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わたしの言葉と病気の言葉

見出し画像はフォトギャラリーからお借りしました。有難うございます。

わたしは結婚前後に大鬱発作を起こし、そして配偶者も就職後に鬱になりました。鬱の時はどうにかしたくて、レノア・テアさんの「あなたの大切な人がふさぎこんだら」という本を読み込んでいました。その中にも著述があったのですが、人って余裕がなくなると、特に鬱などでいっぱいいっぱいになってしまうと、「病気が発する言葉」というのが現れてしまって、例えばSOSを出しながら助けの手を振り払ったり、攻撃的になったり、本来の人格では絶対に言わないようなことを「病気に言わされたり」します。これは鬱でなくても、余裕がない状態や認知症などでも起こる現象のようです。
わたしは、経験則ですが、自分でも病気に攻撃的な発言をさせられたり、鬱で倒れた配偶者から暴言を吐かれたりしました。でも、それと本来の人格から放たれる言葉を区別して、今は余裕がないんだな、病状が重いんだな、と判断しています。自分では、余裕のない時は発言を控えるなど気を付けているつもりですが、なかなかままなりません。こういう症状があるということを理解されないときもあります。そういう時は、わたしの病んだ発言をわたしの人格から来るものと判断されて悪印象をもたれることもあります。
理解されない場合は仕方がないのでそっと姿を消すだけです。気をつけていても病気もちなので、ネガティブな時は本当にどん底に堕ちています。できるだけ石のように貝のように黙って鬱の波をやり過ごすしかないのだろうな、と思います。

メンタルが落ちている時に精一杯気を付けながら話したつもりで、でもやっぱり配慮が足りずに結果的に傷つけてしまったかた、本当に申し訳ありませんでした。

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