流れる紅葉

銀行の思い出

 まだ小学校低学年の頃、祖父のお供で近くの銀行にいくことがありました。

 「お供」の理由は、銀行に預金をするとオマケを貰えることがあって、そのオマケが「ソフビ人形」だったり「ノート」だったり「鉛筆」だったりしたときに、わたしを喜ばそうとして連れていってくれたのだと思います。

 大きくて重くて子供のチカラでは開けそうもない扉を祖父が押すと、その隙間からわたしが先に滑り込みます。その様子は散歩に出るときに家のドアが開くのが待ちきれない犬みたいで、なんであんなに急いで入りたかったのか、いま考えると笑ってしまいます。
 行内は木の床に塗られたワックスのせいで、通っていた小学校と同じニオイがします。視界の左側には背の高い分厚い黒塗りの木製のカウンターがあり、子供の目線からは巨大な壁がそそり立っているように見えました。その壁の奥には大きな金庫があり、人の身長ほどもある大きな扉がついていました。背の高いカウンターと大きな金庫の間で、難しい顔をした行員がたくさん働いていました。カウンターの向こう側の床は一段高くなっていて、窓口の行員が客を見下ろしながら客の要件を聞いていました。人数は多いのに会話は少なくて、書類をめくる音や足音で賑やかだった記憶があります。
 入り口から一番遠い隅には二階に上がる階段があって。薄暗い照明に照らされた階段の上には子供が入ってはいけない雰囲気がありました。
 大人になったわたしはその銀行に口座を持つことがなく、その銀行に用事がなければその方面にいくこともなく、たまに建物の前を通り過ぎるだけで何十年の歳月が流れました。

 先日、実家の母に頼まれた用事を片付けにその銀行にいきました。
 建て直したことは気づいてはいたのですが、たまにクルマで前を通っても建物を良く見ることはなかったので、今回は隅々まで新しい建物をみてみました。外観はプレハブに限りなく近い、良くいえばハイカラな山小屋にみえないこともない平屋の建物で、室内は個人経営のクルマディーラーのような造りになっていました。子供の頃の記憶にある重々しさは全くありません。そうそう、銀行名も軽い名前に変わっていました。
 昼過ぎの行内はとても静かで、待合室にあるTVから流れる朝ドラの再放送のナレーションが良く聞こえました。この時にわたしが見かけた行員は3名。ちなみにわたしの前には客はおらず、わたしが用事を片付けている間に来た客は1名。
 朝ドラが終わる頃まで、わたしは待合室の椅子に座って行内を眺めていました。

 昔の面影がまったく無くなってしまったことに少しがっかりしたのですが、その銀行にいかなければ祖父との思い出が蘇ることも無かったので、来て良かったと思いながら家路につきました。

お立ち寄りいただきありがとうございます。お暇な時間ができたら、また寄っていただければ嬉しいです。