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My Career 〜探索期編その①〜



雑な就活での出会い

私の時代は、大学3回生の夏頃、ある日突然、
ポストに「リクルートブック」なる分厚い冊子が送られてくる。

今思えば、確実に不同意で個人情報を取得されていたからこそ成せる技なのだが、当時はお構いなし。

その冊子には、驚く数の企業情報と巻末には、各社の会社説明会参加ハガキが付録のよう綴じられおり、学生は興味ある会社を切り取って参加する仕組みになっていた。

ネットも無い時代、学生の唯一と言っていい情報はこれだけ。あとは、汗だくになって会社説明会に奔走するのみである。

ちなみに、私の父は、義務教育を終えた後、染色職人一筋なので、世の中の企業がどうだとか、就職することがなんだかには無縁。

己れの足と感性のみで企業選択するという、今思えば、とても雑な就活だった。

そんな中、数多ある企業情報の中に、キラキラ輝く会社を発見した。その会社は「日本エル・シー・エー」という経営コンサルタント会社。 

奇跡的に地元京都に本社を置く、当時はイケイケの会社だった。

何がそんなに輝いていたかというと、今では当たり前となっている「フレックス勤務」「年俸制」を導入していたこと。36年も前に既に、これを取り入れていたことは、今、考えても先鋭的だと思うが、

これが、「時間制限無く働け」「できる人間には手厚く、そうでない人間にはそれなりに」という制度であることを知ることになるのは、入社後、間もなくのことだった。

話しは戻るが、がむしゃらに雑な就活をしていた私に突如出現した経営コンサルタント会社という存在に私は感電し、「ここに入る。だって、かっこいい。」

そう勝手に決めて、鼻息荒く、例の会社説明会ハガキをポストに勢いよく投函した。

己れを知ったあの日

待ちに待った会社説明会の日。

クリーニングしたリクルートスーツで、本社に向かい、デカいセミナールームで会社説明会に参加した。会社を説明されなくとも、こっちは、リクルートブックで隅々まで会社情報を読み込んでいる。

「早く面接スケジュールを教えてくれ」と熱量120%で待ちわびていると、唐突に採用担当者から「今から適性検査を実施します」とのアナウンス。

一緒「へっ?」とは思ったが、「まあ、確かに性格を知ることは大事さ」とよく分からない納得をして配布された冊子を見た瞬間、気絶しそうになった。

それは、オリジナルの適性検査、今で例えるとSPI検査のような言語、非言語問題がパンパンに出題されている検査だった。

自己紹介でも触れたが、自慢では無いが、私はアルファベット順の5番目ランクの大学出身だ。

先ほどまでの勢いは嘘のように消え失せ、テンションは下がる。そうすると、今まで気にもしていなかった周囲の学生達が、みんな旧帝大卒のように見えてきて、変な汗を吹き出しながらマークシートに必死に向き合った。

それから1〜2週間ほど経過してからだろうか、

自宅のポストに、憧れの会社封筒が投函されていた。適性検査の出来は、自分がよく分かっている。あの会社説明会の帰路は、ほぼ抜け殻のような状態だったし、それ以降も力の入らない日々を過ごしていた。ポストに投函されてた、その封筒は、誰が見てもぺらっぺらで、太陽に透かして見ても、僅か数行の文字しか書かれていなかった。

「今回は、貴殿の希望にそえない結果…」を読み終えた時点で破り捨てた。

儚くも、私が初めて憧れた会社、仕事に挫折した日となった。

働くというコト

当時を思い返してみると、まだ何モノでもない私が、なぜに、突如現れた会社に憧れ、入社出来ないという事実を突きつけられた時、それまでの人生経験のどこにも属さない喪失感を抱いたのか?

私の場合は、それまでの人生を大きく変容させる最大の機会を得る場、それが会社だという潜在意識が内在されていたのだと思う。

つまりは、世に言う自己実現の場、ということになるのだろうが、私については、そういう美しいものではなく、人生でやり返す為のスキルや能力を装着し、なりたい自分になる手段が、望む会社に入ることだった。

人は、それぞれに働くことの意味は異なる。

ただ、希望していた会社に入る喜びは、等しく

何事にも変えがたいものとなる。

私が、ご支援させて頂いた転職者の中には、その後、何年か後に感謝の手紙を送って頂くことも少なくない。
その文面には、まるで私が人生そのものの後押しをしたかのような過分なる言葉も並ぶ。

私は、その度に「働くとは、そういうことなんだ」と、ご支援した方々から学びを得る。

憧れの会社のファーストラウンドでノックアウトしたあの日は、私が己れを知る日でもあった。

探索期編その②につづく


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