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労働契約の最低基準効としての労働基準法と特別刑法としての労働基準法

労働基準法には2つの顔があります。一つは、労使間の労働契約の権利義務に関する最低基準効としての顔。もう一つは違反した使用者に対する刑事罰を科す特別刑法としての顔です。

労使間の労働契約の最低基準効とは、労働契約の内容となる労働条件について、労働基準法で定める基準を下回る部分については強制的に労働基準法で定める基準に引き上げられるということです。

例えば、労使間の個別の労働契約で、労働者が法定労働時間を超える労働、いわゆる残業を行った場合の賃金について、割増をせず通常の賃金を支払うとなっていた場合、たとえ労使間で合意の上でそういった労働契約が締結されていたとしても、割増をしないという部分が無効となり、2割5分の割合による割増手当(残業手当)を支払う内容に強制されることになります。

このように、契約の当事者間で決めた契約の内容が、法律で定める基準に満たない場合に、その満たない部分を無効として法律で定める基準に強制的に引上げる効力を、最低基準効といいます。

労働基準法には13条で最低基準効が規定されており、私人間(労使間)の契約の自由を規制しています。私人間の契約について最低基準を設けているということで、労働基準法は民法の特別法であるといえます。

労働基準法のもう一つの顔は、特別刑法としての顔です。労働基準法に違反する使用者に対しては、労働基準法違反として、裁判所の判決により罰金や懲役刑といった刑罰を科すことができます。労働基準法違反で多いのは、賃金の不払い(24条違反)ですが、これに対する刑罰は30万円以下の罰金と規定されています(法第119条)。もっとも、賃金を全額支払っていない使用者は、当然に最低賃金も支払っていないということになります。こうった場合は労基法第24条違反と最低賃金法第4条違反とが競合します。競合する場合には、最低賃金法第4条違反が優先することになります。その理由は最低賃金法第4条違反に係る刑罰は50万円以下の罰金(最賃法第40条)と規定されており、最低賃金法違反の方が労働基準法違反よりも罰金の額が大きい(罪が重い)からです。そういった意味で最低賃金法は労働基準法に優先するので労働基準法の特別法といえます。なお最低賃金法にも最低基準効があります(最賃法第4条2項)。

さて、人のある行為が刑罰の対象となるかどうかの判断については一般に次のような観点で判断します。
①刑罰を科す法律がある(これを「罪刑法定主義」といいます。)
②人の行為が処罰に値する程度に違法と評価されるものである(可罰的違法性)
③人の行為が違法と評価できる場合にその人の行為についてその人に責任がある(有責性)
④その人の行為が法律で定める要件(これを「構成要件」といいます。)に該当する

ある使用者の行為が特別刑法である労働基準法に違反するかどうかについても概ね上の4つの基準に当てはめて判断することになります。

労働基準監督署の労働基準監督官が、労働基準法違反かどうかを判断する際、構成要件に該当する事実の有無を調べて、構成要件に該当する事実があるという場合に、まずは行政指導(是正勧告)を行います。そして、法違反の状態が是正されない事業場の使用者に対しては、可罰的違法性の程度や有責性の程度などを考慮して、検察に送致(送検)し、送検を受けた検察が起訴するかどうかを判断することになります。

ところで、労働基準監督署に相談し場合によっては申告して、労働基準監督署の使用者に対する調査や指導を期待する労働者の多くは、これによって労働者自身の未払となっている賃金の支払いや、即時解雇であれば解雇予告手当の支払いを実現することが目的です。しかし、労働基準監督署が調査して、法違反を確認して使用者に対し行政指導を行ったとしても、使用者がこれに応じないとか、指導の内容に異議を唱える、または構成要件に該当する具体的事実を確認できず労働基準監督署による行政指導にまでは至らなかった、というような場合、労働者がどうしても賃金を支払ってほしい、又は解雇予告手当を支払ってほしいと考える場合、労働者は、裁判所に提訴するなどの民事上の請求等より紛争の解決を図ることになります。

民事上の請求は、労働者が労使間の労働契約上の権利の存在を主張することになるのですが、先に述べたように、労働契約の内容が労働基準法で定める基準を下回る場合には、労働基準法で定める基準が労働契約の内容となるので、労働者の労働契約上の権利の存在は結局労働基準法上の権利の存在を主張することになります。つまり、労働基準法で定める権利の発生を認める要件に該当する具体的事実(要件事実)を主張することになります。

