映画:『ザ・フォーリナー/復讐者』
2019日本公開/マーティン・キャンベル監督
「現在は家族とともに静かに暮らす元・伝説的特殊部隊員が国際的犯罪組織の謀略に巻き込まれ愛娘か愛妻かもしくはその両方を殺害されて命を捨てた復讐に立ち上がる」
↑これそのままGoogle検索欄に投げ込んだら何本アメリカ製アクション映画にヒットするだろうと思ったのだけど、意外に引っかからなかった。
いや、冷やかしで観たのではなく、そういう様式美としての「ハリウッド式復讐劇」をジャッキー・チェンが演じればどうなるか、ということに非常なる興味を持ってワタシはネット視聴に臨んだのだ。
結論から言えば、ストーリーとしては無難なライン(昨今のシリアス路線)を着実に踏みしめつつ、随所に「ジャッキー映画」のお家芸的要素も投入された堅実な作品であった。むしろ、作品のスケールにしてはちょっと「詰め込み過ぎ」感まで感じるほどの、総花的な佳作と言えるかも知れない。
本作でジャッキーが演じた主人公は、おそらく映画史上「もっとも弱体化した元・特殊部隊員」ではないだろうか。老ソルジャーは初手からけっこういい動きをしているのだが、それでも前半のボコられ方は「年寄り相手に本気かよ」と敵役たちを罵倒したくなるほどの有様だ。老練な元兵士らしい大勢を欺く爆破工作の巧妙さなど、細かい見せ場はありつつも「さすがにこれは勝てないよね」というところまでジジイの立場をちゃんと落としてくる。この時点ですでに「これこそジャッキー映画の語り口」だとひそかに理解できる世代にとっては熱狂待機にスタンバイがかかるわけだが、それでもまだ先が読めないハラハラがけっこう長めに続く。
すると突然(突然でもないか)、ジャッキーはジャッキーを急速に取り戻してゆく。そこから先はもうツッコミどころのスクランブル交差点である。
泥にぬかった崖道。逃走のために強奪したクルマを後ろから何度も必死に押し上げようとしているジャッキー。「スタックしたクルマをたったひとりで脱出させようとしてるのか⁉︎」と戦慄するワタシはわずか数秒後、あることに気づき画面に向かって恫喝する。
「クルマ(の重量)を使ってトレーニングしとるだけかい!」
そうやって体力と徒手格闘の勘を劇的に取り戻したジャッキーは(取り戻せる年齢なのかな)、次第に敵と互角以上の戦いを見せ始め、ときにはジャッキー映画お約束のアレ(たとえばスコップで敵をどついたら石頭でスコップの先が飛んでって、折れた柄の先を見てビックリするとか)をシリアスな戦闘のなかに紛れ込ませてきたりする。もうここまできたら止まらない。
正直、後半は完全にかつての「ジャッキー映画」復興に費やせばよかったんじゃないかと思うが、冒頭からそういう流れはNGな雰囲気になっていたので、さすがにそれを願うのはあきらめた。ラストはなんというか(よくいえば)アッサリ味な幕引きに感じたが、これは鑑賞者それぞれが自分の舌で味わえばよろしかろう。全篇を通して、主人公の深い哀しみと、異国で生き抜くという意味の深さが胸に沁み込んでくるような、よい物語だったと思う。これはこれで、いまジャッキー・チェンだけが伝えられる感傷のカタチのひとつではないだろうか。
しかし。いや、とにかく、アクションである。
北アイルランドのテロリストとかいろいろややこしいのが登場してくるが、ぜんぶジャッキーにやられるためのザコ敵である。もう60代も半ばの老クレージーモンキーは、敵役の若い俳優陣たちとなんら遜色もない組手を見せる。もちろん、危険な動きをともなう部分のいくつかは吹替だ。公式は否定するだろうが(ワタシも心情的にはそう思いたくないが)、アクション作品を監督した経験のある者としてそこは指摘させてもらう。それでも老カンニングモンキーがスゴいのは、ときおり織り込まれる吹替俳優の動きと完璧につながるスピードでアクション演技をするところだ。鍛え上げた老師について言及すべきことではないと思うが、とにかく、あの速さによく目がついてゆくものだ。
『新宿インシデント』などで新境地を次々と拓きつつ、同時に旧来のファンをザックリ手放しかけていたジャッキー・チェンが、老境を踏み越えてジワジワと復活してくる予感。かつてのスネーキーモンキーが、あのドランクモンキーが、いつかふたたび現れる日が来るかも知れない。その日、本作に見られたシリアス9:ジャッキー1という要素配分は逆転するはずだ。
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