見出し画像

食糧生産の歴史から、これからの時代に必要な価値観について考える

ベストセラーとなった『銃・病原菌・鉄』の著者で、カルフォルニア大学教授のジャレド・ダイアモンド博士が寄稿した新聞記事で、興味深い記事があった。

マスクの着用に関する日本人とアメリカ人の対応の違いを引き合いに、社会規範の厳しい国と、そうではないより緩く個人の権利や意思の自由を尊重する国の違いは、食糧生産の歴史的違いから生まれているという説だ。

日本ではマスクを付けることが個人の意思というよりも社会的常識として浸透しているが、アメリカでは個人の意思としていまだ「付ける/付けない」論争が各所で続いている。
日本ではかなり前から風邪予防としてマスクを付けることは一般化しているので、コロナ以降の話として述べられるのは少し違和感もあるが、マスクをつけずに堂々と歩いているアメリカからの中継映像などを見ていると、確かに日本の方がアメリカと比べて「マスクを付けることに対する集団圧力」のようなものが強く、日本人はそれをきちんと受け入れているようにも感じる。

自分自身、ワシントン州で過ごした小中学校時代と、日本での高校時代以降を思い返しても、アメリカでは常に「なにしてもいいけど”at your own risk”だよ」的なところがあった。
様々な行事において作法がはっきりしていて、それを逸脱することのない日本は、at your own riskであればなにしても良い雰囲気ではない。
その統率性と協調性が、日本の様々なサービスや文化行動に現れているのだという。
電車の時刻やタクシーのサービスレベルから、子どもの教室の掃除(確かにアメリカで教室を掃除したことはなかった…)まで、様々な活動に違いが生まれている。
どちらにも良さがあるので、日本の方が良いとかいう話ではない。
自分自身、アメリカの「自分勝手な行動に寛容な文化」は好きだ。

-----------------------------------------------------------------------------------

で、なんでここに食糧生産の話が出てくるのかというと、ダイアモンド博士の説はこうである。

1万年以上前から遡ると、農業は牧畜か農耕に分別されて発展してきた。
牧畜が中心だった社会では移動しながら定住することなく発展してきたが、農耕は田畑の近くに永住し、近隣の人々との間で社会が築かれた。
特にアジアなどは水田での稲作が中心で、水を引き入れるシステム構築やそれを可能にする里山の維持管理、刈り取りによる集団作業が必要なため、牧畜や、さらにはアメリカのような小麦栽培と比べても、より地域内での統率と協調が必要であった。
お互いの好き嫌いとは別に、協調し協力しなければ生きていけない条件が、アメリカやヨーロッパの食糧生産とは異なるのだという。

そしてこの食糧生産の歴史から生まれた文化が脈々と引き継がれ、現代における社会規範を特徴づけていて、それぞれの国や地域の人が取る行動の元になっているのだそうだ。

このダイヤモンド博士の論は、都市部での生活から出てみると良くわかる。
僕が住む富士見町でも、日本のその他の地域同様に、市町村合併があった以前から集落があり、そこで代々住む人が田んぼを受け継ぎ、水を引き入れるために山や川を整備し、里山を管理するために村のみんなで出払いをし、家の修繕や収穫作業のために“結”や“となり組”といった行動様式があり、いまでもそれは各地区で残っている。
町の歴史について研究している方にお話を伺った際も、「昔は農村だったしコメ作りと畑が全てだったので、全ての習わしは村の農業から来ていると言ってもいい」という言葉が印象的だった。

もちろんいまは農村ではないし、会社で働くサラリーマンが圧倒的に多くなったこの町は、いまの現代社会と同じく、かつてのような統率性や協調性は薄まっている。
が、それでも稲作文化を根源とした地域秩序、あるいは集団秩序の維持管理は、ここ富士見町、そして日本全体で脈々と受け継がれている。

-----------------------------------------------------------------------------------

稲作から生まれたのが現代の社会規範だとすると、弥生時代が今の自分たちの行動様式につながっているということだろうか?
考古学の専門家ではないので専門的なことを語れるわけではないが、ここでふと単純な疑問として浮かぶのは、弥生時代の前にあった縄文時代からはなにも受け継いではいないのだろうか?ということ。
弥生時代よりもはるかに長い1万5千年もの長い期間続いた時代は、後期におけるトランジションはあったものの、弥生時代とは違う食糧生産が行われていた。
だとすると、社会規範も、弥生時代とはずいぶん違ったのかもしれない。

近年、縄文時代の文化が注目され、「縄文型ビジネス」といったビジネス本まで出るくらいだが、野生動物の狩猟から山の栗やクルミの採集、海の漁をしながら集団生活を続けた縄文時代は、争いも少なく、圧倒的な存在である「自然」のサイクルの中の一部だという価値観のもとに生きていた、と言われている。
弥生時代は自分たちが所属する“集団の秩序”を重んじていたのなら、縄文時代は自分たちが所属する“自然の秩序”に従って生きる、といった感じか。

この縄文時代における自然の秩序に従って生きるという価値観は、現代で求められるサステナブルな生き方にとって、良い教科書であると言える。
自分たちが立っている土台は自然であり、その土台無しでは生きていくことができない。自然に対して今以上になす術がなかった縄文時代の人の生き方は、自然に争うことなく、自然からいただけるものを頂きながら生活するという生き方であり、自然を切り開いて構築した水田を中心に作り上げた村社会(そして現代)の生き方とは、大きく異なる。

-----------------------------------------------------------------------------------

無から食料を人工的に製造できる技術が進まないかぎり、食料を与えてくれるのは土台となる地球環境だ。
その地球環境が持続できなくなってきている今、自分たちの行動様式を変えるには、自分たちの社会規範を作り上げてきた食糧生産の歴史よりもさらに深いところまで潜って見直さないといけないのかもしれない。


“集団秩序”ではなく“自然秩序”。そんなふうに考えてみると、未来を考える上ではるか昔のことを知るのも大事なのだなと思えてくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?