労働基準監督署が事業場の法違反を確認する場合の労働基準法の適用は、法違反を構成する要件とこれに当てはまる事実の存在です。これに対して労働者の使用者に対する民事上の請求の場合の労働基準法の適用は、法律上の権利の発生を根拠付ける要件に該当する事実の存在です。そうするとここで疑問が生じます。労働基準法の、特別刑法として法違反を構成する要件と、民法の特別法として民事上の請求の権利の発生を根拠付ける要件とは同じなのかということです。

例えば、労基法第20条の解雇予告に関する規定です。
労基法第20条は、使用者が労働者を解雇する場合、解雇予告除外認定事由に該当場合を除いては、30日以上前までに解雇予告をするか即時解雇する場合には平均賃金の30日分の解雇予告手当を支払わなければならない旨、規定しています。
特別刑法として見た場合の労基法第20条は、即時解雇した場合に解雇を通知した時点で解雇予告手当を支払っていなければ、そこで法違反となり刑罰の対象となります(実際にはこの程度のことで送検されることはありませんが、告訴の対象とはなります。)。
これに対して民事上の請求の観点から民法の特別法として見た場合の労基法第20条の解釈は、解雇の効力という点から、即時解雇した場合にその時点で解雇予告手当の支払いがなされていない場合、未だ解雇の効力は発生していないと解されます。こういった場合解雇の効力がいつ発生するのかというと、使用者が労働者に解雇予告手当を支払った時点、あるいは使用者が即時解雇に拘らない場合には即時解雇を通知した日から30日を経過した日と解されています(最高裁第二小法廷 昭和35.3.11判決「細谷服装事件」)。
そうすると、労働者が使用者に対して、解雇予告手当の支払いを求めるという行為は、厳密にいえば、法的に根拠のない請求ということになります。なぜならば、使用者が労働者を即時解雇したときに、解雇予告手当を支払っていなければ、解雇の効力が発生せず、解雇の効力が発生しない以上、労使間の労働契約は継続していることになるからです。では使用者から即時解雇を通知され、かつ解雇予告手当の支払いがなされていない労働者には、どういった権利があるのでしょうか。おそらく民法第536条2項に基づく解雇予告期間中の賃金支払い請求権があるということになるのではないでしょうか。民法536条2項は債務者の危険負担に関する規定です。この規定を労働契約に当てはめて言うと、使用者の責に帰すべき事由によって労働者が労働できなかった場合には、使用者は労働者に対する、労働者の労働できなかった日にかかる賃金の支払いを拒むことができないということになります。使用者が労働者に解雇予告手当を支払うことなく即時解雇を通知したという事実は使用者の責に帰すべき事由に該当する事実ですから、労働者は使用者に対する賃金支払い請求権を有し、使用者はこれを拒むことができないということです。

労基法第20条のほかにも、私が特別刑法としての労働基準法と、民法の特別法としての労働基準法とで同一条文でも要件の違いを感じるのは、労基法第26条の休業手当についてです。

特別刑法としての労基法第26条の構成要件は、(確認をしてはいないので恐らくという範囲でですが)労働者の労働日に使用者の責に帰すべき事由により労働者を休業させたこと、当該労働日にかかる賃金支払い日に休業日にかかる休業手当を支払わなかったこと、以上ではないかと考えます。そうすると、労働者の労働日が特定できず休業手当を支払っていない場合には、26条違反を問えないということになります。昨今の新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、いわゆるパートタイム労働者やアルバイトといった労働者のシフトが減らされたというようなケースでは、労働基準監督署は労基法第26条違反を問うことはありません。しかし、労使間の権利義務という民事上の契約の観点からいうと、労働者の労働日を特定できなくとも、過去の労働者の就労日数等により、1か月あたりの(平均)労働日数を推定できる場合は、その推定できた労働日数と実際に就労した労働日数との差の日数分についても、使用者は労働者に支払うべきということが言え、実際、使用者に対して労働者に休業手当の支払いを命じた下級審の例もあるようです。

上述したほかにも労働基準法の各条文については、同様の違いが多数あるのではないでしょうか。

文責 社会保険労務士おくむらおふぃす 奥村隆信
http://e-roumukanri.link/


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