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嫌われる勇気

2021年初note。今年もよろしくお願いします。

書こう書こうと思っていながらもなかなか書けなかったのだが、昨日のコーチング約束をしてしまったので、寝起きのぼーっとした頭で書いてみようと思う。

昨日配信されたばかりのヒゲダンの新曲(UNIVERSE)を聞いてテンションを上げながら。

書く前に、もう少し今年は、長文志向ではなく、短めをこまめに出していけるようになりたいかな。だから今回も、頑張って短く書こうと思う。


ここ最近考えていること。

僕が時々感じる生きづらさはいったい何だろう。

僕は昔から、年に何回か気分が落ち込む時が周期的に訪れるのだけど、そのたびに思考がネガティブになって、ちょっと荒ぶって、それで後悔をして、それが過ぎるのを待つことしかできなかった。

でも僕としても毎度そう鬱っぽくなるのも、同じようにしか振舞えないのも嫌だし、そろそろ何とかしたいなと思うのだ。


僕がバイブルとする『嫌われる勇気』には「すべての悩みは対人関係の悩みである」というフレーズが出てくるのだが、自分の生きづらさを紐解いていくと、まさに「対人関係」がその根源にあった。

有難いことに、今自分が関わっている人たちとの関係の上で苦しい思いや嫌な感情を抱くことはほとんどない。

それなのに僕が生きづらさを感じるのはなぜだろうと考えた時に、

何かよくできた宣伝みたいになってしまうけれど、自分の中に「誰からも嫌われたくない」という目的があることに気付いたのだ。

この本を読んで5~6年が経ち、少しずつ自分自身が変わってきたと思っていたのに、根本のところは変わっていないとは、、、

と打ちひしがれたくもなるが、自分はダメだなぁと思っているだけでは前には進めないので、この現状はしっかり受け止めようと思う。

僕は誰からも嫌われたくないのだ。


でも、それは僕が本当に求めているものではない。

誰からも嫌われないようにするためには、相手の価値観や考えに合わせたり、相手の感情や反応を予測しながら行動することが必要だ。

その時自分の行動は、自分の気持ちに嘘をつくか、自分の気持ちに蓋をするかのどちらかになる。

どちらにせよ、本当の自分を周りに知られなくなるから、確かに人には嫌われないかもしれないけれど、その反面、心から誰かに好きになってもらうこともない。

人でもモノでも、本当に何かを好きになるには、その本質まで触れることが不可欠だから。

つまり、嫌われないようなライフスタイルというのは、自分が不自由であるだけでなく、自分が好かれなくなる可能性が高いということだ。

「嫌われない=好かれる」ではない。


本当の自分を露わにすれば、当然それをよく思わない人はいるだろうし、自分から離れていく人もいるだろうとは思う。

だけど、きっとそういう人とは端から相性が良くないのだから、気にする必要なんてないのだ。

相性の良くない人と一生を共にするつもりなんて僕にはない。

それならとことん自分に正直になって、自分を出して、本当に僕と相性の良い、僕が大切にしたいと思える人に出会えた方がきっと幸せだ。


「嫌われる勇気」という言葉は、独り歩きして「積極的に嫌われにいこう」と誤解されることが多いけれど、本当の意味は「他者から嫌われることを怖れるな」ということだ。

それはつまり、本当の自分でありのままに生きることによって、誰かには嫌われてしまうかもしれないけれど、自由に生きることもできるし、誰かに心から好きになってもらえるということなのだ。


もしもあなたが異を唱えることによって崩れてしまう程度の関係なら、そんな関係など最初から結ぶ必要などない。こちらから捨ててしまってかまわない。関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。(『嫌われる勇気』より)

この言葉が、今の自分に突き刺さる。


八方美人はやめよう。必要以上に優しくするのをやめよう。人の目や反応を気にするのはやめよう。自分の範疇に無いことをあれこれを考えすぎるのはやめよう。

やりたいことをやろう。言いたいことを言おう。嫌なことは嫌だと言おう。好きなものは好きだと伝えよう。自分をもっと出したいように出そう。今も十分出しているように見えているかもしれないけど、だったらもっと出してやろう。嫌われる勇気を持とう。そして好きになってもらおう。


一気に全部は難しくても、少しずつでいいから。

もっと自由に、生きよう。



※写真は、2016年末に訪れたカンボジアのプレアヴィヒアにて。

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