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ロストケアを観て

お久しぶりの投稿になります。ろたです。

ロストケアを観に行ってきた。
予告時点で興味があった。

「私は、42人もの人間を救いました」

この言葉を言っているのが
殺した42人を担当していた介護士だったから。

介護士が老人を殺害するのにどんな理由があるのか。
どんな思いで殺したのか。
どんな思いで仕事をしていたのか。

全てが気になった。
介護士の斯波宗典(松山ケンイチ)が。

そして「救った」と言った斯波に「殺した」と訂正する検事である大友秀美(長澤まさみ)が。

ロストケアの予告を見ていた時は
大友秀美サイドに私はいた。
「救ったって何。殺したんだろ。」って。

予告動画です↓

https://m.youtube.com/watch?v=DKCSn3Y6QAQ

でも、違った。
映画を観ている時、怖いくらいに
自分の事を怖く感じるくらいに
完全に斯波宗典サイドにいた。

斯波は、42人の老人を救ったと言ったが
それだけでは無い。介護を必要としていた42人分の家族を救った、辛い介護に苦しみ、じわじわと自分を喪失していく家族を救ったんだと本気で思った自分がいた。

斯波のような人が近くに居てくれていたらとすら思った。そんな自分に今では震えている。

ここからは私の話をさせてください。

私には85歳の不安症と認知症を患っている祖母がいる。数週間前に老人ホームに入所したばかりの。

それまでは毎日デイサービスに通わせていて仕事から帰れば祖母の介護が私には待っていた。
普段、遠方の仕事でなかなか帰れない父が家に帰って来れる土日以外は私が介護をしていた。

孫の私を覚えてはいる。
ご飯も与えれば食べる。
下世話は必要。徘徊もする。
嫌々と駄々をこねるし、泣く。
何枚も何枚も服を重ね着する。
ただ私を孫、とは言わない。
世話をしてくれる人、と認知している事は明らか。

最初は "病気だから" そう思って介護してた。
祖母に何かしてもらった記憶は無いけど
血縁者だから。孫だから。息子である父が居ないから。同居してるから。

それでも認知症というものは人間の生活じゃなくしてくる。

"これは病気だからってレベルじゃない"
と普通に頭に浮かんでくる。

斯波も言っていた。
「これは人間の生活じゃない」
本当にそうだと思った。

ご飯食べ終えたと言われ机を見れば手をつけて無く全部綺麗に残ってたり
トイレに行くにも祖母が行きたいと言い出したから手を貸して行かせようとすると嫌々と駄々をこねる。
歩くにも無理だと言って抱っこをせがむ。
突然怒りだし奇声をあげ、言ってもない事を言われたと言って悪者にされる。

同じ寝室で寝ていて2時間に1回のペースで叩き起される。電気ストーブをトイレと間違える。ベットで寝かせていると下で敷いて寝ている私の頭に祖母の重い身体が落ちてくる。手足をバタつかせながら駄々をこね続け、立ち上がろうとして転んで各所に痣が出来てを繰り返すうちに虐待を疑われる。

何もかもが初めてだ、分からないのに分かるような口振りでものを言うなと怒られる。

仕事に行く、と言うと駄々をこね始め
私の世話をするのに仕事なんて行くのかと言う。

そんなことが日常茶飯事だった。

職場で家の事は一切言わず悟られまいと
笑顔を貼っつけて仕事して
家に帰れば認知の祖母の介護。
友達に相談するにも私だって20代前半。
同情してくれなんて言えないし、そもそも20代前半にはかなり難しいし、想像してと言ったところで出来やしないだろう。
相談するのも無駄だと思って誰にも言わなかった。

最初はよかった。まだよかった。
でも日を追う事にどんどんと膨れ上がる自分の中の黒い何か。

家の床で手足バタつかせて駄々をこねる祖母を頭の中で何度も蹴った。
しっかりズボンを下げてとお手洗いの度に声をかけたが下げずに用を足してズボンが濡れたと私に怒る祖母を頭の中で何度も頭を殴った。
ご飯を食べたと嘘をついて平気な顔をしている祖母を、亡くなった祖父に供えてある乾いた米を食べる祖母を頭の中で何度も張り倒した。

オムツ以外全部脱いで家の中を歩き回る祖母を、そのオムツを台所で洗い始める祖母を、コーヒースティックをそのまま直飲みしている祖母を、お歳暮で貰った高い食べ物を未調理で食い散らかす祖母を頭の中で何度も蹴っては殴りを繰り返した。

