戦略的な理由でそう仰られたくないのかもしれませんが、しかし、ウクライナで起きていることがより大規模でより恐ろしいことに繋がると心配していますか?また、米国政府に電話して「妥協しようじゃないか」と言うことに、どれだけの意欲を持っていますか?

ウラジーミル・プーチン:
私はすでに、私たちは対話を拒否していないと言いました。交渉には応じます。交渉を拒んでいるのは西側の方です。そして、ウクライナは明らかにアメリカの衛星国です。それは明らかなことです。私が強い言葉や侮辱を求めているかのように受け取って欲しくはありませんが、あなたも私も何が起きているのか分かっているはずです。

720億ドルもの財政支援が行なわれました。ドイツが二位で、他のヨーロッパの国が続きます。数十億ドルがウクライナに流れています。武器も大量に流入しています。

こういう場合、あなた方は現在のウクライナの指導者に、この不条理な法令を撤回し、交渉のテーブルにつくよう言うべきです。私たちは交渉を拒否していません。

タッカー・カールソン:
そうですね、たしかに、あなたはすでに述べられました。侮辱のつもりで言ったとは思いませんでしたが、あなたは正しく言い当てました。つまり、元英国首相がバイデン政権に代わってウクライナの和平交渉を妨害したと報じられています。だからこそ私は、ウクライナのゼレンスキー大統領ではなく、このような決定を下しているバイデン政権と直接交渉することについて尋ねたのです。

ウラジーミル・プーチン:
ウクライナのゼレンスキー政権が交渉を拒否したのであれば、ワシントンの指示の下でそうしたのでしょう。ワシントンがそれを間違った決定だと考えるなら、それを放棄させ、誰も侮辱されないような巧妙な言い訳を見つけさせ、逃げ道を考えさせればいいのです。この決定を下したのは私たちではなく、彼らなのですから、彼らに撤回させればいいのです。それだけです。

しかしながら、彼らは間違った決断を下したのですから、私たちはこの状況を打開する道を探し出さねばなりません。彼らの過ちを正すためにね。彼らがやったことなのですから、彼ら自身に正させましょう。私たちはそれを支持します。

タッカー・カールソン:
あなたの言っていることを誤解していないか確認したいのですが、私は誤解などしていないと思いますが、つまりあなたは、ウクライナで起きていることについて、交渉による解決を望んでいるということですね。

ウラジーミル・プーチン:
その通りです。私たちはそれを成功させました。私たちはイスタンブールで膨大な文書を作成し、ウクライナ代表団の代表もそれに署名しました。彼は条約の抜粋、つまり条約全体ではなく抜粋に署名をしたのです。
彼は署名をした後、自らこう言いました。「私たちは署名する準備はできていました。そして戦争はずっと前に、18ヶ月前に終わっていたでしょう。しかし、ジョンソン首相がやってきて私たちに署名をやめるよう説得し、私たちはチャンスをのがしてしまいました」と。 ままあ、チャンスを逃したのは事実だし、過ちを犯したのも事実。だったら彼らがそこに戻ってやり直せばいい、それだけのことです。なぜ私たちが他人のミスをわざわざ訂正してやらなければならないのでしょうか?

それは私たちの過ちだと言う人がいるのはわかっています。事態を激化させたのは私たちで、武器を以て2014年にドンバスで始まった戦争に終止符を打つことを決めたのはも私たちです。

さらに歴史の話に戻りましょう。これについてはすでにお話ししましたし、私たちはちょうどそれについて話し合っていたところなのですが。 NATOは拡大しないと約束された1991年、NATOへの扉が開かれた2008年、そしてウクライナを中立国と宣言したウクライナ国家主権宣言まで遡ってみましょう。 NATOの基地、米軍基地そしてイギリス軍の基地がウクライナ領土に現れ始め、私たちにとって脅威となっているという事実に立ち返りましょう。 2014年のウクライナのクーデター立ち返りましょう。でも、それは無意味なことです。そうでしょう? 私たちは際限なく行ったり来たりを繰り返すのかもしれません。しかし、交渉を中断したのは彼らです。それは過ちでしょうか?ええ、そうです。では、その過ちを修正してください。私たちは準備ができていますよ。他に何が必要でしょうか?

タッカー・カールソン:
2年前にはウクライナの領土だったものをロシアが支配するということを受け入れるのは、NATOにとっては現時点ではあまりにも屈辱的なことだと思いますか?

ウラジーミル・プーチン:
私は、尊厳を維持しつつそれを行う方法を考えさせようと言いました。意志があれば選択肢は開かれています。

これまで彼らは、戦場でロシアに戦略的敗北を与えると喚き散らしました。しかし今では、ロシアの敗北というのは、可能性はあれど、困難であるということを認識しつつあるようです。私の意見では、ロシアが負けることは定義上不可能であり、決して実現することはありません。西側諸国の権力者たちも、そのことに気づき始めているように思えます。もしそうなら、もしそれに気づき始めたのなら、彼らは次に何をすべきかを考えなければなりません。私たちは対話の準備ができています。

タッカー・カールソン:
「おめでとう、NATO、君たちの勝ちだ!」という用意はありますか?現状維持というのは?

ウラジーミル・プーチン:
これは、誰もが避けている交渉の主題です。正確に言いますと、彼らは交渉を望んでいますが、肝心のやり方がわからないのです。私は彼らが望んでいることを知っています。私がそう思っているというだけでなく、実際に望んでいるのです。彼らが現在の状況を作り出したのです。私たちではありません。私たちのパートナー、私たちの敵対者がそうしたのです。
では、どうやって状況を逆転させるか、彼らに考えてもらいましょう。私たちはそれに反対しているわけではありません。こんなに悲しいことにならなかったら、笑い話にもなったでしょうが。

ウクライナにおけるこの終わりなき動員、ヒステリー、内政問題…遅かれ早かれ、すべてが合意に至るでしょう。現在の状況を考えれば、奇妙に聞こえるかもしれませんが、いずれにせよ両国民の関係は再構築されるでしょう。時間はかかりますが、関係は回復します。

非常に珍しい例を挙げましょう。戦場で戦闘が起こっていた時のことです。ウクライナ軍の兵士は包囲されていました。これは本当の話しですよ。私たちの兵士は彼らに向かって叫びました。「観念しろ!降伏するんだ!出てこい、そうすれば助かるぞ!」。突然、ウクライナ兵が「ロシア人は決して降伏しない!」とロシア語で、それも完璧なロシア語で叫び返したのです。彼らはみんな死にました。彼らは今でも自分たちをロシア人だと思っているのです。

現在ウクライナで起きていることは、いわば、内戦のようなものです。西側諸国の誰もが、ロシア人は憎しみによって永遠に分裂したと考えています。いいえ、それ違います。ロシア人は再統一されるでしょう。統一はまだそこにあるのです。

なぜウクライナ当局はウクライナ正教会を解体しようとしているのでしょうか?なぜなら、ウクライナ正教会は領土ではなく、私たちの魂を結びつけているからです。それを解体することは誰にもできません。

この辺で終わりにしましょうか。なにか他に質問はありますか?

タッカー・カールソン:
ありがとうございました、大統領。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?