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小説『ハケンさん/上』

派遣Aが死んだ。
派遣Aは私の恋人だった。
派遣Aはとにかく優しい男だった。
「ちょっと頭が痛いんだ」仕事帰りに掛けた電話で、寝室で横になってるから晩御飯が出来た辺りで起こしてくれと頼まれた私が、駅前のスーパーマーケットでレバニラ炒めの材料と朝食用のパンを買い込み帰宅した時には、彼はもう既に冷たくなっていた。
派遣Aの名前は倉持侑大。私の前では倉持侑大。とにかく優しい男だった。


私たちは日雇い派遣の仕事で生活をしていて、度々仕事で一緒になるうちに付き合うようになった。私が毎月の家賃の支払いに困窮しているのを知ると、彼は私のアパートに転がり込んできた。、一緒に住んで家賃を折半すれば、お互い少しは家計が楽になるだろうと言ってくれた。派遣先で一週間ぶっ通しでダンボール箱を組み立てたり潰したりを繰り返し、腱鞘炎を悪化させていた私の手を労るように擦りながら彼はそう言ってくれた。
私は喜んで受け入れた。経済的な援助云々が目当てでなくても、私は彼のそんなところが好きだった。五つも年下なのにしっかりしていて優しい彼が好きだった。少しでも私より早く帰った時には、彼は先にご飯を作って待っていてくれた。私の仕事がない時には私の分まで働いて生活費を工面してくれた。
そんな優しい彼氏、倉持侑大は、私たちがいつも二人で潜り込んで眠る淡いピンク色の布団の中で、襟元が伸びて外着にはもう使えなくなったとぼやいていた大好きなガンズ・アンド・ローゼスの長袖Tシャツを寝間着に、誰もいない部屋でひとり、倉持侑大として死んでいた。
救急車を呼ぶとパトカーも来た。病院以外の場所で人が亡くなった場合、不審死として医者が死亡原因を判定する必要があるからだそうだ。死因は後から聞かされたのだが、急性のくも膜下出血だった。過労が原因だろうとも言われた。
私が警察官から事情を聞かれている最中、侑大の携帯電話が鳴った。登録している派遣会社からだった。派遣Aが夜勤の現場に現れないが休むつもりなのか、休むなら前日までに連絡して来いと矢継ぎ早に言われた。この季節の夜勤の仕事は企業などの事務所移転の仕事が多い。依頼元の業務が終わる夜の八時頃から机や椅子などを運び出し、トラックに載せる。トラックが出発すると、自分たちは追いかけるように電車で移動し、引っ越し先で待ち構えて荷物を下ろす。話を聞いているだけでも結構キツそうだなと思う。それでも手慣れたメンバーでこなすと予定時間より早く終わることもあるんだと楽しそうに話していた。そんな仕事に穴を空けて申し訳ないという思いが一瞬顔を覗かせたが、すぐ様この事務員はこんな時に何を空気の読めないことを捲し立ててるんだという苛立ちがそれを打ち消した。そもそも日雇いの仕事に楽な仕事など滅多にない。男女雇用均等法のお蔭で重い、キツい、汚いも男女平等が当たり前になった。侑大もパッと見は少し猫背のもやしみたいな男だが、脱ぐと上半身はアスリートのような筋肉が包んでいた。顔も普通、背も普通。けれども、その胸板に顔を埋めて発達した上腕二頭筋に抱かれると、少し埃っぽいような働き盛りの熱を持った男の匂いに、自分が年上の、今にも中年層に片脚を突っ込こもうとしている年増女だなんてことは忘れてしまえた。侑大もそんな私を可愛いと言ってくれた。可愛いと言って抱いてくれた。セックスも殊の外特別なことをするわけでもないが、ギターで鍛えた指先が器用に動いて私はそれだけで充分満足出来ていた。バンドをやっていたという若い頃はきっとモテたのだろう。ガンズ・アンド・ローゼスのシャツと、彼の宝物だという蝶の標本と共に大切に私のアパートに持ち込まれたエレキギターはその頃の名残だった。名残といっても、彼はまだ夢を捨てていたわけではない。バンド自体は解散してしまったけれども、時々は知り合いのステージに呼ばれて演奏して見せることはあったようだ。またメンバーを集められたらバンドをやりたい。俺はきっと大器晩成型なんだ。チャンスはこれから来るのかもしれない。同棲する前に、そんなことを言っていたような気がする。随分前のことだ。
