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社畜もいつか死ぬ①~社畜ゾンビの殺し方

2011年11月3日発行 ロウドウジンVol.3 所収

 2011年10月5日、多くの人々に惜しまれながらこの世の「生」を全うし「死」の世界に旅立っていったひとりのカリスマがいる。アップルコンピュータの創始者にして常に歴史の最前線に立ち続けた男、スティーブ・ジョブズである。いくら人類を超越するような比類なき才能の持ち主であれ、死は平等に訪れる。われわれはジョブズの死を見つめる過程で、次の言葉を発見した。それは2005年のスタンフォード大学卒業式典でのスピーチ「You've got to find what you love.」の中の一節だ。

I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know Ineed to change something.
わたしは毎朝、鏡の中の自分に問いかける。「もし今日が人生最後の日だったら、今日することは本当に自分がしたいことなのか?」その答えが「ノー」だった場合、わたしは思う。……転職しよう、と。(超訳)

 ここには現代社会に生きる上での重要なヒントが提示されている。しかしその実践は社畜度の高い現代日本の労働人(ロウドウジン)にとって、現実的には不可能だ。なぜなら、社畜にはそんなことを考えている暇があったら、目の前の業務をさっさと処理するほかないからである。死がかつてに比べて縁遠いものになったのは事実である。しかし死は必ず万人に訪れる。そのような社畜の思考形式から、社畜を次のように定義することが可能だろう。

   社畜=「死」を忘れた人間

 社畜のそのような態度は、意識的なものであれ無意識的なものであれ、死という最大にして不可避な目標を隠蔽しているといえるだろう。さらに「死を忘れること」は逆説的に「生を忘れること」だと換言できる。すなわち社畜は生きることも死ぬこともできない、あやふやな存在なのだ。

 本誌『ロウドウジン』Vol.3は「死」を特集テーマにお届けする。キャッチフレーズは「社畜もいつか死ぬ」だ。社畜という死なない身体を殺すための方法について、反社会人サークルとしてのひとつのモデルを提示したい。それは同時に社畜が「生きる」ための方法になるはずだから。

社畜ゾンビの殺し方


 社畜は逃れられない「死」を隠蔽すること、すなわち「死を忘れる」ことにより、逆説的に「生を忘れる」と前述した。これは社畜がゾンビであることと同義である。ゾンビは生きても死んでもいない。ただそこに「在る」だけだ。デイヴィッド・チャーマーズによる「哲学的ゾンビ」という表現もあるが、社畜はまさしくその状態である。社畜は物理的には人間と区別することができない。しかし彼らにはクオリア(意識)がまったくない。ゾンビとなった社畜たちは今日も廃墟的なコンクリートジャングルを背筋をピンと伸ばして闊歩している。一般人からは豊かにみえるかもしれないその光景だが、根底に流れる世紀末感には救いがない。

 ゾンビとしての社畜、死なない/死ねないゾンビをいかにして殺せば良いのか。『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968)をはじめとするゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロであれば、ゾンビの頭部をショットガンで撃ち抜けば良い、と言うかもしれない。しかしわれわれは社畜ゾンビを物理的に殺したいわけではない。前号(特集:震災)でも主張していたように、社畜にも反社会人を夢見る権利はあるのだ。

 まずはじめに社畜ゾンビたちが創り上げてきた廃墟的象徴をみていこう。そこには社畜ゾンビを殺すためのヒントが隠されているかもしれない。

シャッター商店街

 ゾンビ状態の社畜のもたらしたゾンビ的な意匠はあらゆるところに遍在する。郊外のみならず都市部においても頻繁にみられる例として「シャッター商店街」があげられる。これは商店が閉鎖し、シャッターが降りたまま放置されている廃墟商店街のことである。そこには様々な要因が複雑に絡み合っていると考えられている。しかし端的に言えば、これは社畜の所業であると言わざるを得ない。具体的に説明しよう。

 シャッター商店街には代表的な原因として①1970年代のモータリゼーションによるライフスタイルの変化、②2000年の大規模小売店舗法改正による大規模ショッピングモールの乱立、③高度経済成長期世代からの後継者問題などがある。しかし、シャッター商店街の最大の問題は、シャッター商店街がシャッター商店街のまま残存している点にある。

 社畜ゾンビは己の生死を忘れると同時に、相手の生死も忘れてしまう。つまり大規模ショッピングモールを盲目的に盛り上げる一方で、商店街自体を物理的に潰す=殺すことは原理的に不可能なのだ。その結果生まれたのが寒々としたシャッター商店街である。ゾンビに噛まれた者がゾンビになるように、商店街はゾンビ化した。ゾンビは感染するのだ。

 これは一例に過ぎない。周囲を見渡せば似たようなゾンビ的な意匠が転がっているだろう。細心の注意が必要だ。

まだまだあるぞ!ゾンビの世界!
世の中の生産性を著しく低下させるプロダクト・サービス。
社畜の作り出す世界はゾンビの世界だ!

①公共事業
「国のお金なんだから、少しでも仕事を増やすことで、社の利潤を大きくしよう」という発想で生まれた誰も通らない田舎の道路。使うことにではなく、作ることに意義があるのだ。異議は認めない。

②ソーシャルゲーム
猿のようにボタンを連打することで自己顕示欲が満たされる魔法のゲーム。同時に課金が発生していることは忘れたふりをしよう! ……『怪盗ロ○イヤル』はとんでもないものを盗んでいきました。日本の、生産性です!

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