幼少期3

前回の続き
前回と同じように、差別、犯罪、暴力描写が含まれているとともに、身元が検索されないよう、一部フェイクを使用する場合があるので、予めご了承をいただきたい。

國ちゃんの家に出入りするようなると、國ちゃんと同じ習いごとをさせて貰った。
少年野球とバレーボールだ。
私は、運動能力だけは長けていたので、どちらも数ヶ月後には、上級生に混じって試合に出させてもらえるようになった。
とりわけ、バレーボールは、痩せてはいたものの頭ひとつ背が高かったため、期待された。
テルちゃんは、状況を判断した動作が難しかった。例えば、フライの落下点を予測できない。また声が出せないのもあり、練習の参加が叶わなくなったが、ボール拾いやボール渡し、練習前後の準備や片付けは、誰よりも率先してやり、監督や大人達に褒められていた。
練習後は、やはり自分もやりたかったのだろう、日が暮れるまでキャッチボールをしたのを覚えている。
小学6年になったある日、今でも鮮明に覚えていることがある。
母に連れて来られた男が「この人が新しいお父さんだ」と紹介された。今の父だ。
これに関しては幾人かの例があったので特段何とも思わなかった。
母はこう続けた。もうすぐ赤ちゃんが産まれ、私達は兄になるのだと嬉しそうに言った。
非常に強いショックを受けた。
母にもっと構って欲しかった、もっと甘えたかった、色んな話がしたかった、褒めてもらいたかったが、もうそれは叶わないのだと。
この男と大きくなっていた腹の子に、母を盗られた気がして、胸の奥がギュッと締め付けられた。
義父は、私とテルちゃんに懸命に話しをしてくれたが、私達は口を聞かなかった。
その夜、同じ布団で寝るテルちゃんを背に、声を出すまいと布団を噛んで泣いた。
異変に気づき、起きてきたテルちゃんに、
「お腹痛いんか?」と聞かれ、
黙っていたら、薬箱から正露丸を持ってきたので、頭を叩いて戻させた。
こうして義父が家に住むようになり、12歳下の弟が誕生したが、私達二人は、國ちゃんの家に通い続け、眠るときだけ帰宅するという生活を続けていた。
習い事の応援など、母は一度も来たことは無かったが、義父は足繁く通い、声援をおくってくれた。しかし私は、頑なに義父には心を開かず、最低限の言葉しか交わさなかった。
私は、自分の気持ちを伝えるのが今でも苦手だ。特に〇〇をして欲しいといった、欲する気持ちがなかなか言えない。
言っても、どうせ叶わない。
言ったら、嫌われるのでないか。
それならば、言わなければいい。
我慢すればいい。
といった考え方がこの頃には完成されていたのかも知れない。

やがて、地元の中学校に進学した。中学生活にはいくつもの楽しみや夢があった。
まず、テルちゃんから離れられること。
休み時間や登下校時、好きな友だちと過ごせることや、女の子との登下校に強い憧れを持っていた。もうテルちゃんの面倒を見なくても良い。付きまとわれることもなく、好きなことが出来る。そう考えていた。
次に、恭子ちゃんが、学校でも見れること。
國ちゃんの姉、恭子ちゃんは二学年上であったため、同じ中学に在籍していた。
夜は同じ屋根の下で、勉強を教わり、遊びやゲームに興じてはいたが、私の初恋の人である。
恭子ちゃんがこのブログを見ないことを切に願う。
入学後は、國ちゃんと同じバレーボール部に入部し、バレー部伝統の丸坊主を余儀なくされた。府下では強豪校として知られた厳しい部活動だった。
入学して直ぐの頃、ある違和感を覚えた。先生や上級生の私に対する目が違うのだ。
それは、二人の兄に由来する。兄二人は、地元でも素行が悪い不良として有名だった。
度々、その組織の厄介になっていた兄達の影響もあり、マークされていたのだろう。
しかし、多少喧嘩っ早い気性はあったが、兄達とは違った、丸坊主のひょろ長い風貌もあってか、そのマークが解けるのも早かった。
部活動の顧問、朝山先生は熱血漢で非常に厳しいが人情味のある良い先生だった。
國ちゃんの店の常連で、私達の近所にひとり暮らしをしている、酒と女に弱い先生で、奥さんとお子さんはおらず、酒に酔うと、
「靴買いに行って、帰ってきよらへんねや」
という面白くない冗談を言う人だった。
私は男親を知らなかったせいか、朝山先生越しに父親像を重ねた。
朝山先生から部活中は、期待もあってか毎日殴られた。世が世なら教師は続けていられなかっただろうが、そういう時代だった。
学校で、恭子ちゃんを見かける機会が度々あった。彼女を目で追った。毎日会ってはいるが、好きなものは仕方がない。
しかしある日、彼氏とおぼしき男子と手を繋いで嬉しそうにしている恭子ちゃんを見掛けた。
胸の奥がギュッとした。
別にどうのこうのと進展を望んではいなかったが、夢破れた瞬間だった。
それ以降、恭子ちゃんを直視できなくなった。
また、ちょうどその頃、國ちゃんに彼女が出来た。背の低い優しい女の子だった。
國ちゃんの話す、女子はとても柔らかく、良い匂いがする、といった話を興味津々に聞いていた。思春期真っ盛り、女の子の話ばかりしていた気がする。
しかし、この男は、何十年経った現在も思春期が継続しているようだ、というのはまた別の話。。
次に続きます。

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