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【本を薦める記事】夏目漱石『漱石人生論集』

本書は題名のとおり、夏目漱石が人生や人間というものについて書いた文章を集めているものだ。
編者の出久根達郎が言うように「漱石の作品のすべてが人生を論じている」が、本書では小説以外の文章、具体的には雑誌や新聞への寄稿文、講演や談話の記録、手紙やメモなどを対象にしている。

その中から個人的に「良いな」と思った部分について見ていきたい。


漱石は日本を代表する文豪だけれど、大学卒業後は学校の英語教師などをしていた。専業作家になるのは41歳の時だ。
そして、大学時代や教師生活の間は、ずっと自分の人生について思い悩んでいたようだ。この辺りの葛藤が本書ではよく出てくる。

私は大学で英文学という専門をやりました。その英文学というものはどんなものかと御尋ねになるかも知れませんが、それを三年専攻した私にも何が何だかまあ夢中だったのです。
(中略)兎に角三年勉強して、遂に文学は解らずじまいだったのです。
(「私の個人主義」『漱石人生論集』P53~54)

漱石は、英文学が何であるかを理解できないまま大学を卒業。大学院に在籍しながら、東京の高等師範学校で英語を教えていた。しかし翌々年には愛媛の松山中学に行くことになる。
この「都落ち」にも色々な事情があったようだ。狩野亨吉宛の書簡で、その目的が語られている。

――世の中は下等である。人を馬鹿にしている。汚い奴が他と云う事を顧慮せずして衆を恃み勢いに乗じて失礼千万なことをしている。こんな所には居りたくない。
だから田舎へ行ってもっと美しく生活しよう――これが大なる目的であった。
(「狩野亨吉宛書簡」『漱石人生論集』P159)

東京で何があったのか。漱石は詳しく語っていないが、とにかくより美しい生活を求めて漱石は松山、その後は熊本で教師生活を続ける。
しかし、美しい生活を夢見た田舎でも、東京と同じように不愉快なことからは逃れられなかった。また東京では自分がいないのを良いことに、汚い奴がますます増長している。
そんな状況の中、空虚な気持ちと不愉快な煮え切らない感情を腹の中に抱えながら、教師として役割を日々どうにかこなしていた。
その時の心の内をこう語っている。

私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、と云って何をして好いか少しも見当が付かない。私は丁度霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。(中略)
私は私の手にただ一本の錐さえあれば何処か一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥り抜いたのですが、生憎その錐は人から与えられる事もなく、又自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝な日を送ったのであります。
(「私の個人主義」『漱石人生論集』P55)

私もそうだが、
「これが自分のしたいことなのか?」という迷いを持ち、それでも特別したいことが見つからず、ただ目の前の仕事をこなすだけの日々を送っている人は少なくないのではないだろうか。

しかし漱石は、英国留学をきっかけに「自己本位」という考えを得ることで、生涯をかけて取り組むべきことを見つけることができた。
英文学の発祥であるはずのロンドンで勉強しても、結局漱石は「文学とは何か」という答えを見つけられなかった。教えてくれる人も書物も、ロンドン中を探し回っても見つからなかったのだ。
そこで漱石は一つの結論に到達する。

この時私は初めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自分で作り上げるより外に、私を救う途はないのだと悟ったのです。
今迄は全く他人本位で、根のない浮き草のように、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事にようやく気が付いたのです。
(「私の個人主義」『漱石人生論集』P56)

英国の文学の真似事をし、西洋人が評価する文学や詩を無批判に肯定する。そのような態度を漱石は「他人本位」であると言う。
自分自身の感覚で評価し、自分の頭で考える。そういった「自己本位」こそが重要なのだと悟った。
そして本人の言うように、文学とは何かを生涯考え続け、作品として世の中に問うていった。

他人の意見や知識を鵜呑みにして受け売りを語る。
このような事はついついやってしまいがちだが、漱石の言うように、自分の価値観や自分の意見を持ち、自分の言葉で表現することが重要なのだと思う。

漱石は、自身のこれまでの経験をふまえ、後年の講演で「ひたすらやってみることが大切」なのだと言っている。

どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。いけないというのは、もし掘りあてる事ができなかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。(中略)
ああここにおれの進むべき道があった!漸く掘り当てた!
こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。
既にその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄のために懊悩している方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったら良かろうと思うのです。
(「私の個人主義」『漱石人生論集』P61~62)

自分のやりたいことを見つけ、それを生涯の事業にする。
やりたいことが見つからなければ、見つかるまでひたすらやってみる。
こんな心持で自分の人生を送りたいものだ。

しかし、やる気になって物事に取りかかろうと思っても、なかなか前に進まないことが多い。
そんなときにはどうすれば良いか、漱石の言葉がヒントになると思う。

無暗にあせってはいけません。ただ牛のように図々しく進んで行くのが大事です。
(「久米正雄・芥川龍之介宛書簡」『漱石人生論集』P185)
あせってはいけません。頭を悪くしてはいけません。根気ずくでお出でなさい。
世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。
うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。決して相手を拵えてそれを押しちゃ不可ません。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうして吾々を悩ませます。
牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。
(「芥川龍之介・久米正雄宛書簡」『漱石人生論集』P190)

漱石は「牛になれ」と言う。
牛のように、一歩一歩やるべきことを着実に積み重ねていく。
相手を見つけて競争するのではない。相手を気にせず、周りに流されず、自分が必要だと思うことを愚直にやっていく。
そんな精神で日々を送っていくことが大事なのだと言っている。

正直、漱石の文学作品は斜に構えていると言うか、厭世的で卑屈な雰囲気がしてあまり好きではない。
しかし、漱石ほど人間や人生を真剣に見つめて、がっぷり四つでそれらと格闘した作家はいないと思う。

そのような漱石の思想の断片に触れることのできる良書。
今の我々が得られることは多いと思う。

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