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林語堂旧居~3年間のバイト振り返り

皆さんこんにちは!
日本文化が大好きな台湾人、ローズです。

今は台湾の大学院で建築と文化遺産を専攻しています。この3年間、私は台北の小さな博物館「林語堂旧居」(林語堂故居/ The Lin Yutang House)でガイドとしてアルバイトをしています。近いうちに、博物館が修復工事のため、今月が最後の仕事になります。

みんなにこの場所を紹介し、私の3年間のアルバイト生活を振り返りたいです!

林語堂は知らない方もいるかもしれませんが、近代中国文学に少しでも詳しい方なら、魯迅や胡適のことを知っているはずです。林語堂は彼らと同じ時代の作家でした。異なるのは、彼の作品の多くが英語で書かれていることです!

林語堂とは

林語堂(1895-1976年)は近代中国の作家であり、言語学者、哲学者、文学者、旅行家、発明家としても知られています。彼は福建省で生まれ、幼少期から西洋の教育を受け、後に上海の聖約翰大学で英文学を専攻しました。さらにアメリカのハーバード大学で文学修士号、ドイツのライプツィヒ大学で言語学の博士号を取得しました。1936年にアメリカに移住し、以後は主に英語で執筆するようになりました。

林語堂は「ユーモア」(Humor)を中国語で「幽黙」と翻訳しただけでなく、ユーモア文学も推進しました。彼の作品は国際的に有名であり、3度ノーベル文学賞にノミネートされましたが、受賞はありませんでした。1969年には「中華民国筆会」の会長を務め、日本の文豪川端康成とも親交を深めました。川端康成の自死したとき、林語堂はご逝去を深く悼みました。

林語堂(前列右)と川端康成(後列中央)は第3回アジア作家会議中に集合写真を撮りました

1966年に台湾に移住した林語堂は、その後10年間、台北の陽明山にある自宅で過ごしました。福建に戻ることはなく、台湾は彼の第二の故郷になりました。彼の自宅は彼自身によって設計され、中国の四合院と西洋美学が融合した建物として知られています。青い屋根瓦、白い壁、ラセン柱、アーチ型の入り口や廊下などが、その建物の魅力を引き立ています。彼は1976年に亡くなり、自宅の裏庭に埋葬され、そこで永遠に眠っています。

住まいに庭園があり、庭園に家屋があり、家屋に庭があり、庭に樹があり、樹の上には空があり、空には月がある。これはうれしく、また気分の良いものだ。

林語堂『80歳の自分語り』(八十自敘)

ガイドって何をするの

林語堂が亡くなった後、彼の旧居は政府の所有物となり、現在は台北市文化局が管理しています。通常は観光客に開放され、講演会、展覧会、文学賞などの文化イベントも定期に開催されています。私はガイドスタッフを務めて、訪れた観光客に林語堂の生涯と建築、所蔵品について案内しています。

この3年間、台湾地元の観光客だけでなく、訪ねた外国人もたくさんいました。林語堂の著作はいろんな言語で翻訳されたので、彼の読者は世界中に広がっています。ドイツ人、アメリカ人、イギリス人、日本人、韓国人など、さまざまな国籍の人々に出会いました。お役に立てて嬉しいです !

山から見た景色
昔亀を飼っていました。「アグイ」といいます🐢

この場所も歴史的建造物なので、今後の修復工事にはかなり時間がかかります。2026年に再開する予定です。3年間の仕事がもう終わるのはちょっと寂しいです。
将来台湾に来る機会があれば、林語堂旧居へぜひお越しください。その新しい姿を楽しみにしています!

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