俺は超ハートフル人間なんだよ

「えんたくさんって本当に人間に興味ないよね」

最近は毎月1回ぐらい言われる気がする。

「まーそうかも」とその場では言いつつも、


"俺、超ハートフル人間なんだけどなぁ。"


そうしみじみと思う。
それをその相手に納得してもらうつもりもない。
その人からはそう見えているだけだ。

他者と比べて、俺のほうがハートフルかどうかじゃない。
誰に何を言われようがかわらない。
きっとその人の周りには、その人基準の俺よりも、
『もっと人間に興味がある人』が近くにいるのだろう。

最近知人が言ってたことを思い出す。
「人に興味があるゆえに人にイライラしてしまう。」

それは本当に人に興味があるんだろうか。
自分と違う人間を自分の尺度だけで測っていないだろうか。
かく言う俺も、距離が近くなればやはり人に対して思うことはある。

ただ、自分を主張するには、タイミングが早い人がいると思う。
なぜ理解しきれない他者に対する感情が"怒り"なのだろう。
疑問を疑問として置いておけばもっと楽だろうに。
「不思議だな〜、いつかわかる日が来るだろうか」
ぐらいに思いたい。

ネットが普及して、いろんなことが効率化された世の中だけど、人の心はそう簡単には効率化されない。
正しく他者を認識する前に悪い断定をしてしまうのは、むしろ自分の首を絞めていると思う。

人と繋がれる可能性の芽を摘んでしまっているわけだから。

人と繋がるシチュエーションで今1番多いのはアルバイトだ。
新人と何度も対峙したけれど、俺はおそらく怒ったことがない。
自信を持って言えるけども、
俺の意図が伝わってなかった、なんてことは日常茶飯事だ。

ただ、コミュニケーションで少し心掛けていることはある。

過失は、誰にでもあること。

相手の経験則から出てくる機微には、俺が想像もしていない相手の文脈が存在していること。

相手に違和感を感じたら、悪い断定ではなく、自分が納得できる相手の筋書きを考えること。

コミュニケーションにおいて、一方が悪いことなんてないということ。

怒鳴れば、そこからはコミュニケーションの一切が崩壊すること。

本当に嫌だと思った相手なら、それでも関わってないといけない状況にしてしまった俺の落ち度であること。

自分で言うのもあれだけど、結構人間のことを考えてると思っている。

プライベートではどうしても自分の時間を優先するけどね。
俺自身の機微や文脈について考えた方が相手を推し量る材料になるから。

自分がなぜそう思ったか、なぜそう言ったか、そんな日常的な機微ですらじっくり考えてみれば解釈するのが難しい。

自分自身の心の流れもわからない人間が誰かを理解できるとは思わない。
自分自身を愛せない人間が、到底自分とは違う人間を愛せるとは思わない。

だから不特定多数の相手の機微を気にしている余裕なんてない。
じっくりと自分と大切にしたい他者とを熟考するほうが大事だ。

それでやっぱり自分の好みと合わないとか、居心地が悪いとか、何か相手から思惑が透けて見えて引いてしまったり。
そんなことは別にある。

相手からしてみれば、じっくりやっていこうというスタンスそのものが『人間に興味がない人』と捉えられることもあるんだろう。
ただ、俺はここにいるだけで、相手が勝手に離れていく分にはなんの問題もない。

冷たいと思われるかもしれないが、
俺は、俺のことを好きと言ってくれる俺の好きな人と、たまに卓を挟んで会話できればいい。

付かず離れずの距離で
なんの損得感情もなくて
いつでも話そうと思えば話せて
どんな話も語ったり、議論し合える。
そう簡単にこんな関係になれるとは思っていない。

だから仲の良さというのも人によってグラデーションがある。
似たような基準を持っている人なら分かりあうのは早いし深いだろう。
逆に、現状それ以上先には踏み込まないほうがうまく行く関係もあるだろう。
それをじっくりと考えたい。

いま大事にしたい人たちの方が優先順位は高いし、まだ知り合って浅い人には、心のない薄情者だと勘違いされることがあるだろう。
そう思われたとしても、自分が人と関わる上で大切だと思うことを崩すつもりはない。


なにか人と繋がっている感覚は嬉しい。
相手もそう思っていたら尚嬉しい。

これって超ハートフルだよなぁ?

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