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あの時感じた薔薇の香りはあなただけのもの

はじめに


香りの女王、薔薇

絵画では、「五感の寓意」と呼ばれる図像があり、五感それぞれを表すモチーフが存在しています。
その中で、嗅覚は花で表現されています。(1)

そして、薔薇は、花の女王(香りの女王)(2)とも呼ばれ、香りを代表する花となっています。

図1.五感の寓意の例


香りを感じる仕組み

人間は薔薇の香りをどのように感じているのでしょうか?
香りを感じる感覚である嗅覚の仕組みは以下のようになります。

鼻腔の奥の嗅上皮(図2の4)には嗅神経細胞(図2の6)という細胞があります。
この嗅神経細胞の先端には嗅覚受容体という香り成分が結合する部分があり、ここに香り成分が結合すると、その情報が嗅球(図2の1)を介して脳に伝わることで香りを感じます。

図2.嗅覚システム略図
1:嗅球 2:僧帽細胞 3:骨(篩骨篩板) 4:嗅上皮 5:嗅糸球 6:嗅神経細胞
Chabacano, CC BY-SA 2.5 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Olfactory_system.svg


嗅覚受容体の成り立ち

嗅覚受容体はタンパク質でできた受容体です。
生物の体を構成するタンパク質は、以下のような仕組みで作り出されます。

  • DNAにコードされた遺伝情報がmRNA(メッセンジャーRNA)に転写される。

  • そのmRNAの情報(アミノ酸の種類と配列の情報)を基にアミノ酸が連結されることでタンパク質が合成される。

この「DNA→RNA→タンパク質」の一連の流れをセントラルドグマと呼びます。

図3.セントラルドグマ
Dhorspool at en.wikipedia, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Central_Dogma_of_Molecular_Biochemistry_with_Enzymes.jpg


嗅覚受容体はタンパク質でできているため、それを作り出す情報を持つ遺伝子が存在します。

そして、この嗅覚受容体の遺伝子型には個人差があります。

例えば、同じ香り成分を嗅いでも嗅覚受容体の遺伝子型の違いによって、嫌なにおいと感じる人もいれば、良いにおいと感じる人もいたり、感度にも差があったり、ということが知られています。(3)


薔薇の香り成分

香り成分は天然に40~50万種類はある(4)と言われていますが、その中で薔薇の香り成分は500~600種類あるということが知られています。(5)

数多くの薔薇の香り成分の中でも、いわゆる薔薇の香りの主要な成分は、フェニルエチルアルコール、シトロネロール、ゲラニオール、ネロールといった成分であると言われています。(6)


図4.フェニルエチルアルコール
薔薇の主要香り成分の一つ。フェネチルアルコール、β-フェニルエチルアルコールなどとも呼ばれる。試薬としても販売されており、薔薇の香りを用いる実験に使用されることもある。
Edgar181, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Phenethyl_alcohol.png


その他にも薔薇の花には品種により多種多様な香り成分が含まれます。
一口に薔薇の香りといっても、香り成分の組成や量が異なることで、品種によって異なる香りを持ちます。

また、同じ品種でも気候、栽培地、土壌、季節、時刻、開花段階などの要因も香りに影響を与えることが知られています。(6)


薔薇の香りの個性

薔薇の香り成分は、薔薇の細胞内で様々な酵素が働くことで合成されます。
酵素は、化学反応を進行させる触媒作用を持ったタンパク質です。
タンパク質であるため、遺伝情報がセントラルドグマの流れで発現することで合成されます。
つまり、薔薇の香り成分は、人間の嗅覚受容体の発現と同じ仕組みを基に合成されます。
薔薇の香り成分を合成する酵素やその遺伝子の探索も行われています。(5)

「同じ香りを出すバラの花は二つとない」「同じバラの木でも花が違うと決して同じ匂いがしない」(7)と言われていますが、薔薇の香り成分を作り出す酵素の遺伝子発現の状態や環境など、様々な要因によって香り成分の種類や組成に影響を与えるためと考えられます。

薔薇の香りにも個性があると言えます。


まとめ

嗅覚受容体の遺伝子型には個人差があり、香りの感受性には個人差があります。
また、薔薇の香り成分にも個性があります。

これらの個性が発揮される要因の一つに、セントラルドグマという生物共通の仕組みがあります。
薔薇も人間も生物という括りでは同じ仕組みの基に存在しているということです。

薔薇の香り成分はある程度解明されており、薔薇の香りの本体は分かりつつあります。
しかし、薔薇の香りを感じる時、嗅覚受容体の個人差や、薔薇の香り成分の個性、さらにその時の体調や環境など、様々な要素が影響を及ぼします。
これらの要素の組み合わせは膨大な数になると考えられます。

あなたが薔薇の香りを感じた時、その香りはその時のあなただけの香りと言えるかもしれません。


参考文献

(1) 池上英洋. 花園に咲く薔薇の香り-園芸の図像学(1)-. 園芸文化. 2006, no. 3, p. 7–16.

(2) 岩橋尊嗣. バラの香り. におい・かおり環境学会誌. 2010, vol. 41, no. 3, p. 149–149.

(3) 佐藤成見. 嗅覚受容体遺伝子多型とにおい感覚. におい・かおり環境学会誌. 2015, vol. 46, no. 4, p. 264–266.

(4) 相島鐵郎. 味覚と嗅覚の情報処理. 電子情報通信学会誌. 2012, vol. 95, no. 5, p. 427–431.

(5) バラの香りの生合成・発散. 農業および園芸. 2008, vol. 83, no. 3, p. 346–352.

(6) 蓬田勝之, 黒澤早穂. 現代バラとその香り. におい・かおり環境学会誌. 2010, vol. 41, no. 3, p. 164–174.

(7) “ローズ(バラ)”. 香りの百科. 日本香料協会編. 新装版, 東京, 朝倉書店, 2009, p. 453–456, ISBN978-4-254-94253-8.

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