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ミセスコンテストのバックステージ「グランプリになる為にした事」

ミセスコンテストに、6年間挑戦し続けた私。出場していない時期もありましたが、ほぼ毎年のように挑戦しておりました。


多くのコンテストは、選ばれた人が代表となり、地方大会、日本大会、世界大会というように、次の大きな大会へと出場することができます。

地方大会では、複数名が日本大会に行ける場合もあるので、まずは地方代表を目指してきました。そして何度か日本大会に出場させていただきました。

そして、のちに世界大会まで出場することになるコンテストでは、地方大会ではグランプリをいただきました。

グランプリになって感じたことは、まず自分に誇りを持てるようになった事です。

そして、特別賞や準グランプリの時には感じられなかった周囲の私への対応が良い意味で変わりました。

まるで、オリンピック選手と、金メダリストの違いくらい、社会は1番の人を歓迎してくれます。

私がグランプリに選ばれた地方大会では、グランプリ、準グランプリ、特別賞が日本大会への出場権をいただけました。

しかし、コンテストの象徴と言っても過言ではないティアラが、グランプリにしか用意されていなかったのです。

たったひとつだけのティアラが欲しくて欲しくて仕方なかったので、グランプリを目指して出場しました。
ティアラが欲しかったのは、他の出場者も同じだったと思います。まさに、王冠狩り。

もう極論、グランプリしかいらない気持ちでした。だって他の賞では、ティアラがないのですから。

水泳のオリンピック選手の北島康介さんが金メダルを獲ることに対して「銀ならいらない」とおっしゃっていましたが、まさにそんな気持ちで大会に挑みました。

そして私は、グランプリに選ばれました。


コンテストの結果は自分で決められません。審査によって決まります。ですから、正解というものはありません。

大会によって審査基準も違いますし、求められるグランプリ像も変わります。

しかし、出場者側にはグランプリになるための努力はできます。全く努力をしないでグランプリになれる事の方が、稀ではないでしょうか。

たかが地方大会のグランプリと思われるかもしれません。
その後の日本大会、世界大会では、グランプリに奢っていた私は、地方大会で行ったことをしませんでした。
そのためか、何も賞をいただけませんでした。

今振り返ってみても、地方大会ではかつてない熱量と努力を込めて出場し、それが結果につながったと思っています。


では、私がグランプリになるまでに、何をしたかをお話ししたいと思います。

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