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【what is fashion?③】学科長は私に学校を辞めるべきと笑顔で言った。 〜妊娠期前編


こんにちは、最近の趣味は魚を捌くことです。

今日は前回、前々回の続きで、女性が自分を見失いやすい妊娠出産編です。

自分を見失うことが、ファッションにどう繋がるのか?を紐解いていきます。


と、その前に私の妊娠出産の話をしていこうとおもいます。

なぜなら私自身が自分を見失う経験をしているからです、その理由と経緯。



まず、私は2度の出産をしています。

最初の妊娠は私が一番アパレルの仕事に力を入れていた時です。当時は福岡で一人暮らしをしてました。

ファッションスタイリングで誰にも負けたくない、いつか自分のブランドを絶対に作るんだと服飾学校に通いながらアパレル企業で働いていました。

仕事は勉強させてくださいと頼み 最低賃金で雇ってもらった。

学校では製作授業があるので作品を作るための材料費がかかる。

その為 土日はイタリアンレストランでウェイターのアルバイト。(クッソ厳しいけど尊敬できる店長だった、この経験が今も生きている)寝る暇はほとんどありませんでした。

当然 同じ年の同級生は10代後半〜20代前半を謳歌していましたが私はほとんど遊びを経験していません。

ファッションの世界に夢中だったんです。

そんな時に私は妊娠しました。

最初の感じたのは 絶望です。

この先が真っ暗に見えました。全ての努力が予想しなかった出来事によって白紙にされたような気分。



すごくすごく、悩みました。産むのか産まないのか?

悩んだ結果、今の私は自分の夢を諦めることができないと考えました。


そして自分の中で答えを決めた後、初めて病院に行った日。 


忘れられない初エコー。

小さなドラえもんみたいな生き物がお腹の中で動いてました。心臓の音を聞き、そら豆くらいの大きさなこと、もう手が見え始めてることを知りました。

「妊娠していますね」

私のやっぱりな。という顔を見て病院の先生が心配するように

「産みますか?それとも。。」と話し終わる前に 産みます。と答えました。


私のそれまでの答えを180度変えてしまうくらい 自分の中にある別の心音は愛おしくてたまらなかった。


その後、学校へ 学科長に妊娠したことを伝えました。

自分でいうのもアレですが、成績もよく単位も取れていたので、

ほとんど通学しなくても卒業可能なことを聞きました。万が一 必須科目の通学が難しくても休学できると。


でも、私は辞める決断をしました。学科長は安心した顔をして


服飾学校を卒業したからって、それにはなんの意味もない。学校を出ないとアパレルの仕事が出来ないという決まりもない。いくつになっても自分次第でアパレルはできる、自分で作ればいい。そんなの簡単よ。」

「それに仕事は誰かが変わりにできる、でもその子を産んであげれるのはあなたしかいない。世界中の誰一人としてあなたに変わることは出来ない

「あなたが産んだ子が世界を変える大統領になるかもしれない、大きくならなくても誰かを愛して誰かを救う存在になる。」

「あなたは学校を辞めるべきよ。今 あなたがする事は意味のない卒業にこだわらないで、その子を安全に産む事。」


そう言って笑顔で退学することをすすめてくれました。

会社へは社長に報告。少し困った顔をした。

「ごめんね、私は子供が産めない体質だから100パーセントあなたの心情や体の変化の事を分かってあげれない。だから安定期までと言わず、すぐに退社して安全に産みなさい。子供が生まれたら抱かせてね。」

「若くて大変だと思う、辛い事もあると思う、でも人生は長い。夢を諦めなくていいと思う。自分の仕事を持つには店舗だけじゃない、オンラインもこれからもっと普及するし色んなサービスが生まれてくる。だからファッションの仕事はここだけじゃないからね。」


昔から私は思うことがある。

私に関わってくれる人や縁がある人は 本当にいいきっかけや素晴らしい人ばかりだ。

だから私は一旦、子供を産んで落ち着くまでは自分の夢を保存しておくことにした。

それは簡単なようで難しいことだと のちに経験した。

その後 人生全てにおいて自信を無くしたんです。


(後編に続く)




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Kazumi okada 岡田香寿美/ファッションスタイリスト/専門学校講師
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