私たちは同棲後、一度避妊に失敗したことがある。私たちのような貧しい日雇い生活者でも一丁前に懐妊するのだ。青褪めた私と市販の妊娠検査薬を前に、彼は肩を震わせて土下座した。目にいっぱい涙を溜めて黙りこむ侑大を私はその時、情けない奴と思った。安直に土下座なんてして欲しくなかった。この男は何に怯えているのだ。私だって年も年だし、こんな貧しい生活しか営めない自分が人類一人を育て上げる自信なんて欠片もなかった。だからここで彼に頭を下げられたら私はこの目の前の善人と、何も知らない罪のない子の両者を背負って悪となる。そのことが悔しくて、私は唇を強く噛み締めた。
翌日、仕事から帰るなり、彼は私を散歩に誘った。片手にギターケースを携えた侑大と行ったのは川べりの広い公園だった。時間はもう遅くて、人っ子一人いない公園のベンチで彼はギターを取り出し弾き始めた。最初はゆったりとしたブルースを。そして、なんという曲かは知らないが、ハードロックの速弾き部分を何度も何度も繰り返し弾き続けた。アンプも電源も繋いでいないエレキギターは乾いた音で弦を震えさせる。侑大は一度もこちらを見る事もなく俯いたままで指を動かした。私も侑大のそんな顔を見るのが忍びなくて彼の手元だけを見つめていた。忙しなく動く彼の左手を見ているうちに下半身が熱くなってきた自分をバカだと思った。何度も何度も弦の上を滑る指からはやがて血が滲んできた。それでも手を止めることなく彼はギターをかき鳴らし続ける。擦り切れたピックが弦を切るまで彼はギターを弾き続けた。多分、一生分弾いたんじゃないかというところで時報のように弦が弾け飛んで音も止んだ。その頃には、私の頬は涙でずぶ濡れになっていた。翌日、部屋からはギターが消え、私はそのお金で子供を堕した。
侑大の死を報せると、コーディネーターがすぐさまアパートまでやって来て状況を把握し、彼の実家に連絡をしてくれた。和歌山から倉持侑大の兄だと名乗る男性が迎えに来た。私は彼を見て、あぁと思った。侑大がバンドを始めるきっかけになった人だ。この人の高校時代のバンド活動に刺激されて侑大はギターを始めた。今では如何にも地方の農家のオジサンといった風情だが、ズボンのベルト通しと尻ポケットの長財布とを繋ぐ太い鎖が唯一のロッカーとしての尊厳といったところか。夢を諦めた彼はジャラジャラと腰の鎖を鳴らしつつ、最期まで諦めることのなかった躯を故郷へと連れ帰った。



四十二歳。鏡の中の私の顔は、水色の薄汚れたタイルを背景に表情を見失っていた。鏡の中のこの顔は、巡り廻った走馬灯の終着点だ。私にはそう思える。
あの、侑大の、冷たく固くなりかかった皮膚の感触にも似た鏡の中の視線から目を逸らし、白いフードキャップとマスクを直すと私は作業場へ入った。
今日の仕事は、以前から週に何度かレギュラーに近い形で派遣されて来た洋菓子工場での単純作業だ。同棲していた恋人が亡くなったからといっていつまでも仕事を休んでいられるような、そんな悠長な立場ではなかった。
立場。そう、私たちは日雇いという立場から抜け出すことが出来ずに生活をしていたのだが、実のところ、一緒に住むようになってからは、その壁を打破しようとふたりで僅かずつでも出し合い、貯金をしていた。