夢にまで出てきては夢の中でも暴行を繰り返した。
だが、実際に行動にはしなかった。
行動に移せば捕まるから。
一時の感情に負けて20数年しか生きれていないこの人生を終わらす訳にはいかなかった。

ばか強い理性が私を止めてくれた。
奇行と言える祖母の行動を何もせずただただ見つめることしか出来ない自分の精神に落ち込んだ。

事情を知っている親戚にこう言われた。

「祖母のことはスペースマウンテンにホーンテッドマンション。そしてシンデレラだと思ってあげてね」

思えるはずがない。
そんな楽しいアトラクションなんかじゃない。
言うなればあれは地獄だった。
もう経験したくない。そう心の底から思っている程なのに。
そんな夢の国のアトラクションに言い換える親戚に腹が立っては苛つき、帰宅後気付けば家中を荒らしていた。あまりの惨めさに。あまりの恨めしさに。あまりの虚しさに。

もしかしたら私が斯波のような人間になっていたかもしれない。
斯波のような介護士がいたら、祖母を手にかけてくれたとしたら、私は「斯波に救われた」と言って頭を下げ握手を求めたかもしれない。

斯波宗典は、介護を経験した、している人間の誰もの中に生まれると思った。

だからこそ、大友が言った

「介護が辛くても、苦しくても、それ以上に家族の絆とか大事なものがあって深い感情がある」

という言葉に首を傾げ鼻で笑ったのかもしれない。

そんなものは無い。
たとえ同居している祖母であれ私は何度も頭の中で殺しかけた。
絆なんて脆くほぼほぼ存在などしない。
なんの感情もない。
あるのは、やると言ってしまったから。やらなきゃいけない。という責任感と義務感。

斯波が大友に言った

「1ヶ月…いや、1週間でも良い。あなたは介護を経験した方が良い。」

介護士になる前に認知症の実父を介護して地獄を見た斯波が言うこの言葉に何度頷いたか。

大友の母親は自ら老人ホームに入った。
父は……映画を観てください。
大友は介護を1ミリとして経験していない。

斯波はそんな大友を「安全地帯にいる人」と言った。羨ましがるように。

それは今の私にも当てはまること。

空きが見つかったとケアマネさんから1番に情報を手にしすぐさま老人ホームに入れて、自分から手放した。それは放棄とも言える。

認知症の祖母を老人ホームに入所させた。
という傍から聞いたら何とも思われない行動だが、今思えば放棄に近いのかもと。

私は手放せて楽になったが、あの祖母を受け入れてくれた老人ホームの職員さんが私の代わりにストレスを抱えてしまう。
放棄、という楽な道を選んでしまった。
私は地獄から安全地帯に身を移動させた。
未だに介護に苦しんでいる人がいるはずなのに。あの地獄の終わりが見えないあの苦しさを知っているが故に思ってしまう。

老人ホームに入所してからのこと
寝る前に必須だった精神薬の服用が
不要になるくらい落ち着いていると連絡があった。そんなわけない。あんなに暴れるのに。

でも私は思った。ある時言われた。
「お世話をしてくれる人がいれば良い」という祖母の言葉。

抱っこをせがまれた時、重いから無理、立ち上がるの手伝うからと言った時に言われた
「だれか男の人連れてきて」と。
男の人なんて誰もいないのに。

そんな祖母が服用必須だった薬を飲まなくても平然としていれてるなんて。
私の介護が間違っていたのか。
私が祖母をあんなふうにさせていたのか。
それとも0~100まで全て世話をしてくださる老人ホームという場所に身を置いて安心しているのか、放棄かもと思い今更ながら考えているが実は祖母にとってはとても良い事だったのかも。
そんな自問自答を繰り返す日々を送っている。

そんな現状に今立っている私にとって
このロストケアはタイムリー過ぎる映画だった。

それくらい斯波の気持ちが痛いくらい分かるし、大友秀美の逃げるような気持ちも今となっては分からなくもない。

「救った」か「殺した」の相違がテーマの映画だと私は思う。

素人ながら実父を介護して地獄を見た

「人にしてもらいたいと思う事は何でも、あなたがたも、人にしなさい」

を遂行した「救った」側の斯波宗典と

法の下で生きる、自らも抱えたものがある
「殺した」側の大友秀美。

それは観る手に委ねられているけど
どっちが正しいかなんて、私には選べなかった。

この世の介護に携わる全ての人間を尊敬する。私には出来なかった。ずっと頭は上げられない。

斯波宗典と大友秀美が気になる人は、
介護を経験した、現在している人は、
介護士が42人を救った、殺した話が気になる人はこの映画を1度観に行くことを私はオススメします。

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