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移動と二拠点での活動がもたらす価値の捉え方

「イノベーション」という言葉を最初に定義したのは経済学者のシュンペーターだ。
「技術革新」という変な翻訳になってしまったために技術的なものがないとイノベーション、イノベーティブだと言ってはいけないような風潮もいまだにあるようだが、商品やサービス、市場、供給源、組織などの分野においてこれまでにない新しさがあれば、だいたいイノベーションというカテゴリーに入る(ざっくりだが)。

問題はイノベーションをどう生み出すのかで、新しい物事を生み出すには既存のやり方に沿っていては何も生まれず、これまでやったことのない方法などを取り入れないと、イノベーティブと呼ばれるものはできない。既存の方法や設計書通りに作ることは、イノベーションとはある意味真逆と見ることもできる。

これまでやったことのない方法を取り入れるには、早い話、うまくいくかよく分からないことにトライしてみる他ない(だけじゃないかもしれないが)。
そのためには、自分自身を閉じることなくオープンであり続け、偶発的に起こる事象や出会いに敏感であり続け、それを自分自身の取り組みや社会的ニーズ&課題、もしくは自分の周りの仲間とどう結びつけられるか、直観的な感覚を研ぎ澄ます必要がある。

話が少し逸れるが、僕自身はあまり「伝統」という言葉を使うことが好きではない。物事を長く続けることは好きだし、歴史を作っていくことの大切さもわかってはいるが、「伝統」という言葉を押し出し、変わらないことやクローズドな環境を作ることを美化する風潮が横行すると、それはいずれなくなるのではないか。
時には環境変化に応じて劇的に変える「伝統」があってもいいのではないかと思う。もし続けることに意味があるのだとしたら、その時代や環境にフィットさえしていけば、形や方法はなんでもよくて、とにかく続けばいいのではないか?そんな風に思える地方地域の「伝統」も少なくない。

今週参加した、友人が主催する交流イベントにて、締めの挨拶である人がこんなことを言っていた。

「イノベーションは、今まで出会ったことのない知が出会うことで起きやすくなる。」

「例えば会社組織であれば、社内の組織同士が遠ければ遠いほど、うまく繋がった時に大きなイノベーションが生まれやすい。そういった偶発的で“弱いつながり”を作っていくことが大切。」

出会ったことのない知が出会うこと。そしてその知が遠ければ遠いほど、出会った時の影響力が強い。
とすると、“二拠点の移動”は、結局のところ、イノベーションを生み出すために必要なことなのだなと考えられる。

毎週、長野と東京を行き来することは何につながっているのか?
これまでは「アイデアが生まれやすい」くらいの答えしか持ち合わせていなかった。
が、移動することで物理的に離れた人と会い、お互いの知を交換する。これはお互いが持つ価値の交換という捉え方もできる。お互いがまだ見聞きしたことのない情報は、相手にとって価値になる。その価値交換を繰り返しながら、自身の取り組みに柔軟に活かせるかが、イノベーティブな行為なのだろう。

毎週のように移動する中で、色々な人に出会う。
いつもの仲間。旧友。初めて出会う人。人だけでなく、情報や物質的なものなど五感で得られるものも含めると、実に色々な未知の価値に出会っていることになる。

自分自身を閉じることなくオープンであり続け、偶発的に起こる事象や出会いに敏感であり続けることは簡単ではないかもしれないが、自分自身のライフスタイルが何を生み出しやすくしているのか?
そんな風に考えると、二拠点、多拠点というライフスタイルを、もっと楽しむことができそうだ。

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