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【エルデンリング】レナラの子供たちはダークソウルのセルフオマージュ

本題

以下、エルデンリングの終盤に関する重大なネタバレを一部含むため、注意されたし。

月の女王レナラはラダゴンと結婚し、ラダーン・ラニ・ライカードの三人の子供をもうけた。
星砕きのラダーンはケイリッドにある赤獅子城の城主であり、ラニは月の王女と呼ばれ、リエーニエのカーリアの城館を抜けた先にいる。ライカードは蛇の化け物と化したおぞましい姿で現れる。みなデミゴッドである。

実はこれらの子供たちは、その父であるラダーンも含め、ダークソウルのセルフオマージュの要素を含む。それはグウィン王とその三人の子供に対するオマージュである。

ラダーンはデミゴッド最強の戦士であるが、その性質は太陽の長子に似ている。太陽の長子は雷を司り、嵐の古竜を友とする嵐の神であったが、ラダーンは重力の魔術を操り、流星を一人で押しとどめていた。ともに天から降るものを操るという点でも共通点があると言っていいだろう。おまけにばさばさの蓬髪という外見上の類似もある。

ラニは月の王女であるが、三きょうだいの中で唯一の女性であり、太陽の王女グウィネヴィアと対比をなしている。

ライカードは蛇の姿だが、暗月の神にして影の太陽と呼ばれる美しき男神グウィンドリンは、下半身が複数の蛇で構成されている。

そして父たるラダゴンは、物語の最後に褪せ人の前に立ちはだかり、グウィン王もまた不死の英雄にとって最後の試練となる。

以上がセルフオマージュと判断できる箇所である。まあ、似てるよね!というだけで、絶対こうだという主張ではない。


余談:グウィンの子供たちと日本神話の三貴士について

余談だが、グウィンの三人の子供は日本神話における三貴士のオマージュである。三貴士とは、イザナキノミコトが自ら生んだ三人の子供、アマテラス、ツクヨミ、スサノヲの三神である。

太陽の長子は雷と嵐の神である。嵐を司るのは竜の方だが、彼らは一心同体であり、後半では彼自身が嵐の力を振るう。神話学的には長子自身が嵐の神であると考えてよいだろう。太陽の神の跡を継げなかったのも、彼の本質が太陽を隠す嵐だったからと考えられる。雷は雷雲から放たれるからだ。
スサノヲもまた嵐の神と解釈されることがある。その名前が「すさぶ」に由来すると解釈されること、また古事記の「神やらひ」において泣きわめいた際に山々の木々が枯れ果ててしまったことが嵐の様を表していると解釈されることなどが根拠である。

グウィネヴィアは太陽の王女である。その力は癒しと恵みをもたらす優しき力、太陽の温かさを象徴する女神である。
アマテラスはご存じの通り太陽の女神であり、皇祖神とされている。その性質は優しく、スサノヲの乱暴な振る舞いに恐れ、洞窟に隠れてしまう。また日本書紀のウケモチノカミの神話では五穀などの起源に関わっている。

グウィンドリンは暗月の神である。同じくツクヨミもまた月の神である。グウィンドリンは姿を隠しているが、ツクヨミは活躍に欠け、神話にはあまり登場しない。アマテラスとスサノヲの陰に隠れていると言えるだろう。

以上のことからグウィンの三人の子供は三貴士のオマージュと判断できる。まあ、似てるよね!というだけで、絶対そうだという主張ではない。

余談の余談1:太陽の神と雷の関係について

グウィン王は太陽の神だが、なぜ彼が雷を操るのか疑問に思ったことはないだろうか。それは神話的には、雷が太陽の放つ火だとされることがあるからである。グウィン王は太陽の激しい面、生物を撃ち滅ぼす熱の面を象徴する太陽の神であり、王女グウィネヴィアとは異なる太陽の相を持っている。

余談の余談2:月の神と蛇の関係について

暗月の神グウィンドリンの下半身が蛇なのはなぜか、疑問に思ったことがあるだろうか。実は月と蛇には神話的に深いつながりがある。というのも、どちらも不死の象徴である。特に沖縄神話ではこの二つの要素が不死性によってはっきり結びついている。
「変若水(おちみず)」と呼ばれる不死の水を、月の神が持っているという神話が、日本と沖縄に残っている(日本の場合はツクヨミ)。この「変若水」はもちろん、SEKIROで出たあの水である。沖縄では、しかしその水を蛇が盗んで浴びたことにより、蛇は不死となったとされている。
月は満ち欠けを繰り返すことが再生あるいは不死の性質を連想させ、蛇は脱皮を繰り返すために不死であると信じられた。

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