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カラオケが苦手な人に知ってほしい「カラオケのトリレンマ」理論

「カラオケがどうも好きになれない」
「できれば二次会でカラオケは避けたい」

こんな思いを抱いている人は少なくないと思う。

よくある理由は、「人前で歌うのが苦手」とか「歌が下手で恥ずかしい」といったものだろう。しかし、実はもっと根本的な理由があるのではないか?

こうした問題意識のもと、私はカラオケの本質について、長年にわたり考察を重ねてきた(大嘘)

そしてついに、一つの理論を構築することに成功した。
これを「カラオケのトリレンマ」と名付けたい。

この記事では、カラオケに対する苦手意識の根本的要因である「カラオケのトリレンマ」理論について、私の実体験を踏まえながら解説する。
そして、どうすればこのトリレンマを抜け出し、カラオケを楽しむことができるのか考えてみたい。

「カラオケのトリレンマ」とは?

まず、トリレンマとは何かについて説明しなければならない。

トリレンマとは、「三つの条件のうち、二つまでしか同時には満たせない状態」を指す(有名なのは「固定為替相場」「資本移動の自由」「金融政策の独立」のうち、二つしか満たせないという「国際金融のトリレンマ」だろう)。

カラオケのトリレンマで登場する条件は、次の三つだ。

①皆が知っていて、盛り上がれる曲
②自分が歌える曲
③自分が好きな曲

この三つを同時に満たせる曲は実際のところほとんどない、というのが「カラオケのトリレンマ」である。

ただし、これには成立条件がある。歌い手が「世間一般でいうところのヒット曲をあまり聴かない(あるいは好かない)」という、面倒くさい性格・嗜好の持ち主であるという点だ。

特に
・「人とはちょっと違う趣味を演出したい」「ミーハーは悪」といった観念にとらわれたサブカル勢
・マニアックな音楽的趣味を持つオタク
・大して良さがわからないのにカッコつけて昔の洋楽ばかり聴いている中二病患者

といった面々は要注意だ(私はこの3つをそれなりに満たしている、あるいはかつて満たしていた)。

「カラオケのトリレンマ」を踏まえると、①(皆が知っていて、盛り上がれる曲)と②(自分が歌える曲)を満たす場合、「自分の好きな曲ではない」ことになる。

自分が好きで、かつ歌える曲の場合、「皆が知っていて、盛り上がれる曲」の条件を満たせなくなる。

そして皆が知っていて盛り上がることができ、かつ自分が好きな曲の場合、「自分が歌えない」ことになる。

オタクやサブカル勢や中2病患者の方々は、思い当たる節があるのではないだろうか。

たとえば、(職場の付き合いなどで)アラサー世代のリア充的メンツが多いカラオケの場に居合わせてしまったとき、あなたは湘南〇風を歌えるか?
中学時代の「懐メロ」を歌おうというノリになったとき、オレンジレ〇ジやEX〇LEや大〇愛を歌えるか?
たぶん無理だろう。

くだらないプライドが邪魔をし、さらに中学時代の恥辱にまみれた記憶までよみがえり、体が拒否反応を起こすはずだ。

私の場合、困ったときはとりあえずミスチルを歌っておく。①、②、③を全て満たす、数少ないアーティストだからだ(ミスチル万歳!)。

ただし、天下のミスチルでも、用法用量を守ったうえで、適切な選曲をしないと大惨事を引き起こす。
間違っても『深海』や『ボレロ』あたりからダークな曲(「シーラカンス」とか「ALIVE」とか)をチョイスしてはならない(個人的には大好きなのだが)。

その時期(90年代中頃~終わり頃)のミスチルの曲なら「シーソーゲーム」や「名もなき詩」あたりが無難だろう。ミスチルの90年代~2000年代の代表曲さえ歌えれば、現在の20代後半から40代あたりはカバーできる。

年長世代、たとえばバブル世代とカラオケに行くなら、山下達郎やユーミンあたりを歌うようにしている。人によっては「おっ、こいつセンスがいいな」と思ってもらえる可能性もある。

