第2話【相棒もの×報恩譚×ビルドゥングス・ロマン】

 ある街に、貧しい孤児の少年がいました。
 少年は居心地のよくない孤児院から脱走し、ひとりぼっち、あちらこちらでちいさな盗みを働いて毎日を生きていました。とはいえ子どものやることですから何度もピンチを経験しました。それでもいつも悪運を味方につけてなんとか切り抜けていました。

 ところがある日、とうとう少年は捕まって、怒った街の人々に取り囲まれてしまいます。少年は棒切れで激しく叩かれ、硬いクツで蹴飛ばされて、もうすでに虫の息でした。
 そこへふいに長身の紳士が現れ、大人たちを言葉とお金で説得して、ほとんどボロ雑巾のようになった少年を助け出しました。
 途切れがちな少年の意識に、紳士は語りかけました。
「キミはこのまま、たったひとつの命を終わらせてしまうつもりかい?」
 打ちのめされ苦しさにあえぐ少年は、答えることができません。
 そこで紳士はさらに、やさしく少年に語りかけるのでした。
「命はひとつしかないけれど、生き方はたくさんあるんだよ」
 少年はまもなく、気を失ってしまいました。

 紳士はその街で有名な私立探偵でした。鋭い推理でたくさんの事件を解決し、警察だけでなく、街の人々からも信頼されていました。あの日少年を救うことができたのも、きっと探偵がそれだけ街の人たちから好かれていたからに違いありません。
 少年は、探偵のもとで住み込みの助手として働くことになりました。少年は難しい推理をすることはできませんでしたが、どんなところへでも潜り込み、すばしっこく捜査をすることが得意でした。それに少年は悪いことをする人間についてもよく知っていました。みなしごの不良だった頃、彼が生き抜くためにはそういう大人と渡り合う必要がありましたから。

 いつしか少年と探偵は名コンビになりました。彼らはさらなる難事件をいくつも解決に導き、その名声は国中に広まるほどになりました。
 いったいどんな事件を解決したかって?
 それなら、いまでもたくさんの本や映画でそれを知ることができますよ。
 もちろん実際に起きた事件の関係者について明かせやしませんから、彼ら探偵コンビのことを含め、すべて違う名前や姿の登場人物に書き替えられてはいますけど。

 でも、少年と探偵の活躍はそんなに長くは続きませんでした。
 ある日、探偵が何者かに殺されてしまったからです。
 もう息をしていない探偵のもとへ少年がかけつけたとき、探偵は、少年へ宛てた古い手紙を握りしめていました。
 きっとずっと前に書かれたその手紙を少年は読みました。

 探偵がまだ探偵ではなかった頃、彼には美しい妻と生まれたばかりの男の子がいました。ある日、彼が家を留守にしたときに、誰かの手によって愛しい妻は殺され、かわいい息子はどこかへさらわれてしまったのです。
 探偵が探偵になったのは、妻を殺した犯人を探し出し、息子を救い出すためでした。そのために彼は事件の捜査と推理に必要なすべてを学びました。いままで何度も警察に協力してきたのは、いつか自分の家族を襲ったあの事件へたどり着けると信じていたからなのです。
 いつか必ずあの犯人を見つけてほしいと手紙は締めくくられていました。

 少年にも、探偵の気持ちがよくわかりました。じつは彼の両親も誰かによって殺され、そのせいで彼は孤児になってしまったからです。親の愛情すら感じられないほど少年はとても厳しく育てられましたが、それでも彼は自分の両親を殺した誰かのことを憎んでいたのです。

 少年は、探偵に約束しました。必ず犯人を探して、息子を救い出すと。

 少年はやがて大人になり、探偵から教えられた推理の方法をもとに立派な二代目の私立探偵へと成長してゆきました。かつての名コンビを知る人々たちは、彼の先代に向けられていた「探偵さん」という愛称を半ば引き継ぎ、二代目の彼が大人になってからも「“少年探偵”さん」と呼び続けました。
 “少年探偵”は、かつてよりもっと複雑で難解な事件をいくつも解決しました。もうその頃には、ちいさな街の出来事がリアルタイムでいろんな国々に届く時代になっていましたから、世界中の人々が“少年探偵”の名推理を誉め讃えました。
 でもそんな名声は彼にとって、かつて自分の師と自分自身の家族を襲った二つの事件の捜査にとって、ただの雑音でしかありません。彼はあらゆる手段を使って何年もかけて捜査しましたが、ついに先代探偵を殺した犯人も、さらわれた息子も見つけることはできませんでした。

