フィルムカメラ

何かを成し遂げようとか、やらなきゃいけないって思い過ぎて自分らしさを忘れてしまう。
私が何よりもやるべきことや成し遂げなければならないこと、それは感性を持って生きること。私が何かを作ったり残したりするのは「感性」は「感性」でしか癒されない事を知っているからだ。
「感性」は「感性」でしか育まれない事を知っているからだ。
だから私は人生のどの場面においても「感性」をもって「感性」の海の中で生きる必要があるのだ。
それは例えば小説家として売れて死ぬように生きるよりも余程大切なことだと思う。
けれどそれを私は頻繁に忘れてしまう。小さな頃なら、一度だってそんなことはなかったのに。
いい音楽を聴く、いい映画を見る。自然に触れる。
散歩をしてみる。絵を描いてみる。料理をしてみる。いいお皿にごはんを持ってみる。
目を閉じてみる。光を感じてみる。一人になってみる。明るいうちにお風呂に入ったり、休みの日はあてもなく歩いてみる。素敵な人に会う。
図書館や書店で目星をつけず本と出会ってみる。
カフェに行く。

そういうものの先に小説があったり詩があったり、人の心を癒す何かを形にできるのではないだろうか。
それが決して先なのではない、いつもそれは付随してついてくるのではないだろうか。
だから私は焦るわけにはいかない。ステレオタイプに生きてはいけない。きまりきった毎日を過ごしてはいけない。

それは高校生の頃の私が教えてくれる。あるいはその頃に撮ったフィルム写真たち。
それをみるたび私はあの頃の私に戻れる。私が一番私らしかった頃。
スピッツの歌詞を繰り返し聴いたこと。
ロビンソンのメロディと歌詞に心を奪われたこと。
センセイの鞄を読んで心から感動したこと。あの日のベット脇のランプの黄色。
勉強をしてこなかった。誰もに反対された高校に進んだ。
けれどそこに迷いなんてなかった。誰になんと言われようと構わなかった。痛くも痒くもなかった。
なぜなら私は私の「感性」に従い生きることを何より大切にしてきたから。それを悔いなくていい。

私は私でいられた。ちっとも無理をせず。カッコ悪くて無鉄砲で失敗ばかりだったけど私は私を生きていた。

後悔しなくていいんだ。どうしてこんなふうに生きてきたんだろうと。
私はあの頃からたった一つのことを大切に胸に抱いて生きてきたのではないか。
それだけを貫いてきたのではないか。
それは私の感性を守ること。
感性に従って生きること。
それは決して難しくないのに大人になってから私はひどく複雑になってしまった。そして私らしさを失っていた。

有名になりたいのか。確かにお金は必要だ。欲しい。
それでもそれは私が感性を失っていい理由にはならない。
それよりももっと大切なのは私が私らしく生きていくこと。これまでも、これからも。

感性を持って生きて。
少女のままに。

明日が人生最後の日なら私は富や名声を選ぶだろうか。
いや、私は愛する家族と過ごすことを選ぶだろう。
そして太陽の光を浴び、深呼吸することを選ぶだろう。
心地いい食べ物を心地よく口にする事を選ぶだろう。
良い音楽を聴くだろう。
愛のある言葉を愛する人とかわすだろう。
そんなふうに生きよう。
それでいい。それがいい。

もう自分で自分を縛らないで。

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