しかし、これだけだといかんせんレパートリーが少ない。さらに歌うのが難しいという難点もある(②(自分が歌える曲)を満たせない可能性があるということだ)。

それに、これはあくまでも私の趣味を踏まえた個人的な戦略だ。誰もが知っているメジャーな曲は一切聴かない、下手をすると知らないという「ガチ勢」もいるだろう。
その場合、「カラオケのトリレンマ」はより強固なものとなる。

「カラオケのトリレンマ」の解決策

では、そんなガチ勢が「カラオケのトリレンマ」を解消し、自分も他の参加者も楽しく歌うためにはどうすれば良いのか。
以下でいくつかの解決策を示したい。

1.好きな曲をひたすら歌う会を催す

コンセプトを決めたうえで、それに乗っかってくれる人と行く作戦である。
これなら一切気を遣うことなく、皆が思う存分歌える。win-winの関係だ。

それに、自分が知らない曲を他人が歌っていると、「この人こんな音楽が好きなのか」という発見もあり、意外と面白い。

そのため、音楽の趣味が近い人と行く必要は必ずしもない。ただし、あまりにも知らない曲を聴き続けていると退屈する可能性もあるので、少人数でいくのがベター。

2.音楽の趣味が近い人とカラオケに行く

最初からメンバーを厳選する方法だ。

これも1と同様、周りに気を遣う必要がない。たとえば同年代のサブカル好きだけで行けば、異様な盛り上がりを見せるだろう(「おお!ゆらゆら帝国が好きとはわかっているじゃないか!」みたいな)。

ただし、自分の趣味があまりにもマイナーだと、「同志」を見つけるのに苦労するのが難点だ。

3.①(皆が知っていて盛り上がれる)と③(好きな曲)を満たす曲を歌えるよう練習する

皆が知っていて、かつ自分も好きな曲があればそれに越したことはない。しかし、歌うのが非常に難しい場合もある。

そういうとき、難しかろうが何だろうが、とにかく練習しまくって歌えるようにするのがこの作戦だ。努力と根性で道を切り開く「昭和の体育会的」戦略である。

私の場合、Queenの『ボヘミアンラプソディー』を(中盤のオペラも含め)歌えるようにするため、血のにじむ(?)努力を積み重ねた。

Queenなら老若男女問わず知っており、私自身も大好きであり、なおかつそれなりに独自色も出せる(ボヘミアンラプソディーを歌う奴なんてほとんどいないので)。まさにQueen様様だ。

「好きな歌を歌いたい」というわがままを押し通すためには、多少の努力は必要なのである。

4.自分の趣味やこだわりを捨て、その場にいる人が盛り上がれる曲をマスターする

おそらくこれが、日本全国のサラリーマン社会や合コンの場で繰り広げられている光景だろう。

自分のちっぽけなプライドや趣味など捨ててしまい、その場で最適な曲をチョイスすることに全力を注ぐ。そしてどんなメンバーとカラオケに行っても楽しめるよう、世代や性別・趣味別に最適だと思われる曲をリストアップし、最低限歌えるよう訓練する。

自意識過剰な「私」を押し殺すことが、生き馬の目を抜く現代社会を生き抜くうえで必要なときもある。

だが、そうなると結局、トリレンマの③(自分が好きな曲)を満たせなくなるので、解決策にはなっていないかもしれない。

もちろん、どうしても嫌なら「ノリの悪いヤツ」と思われるのを承知で参加しない手もある。

おわりに

本稿はあくまでも、「カラオケのトリレンマ」理論に関する序説である。
本格的な考察や実証は、今後の研究を待つ必要がある。

正直なところ、現状ではツッコミどころが多々ある「ガバガバ理論」であることは否めない。

しかし、ロマンのある理論だと思っている。たとえばこんなことが起こるかもしれないからだ。

研究を重ね、理論の精緻化に成功

一般向けの本を出版、メディアで取り上げられる

オタクやサブカル勢等の精神に安定と自信をもたらす

我が国の文化・芸術レベルが向上する

その功績をたたえられ、文化勲章授与

夢は膨らむばかりだ。


【あとがき】
馬鹿げたことを大真面目に考え、書くのは疲れるということがよくわかった。けれど気が向いたときには、こんなアホなこともまた書こうかと思う。


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