私たち日雇い派遣にはその日その日に日当が付く。事務所で登録をして、電話で翌日の仕事を貰えれば、仕事帰りに事務所へ寄って、その日の給与を受け取ることが出来る。だから急な用立てには重宝するが、これですべての生計を賄おうとすると落とし穴が現れる。大抵の企業というのは社員でもアルバイトでも給料の締日というのがあって、それから十日後や半月後なりに給料日となるのが一般的だろう。しかし、日銭で暮らしている私たち日雇い派遣が後先考えずにそちらの給与システムの会社に移った場合、一か月、下手をすれば二か月近く無収入で生活しなくてはならなくなる。これが日雇い生活から抜け出られなくなる落とし穴だ。ただそれには単純な対策がある。あらかじめ一か月分ぐらいの生活費を作っておけばいいのだ。私たちはその微々たる収入の中から、税金の支払いや国民健康保険料を払い、アパートの契約更新や風呂釜故障などの急な出費に泣かされながらもこつこつと貯金を始めた。
「三十万貯まったら、俺が定職に就く」と彼は言った。
「私は?」
「俺の仕事が安定したらさ、そしたらさ」彼はちょっと間を置いて、ちょっと口ごもるようにして、結婚しようと言った。
四十を過ぎた嫁(い)き遅れ女へのプロポーズだった。中絶させた責任という意味もあったのかも知れないが、奇特な男だと思った。それでも、「独身は身軽でいいよ」などと嘯いていた者が、そろそろ老後の自分を危惧し始めていた頃の、突如キラキラと天から星屑が舞い降りたような、そんな瞬間だった。
貯金は二十五万八千まで貯まっていた。
「あと少しだね」などと目を輝かせていた私に気を遣ったのだろう。彼は大連休を前に日勤と夜勤を立て続けに働いた。私も仕事を取れるだけ取った。やはり貯金には一円も手を付けたくないからだ。年末まではお中元などの贈答品の包装や発送作業で二人とも忙しく仕事にありつけたのだが、ここ数か月、年末年始の連休に加え、二月は女性の出来る仕事が閑散期に入ったことが追い打ちをかけ、家賃や光熱費を除くと生活はかなり苦しくなっていた。それでも食費などを工夫すればなんとか乗り切れると思っていた矢先のことだ。無理が祟ったのだろう。彼は二十五万八千円と少しを残してあっけなくこの世を去った。彼が日勤と夜勤で稼いだ未払い分の給与は受け取れないのか事務所に掛け合ってはみたが、受け取れるのは本人か身内の者だけと言われ、既に彼の兄と手続きを進めているのだと知らされると、婚姻関係でさえなかった私は渋々事務所を後にするしかなかった。



葬儀を報せる郵便物を前に、私は頭を抱えていた。手紙には、侑大が最期に愛した人なのだから、是非とも線香の一本も手向けてやって欲しいと彼の兄の直筆で書かれていた。
私は貯金を入れた封筒を出そうと箪笥の前に立った。箪笥の上にはふたりで撮った写真とともに、国語辞書程度の大きさの標本箱が肩を揃えて並べられている。
私は封筒とその標本箱を手にテーブルへ戻ると、あらためてその中の青々とした蝶を眺めた。海老茶色に縁取られたエキゾチックなコバルトブルーが角度によって輝き出たり茶色に沈んだりするその文様は、子供の頃に読んだ昆虫図鑑にも見た記憶がない。
この蝶の標本は侑大が大切にしている物で、子供の頃に自分で作ったそうだ。なんでも、魚釣りに入った地元の渓谷で迷子になり遭難しかかった時、この蝶が自分を誘導して家の近くまで届け、助けてくれたらしい。確かに子供だったら追いかけたくなるような美しい蝶だ。
「なんていう蝶?」
「うーん、わかんねぇ。多分外国のが台風かなんかで飛ばされて来たんだと思う」
「助けてくれたのに殺して標本にしちゃったの?」私は訝しげに聞いた。
「いやぁ、翌朝うちの前で死んでたんだよ。きっと、俺を助けて力尽きたんだろうな」
この男は存外、ロマンチストなんだなと思った。
それ以来、この蝶の標本は侑大にとって困難を乗り越えるためのお守りとなったようだ。
「俺ら、今は谷間だけど、きっとちゃんと幸せになれるよ」侑大はこの標本箱を撫でながらそんな風に微笑んでいた。
旅費と香典と手土産代で貯金は底を突きそうだった。
彼の実家へ行くと彼は正真正銘倉持侑大だった。派遣Aなどという側面は微塵も語られない。そして今度は新たにナントカ居士とかいう名前を貰って派手な色の花々に囲まれた小さな箱に収まっていた。
