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『生きてて偉い』って、ナメてんのか?

自己肯定感を上げるには、まず褒める事から。
それは、うん、そうだと思う。
子供の頃はあんまり褒められた記憶が無い。
俺の自己肯定感がドン底なのはその辺りがあるかも知れない。
褒められたい、けどどうしたら褒められるか分からない。
成功体験と褒めが結びついてない訳だ。

だから褒める文化ってのが芽生えてるのは良い。
しかし……こう、何と言うか。
生きてて偉い、仕事に行って偉い、風呂に入れて偉い……
そんな出来て当然の事を褒める風潮を目にする。
いや、それ違くないです???

そりゃあ人間、メンタルがベッキベキに壊れる時もある。
動きたくない、飯も嫌だし風呂もヤダ。
何なら息するのも煩わしい。そんな時だってある。
そんな時に風呂入って偉いとか生きてて偉いと言われたら
「わー、生きてるだけでいいんだー」
と落ち着く事はある……のかも知れない。でもさ。
なぁ、褒めるってそう言う事じゃなくない?

めちゃめちゃ頑張った。
仕事に行った事じゃなく、案件を取った事。
棚卸しを捌き切った事。クレームを乗り切った事。
ミスの軌道修正をどうにかやり終えた事。
見てくれ! 俺こんな事めっちゃ頑張った!
そんな時の褒め言葉が「仕事行って偉い」だった日にはため息が出る。
そうじゃないんだよなーってがっかりする。

解像度の低い褒めは露骨なまでに分かりやすい。
投げやりと言うか。褒めとけばいいかみたいな。
努力した内容や結果を褒めて欲しいのであって、
やったと言う事実を褒めて欲しい訳じゃないんだよ。
そこの理解が薄いと、おざなりになってしまう。
褒める側ってのも、実にセンスが必要なポジションなんだよね。

変な褒め方するくらいなら、バカ話しようや。
酒飲んでさ。からあげクンでもつまみながらさ。
何も求めないから、毒にも薬にもならない話をしようぜ。
その方が心が軽くなる気がするよ。

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