 ところがある日、彼はついに事件の真相を知ることになります。
 それはほんの、些細な偶然からでした。
 “少年探偵”はやがて妻をめとり、かわいい娘をもうけました。そして娘の健全な生育に必要な情報を得るために、彼の時代では国の保険行政によって義務づけられていた遺伝子鑑定を受けたのです。
 その結果、先代探偵の妻を殺害し、その息子をさらったのは“少年探偵”の両親とされていた者たちだったことがわかりました。
 そうです。“少年探偵”は、彼を救った先代探偵の実の息子だったのです。
 それは先代探偵が殺害現場に残した彼自身の遺伝子情報をもとに照合された、たしかな事実でした。

  “少年探偵”は、実父についてさらなる捜査を行いました。彼が知りたかったのは、実父である先代探偵が、なぜ彼の家族を失わなければならなかったのかということ。
 そして、まもなく彼はその答えを得ることになりました。
 それは、“少年探偵”をさらって彼の両親を演じていた男女の生い立ちを調べたことでわかりました。
 彼ら二人は兄妹でした。そして彼ら自身も、孤児として育ちました。
 なぜなら、彼らの両親はある男に殺されてしまったからです。
 その男とは、少年時代の先代探偵でした。

 捜査が展開するにつれ、真相は次々と明かされてゆきます。
 そしてすべてが明らかになる日がきました。

 “少年探偵”と同様に先代探偵もまた、孤児として育ちました。彼の両親や兄弟のことについてはいまもわかっていません。
 ただわかったことは、彼は貧しさのなかで悪事に目覚め、やがて殺人を請け負うプロの殺し屋として何十人もの人々を手にかけていたことです。
 そのなかに、“少年探偵”の“両親”が含まれていたのです。

 彼はあるとき、あとすこしで警察に捕まってしまうところをのちに彼の妻となる女性に助けられます。彼女に匿われて暮らしているうちに、彼は初めて人間としての愛情を知り、やがて遠くの街で彼女と夫婦になって、まっとうな生き方で暮らしてゆくことを決心します。
 彼が“少年探偵”と出会ったときに言った、
「命はひとつしかないけれど、生き方はたくさんあるんだよ」
という言葉は、ひょっとしたら彼の妻がかつて彼にかけた言葉だったのかも知れません。
 そして彼らのあいだに“少年探偵”が生まれ、穏やかな日々が続きました。
 あの兄妹の復讐によって、すべてが奪われるその日まで。

 先代探偵は、探偵になって兄妹を探し、ついに自らも復讐を遂げました。
 そしてそのとき、兄妹がなぜ自分の家族を襲ったのかを知ったのです。
 もちろん彼は自分のかわいい息子をすぐにでも取り戻したかったのですが、そうすれば自分の“両親”の正体と、彼らがなぜ自分の妻を殺したかということについて、いつか息子に知られてしまうかも知れません。
 なので彼はいつも遠くから、実の息子のことを見守っていました。ときには、かつての自分と同じように幼い犯罪者となってしまった息子を窮地から救う手助けをしながら。“少年探偵”が悪運だと思っていたのは、すべて彼の実の父親である先代探偵の仕業だったのです。

 そしてあの日、大勢の人々に打ち据えられている息子の姿を見た彼はついに意を決して、息子を相棒の探偵助手として自らのもとへ取り戻します。
 彼は日々たくましく育ってゆく息子を誇りに感じていましたが、同時にいつまでも本当のことを打ち明けられないことを悩み続けていました。

 先代探偵が殺された日、最期に彼は息子に自分の家族を奪った犯人を探すよう書いた手紙を手にしていましたが、それはいつか息子が自分の過去と正体に自分自身で行き着くことを望んだからです。
 最後の最後まで、彼は息子に真実を明かすことはできなかったのです。
 そして彼を殺した犯人が見つからないのは、犯罪捜査の天才である彼自身が巧妙に他殺を装った自殺だったからでした。

 街では、その後“少年探偵”を見かけた者はいません。
 とある旅の行商人が、遠い村のちいさな孤児院で子どもたちを育てている似た男を見かけたという噂話が残っているだけです。

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