「侑大のバカ」私は焼香の際、心の中で彼に悪態をついた。親族の啜り泣きも僧侶が上げる読経もそんな私を咎めるのかも知れないが、それでも私は言わずにはおれなかった。言う権利があると思った。実家に残されていたという若い頃の写真を元に作られた彼の遺影は、私のそんな悪口をもものともせずに微笑んでいる。私が知らない彼の良く見慣れた人懐っこい笑顔だ。



「ハケンさん」その場に居た中の二、三人が一斉に声のした方向を向いた。これがここでの私たちの呼び名だ。会社は社員の他に、直接雇用の契約社員、アルバイト、パートを雇い、繁忙期などの必要な時だけ派遣会社へ人手を要請する。だから私たちの直接の雇用主は派遣会社なのだが、やっている作業が他の人と同じでも職場での地位は最下位だ。その日その日で派遣されてくる人間が違うのに、いちいち名前など憶えてはいられないということか、単純作業に呼ばれるハケンは直接雇用と同等の固定シフトでフルタイム契約でもない限り名前で呼ばれることは滅多にない。朝、出勤確認のリストに名前を書き込んだ瞬間私たちは生まれながらの、親が付けてくれた名前を失い、そして男でも女でも若くても年寄りでも『ハケンさん』というただ一つの名を以って呼ばれる。
呼ばれた中で目が合った私が返事を返しながらそのパート女性の方へと歩み寄った。一人だけ、包装ラインで乾燥剤の小袋を入れていく作業を指示され、私はその作業に没頭するよう努めた。独り孤立した感覚を覚えるとどうしても気分が落ち込みがちになる。だから全てを忘れて目の前の作業に集中しようとした。淡々と目の前を流れるベルトコンベアーのように時間が過ぎて行くのを望んだ。私の時間もこのコンベアーに運ばれて、一年が過ぎ、二年が過ぎ、いつしか侑大のことなど微塵も覚えていない老婆の顔が、あの鏡の中に映るだろうことを。
「どうしたの?顔色悪いよ」休憩時間にそう言って来たのは別の派遣会社からいつもこの現場に入っている安西さんだ。フードキャップにマスクで目元しか見えないといういでたちでよくぞ気が付くものだ。
「彼氏が亡くなった」私はぽつりとそう言った。彼女とはこの洋菓子工場に派遣されるたびに一緒にお昼を食べたり、帰りのバスでお喋りしたりしてメアド交換もしている。この工場は仕事がきついためにパートの募集が集まらず、私は週二、三回人数合わせの不定期派遣だが、彼女はもう三か月も前から週五日、ほとんど正規雇用のようにこの工場へ派遣されて来ているらしい。そんな彼女でもここではやはりハケンさんだ。
「え」と彼女は驚いたように声を上げ、その後「一緒に住んでたあの彼氏?」と少し声を潜めて聞いてくれた。私が事のあらましを簡単に話すと、今日帰りに何処か寄らないかと言って来た。どうやら気晴らしをしてくれるらしい。どうせ帰っても家には私一人だ。彼女も独り身だし、少し疲れてはいるが、有難く誘いに乗った。結果、彼女の驕りで入った個室カラオケで私は泣いた。侑大への思いで溺れそうになっている私を彼女は子供をあやすように背中を叩き、擦り、宥めてくれた。侑大が死んで以来こんなに泣いたのは初めてだ。
安西さんのお蔭で私はその夜、落ち着いて寝床に入ることが出来た。うとうとする寝室の天井裏で、鼠だろうか、小さな足音が左から右へと走り抜けていく。侑大がいた頃には気が付かなかった小さな足音だった。大家に電話して業者を呼んで貰おうか、そんなことを思っているうちに眠りに就いた。
次の日は別の現場作業で働き、また洋菓子の工場へ派遣されると、安西さんの姿はなかった。翌日も翌々日も安西さんは現れず、私はパートさんたちが帰った後の、これまで安西さんと二人で作業していた時間帯をひとりでこなした。
さすがに心配になった私は帰宅のバスの中で彼女にメールを送った。
『私、もう工場には入れなくなったのよ』との返信が来た。
『なにかあったの?』
『メールでは言い辛いから電話番号教えて』私が電話番号を伝えると、すぐさま着信音が鳴った。

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