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イラク戦争の本質を本当に撃ち抜いたのか〜『アメリカン・スナイパー』

『アメリカン・スナイパー』はイラク戦争で「伝説の狙撃手」といわれたクリス・カイルの自伝に基づく映画です。

カイルはアメリカの正義を信じて疑うことを知りません。戦友たちを守ろうとする使命感も揺らぐことはありません。彼は一人またひとりと敵を撃ち倒していくのですが、しかし同時に心も蝕まれていきます……。

何度目かのイラク遠征のあと、帰国しながらも自宅に直行できず、深夜、酒場から妻のもとに電話する場面は切ない。
戦争の英雄とは傷ついた脆弱な個人である──。このテーゼはイーストウッドのフィルモグラフィーにあっては『父親たちの星条旗』『グラン・トリノ』などでもおなじみのものです。

ところで「歌に気持ちを込めてはいけない」と八代亜紀は言ったらしい。聴き手に感情移入させるためには歌い手が自分の主観で感情を込めてはいけないのだ、と。
イーストウッドもまたここでは情感を増幅させるような余計な演出を自粛するかのように臨んでいます。カイルが照準を定めるシーンでは主観ショットを採るのは当然としても、全体を通してただ狙撃手が遭遇することになる戦場のありさまをストレートに描き出していくのです。演じるブラッドリー・クーパーの演技も抑制が利いていて、戦争のすさまじさ、愚かさがいっそう臨場感たっぷりに浮かびあがります。戦場の描写は超一級品。戦場と平和な米本土を往還する編集も緩急自在で巧みの一語。

カイルの心の崩壊はアメリカ的正義の崩壊でもあるでしょう。合衆国がイラクでやったことは愚劣ですが、その愚劣の一端を(たとえ事後的であれ)こうして表現してみせた映画の誕生は、たしかに一つの希望といえるのではないか。
……とイーストウッド・ファンとしては、そのように締めくくりたいところなのですが、本作に関しては違和感も残りました。イラク側の描き方がどうにものっぺりとしていて、もっぱら「野蛮」ばかりが強調されているのです。イラク兵にも自分たちと同様にまた家族がいて平和を望んでいるという当たり前の視点が決定的に欠落しているように思えました。良くも悪しくも徹頭徹尾「アメリカ映画」。イラク戦争には反対したイーストウッドであるからして、そのような脚本や演出は確信犯的に選びとったものと思いますが、本当にそんな作りで良かったのでしょうか。

アメリカ人がいかに強弁しようともイラク戦争は開戦理由をデッチ上げた侵略戦争です。「イスラム国」の台頭もイラク戦争に起因している、という中東研究者は数多い。
自分たちが一方的に仕掛けた戦争でイラク人をたくさん殺しておいてアメリカ人が何をどう悩もうと贅沢で傲慢、自業自得じゃん、生き残ったイラク人はカイルの何倍も苦しんでんだぞ、アメリカ人どうしで勝手に感動しあってろ、バ~カ……と私がイラク人なら書くかもね。ていうか、もう書いちゃったけど。ウィキペディアの記述ではイラクでも好評とありましたが、どうせ配給会社の回し者が書いたに違いありません。ダマされるもんか。

国際政治の見地からすれば正当性にも正統性にも欠けるこの戦争のフレームを不問に付して、一人の狙撃手の自伝をもとに作品を撮るという企画じたいにアメリカ映画的限界があったといえば捻くれ者の過言になるでしょうか。

*『アメリカン・スナイパー』
監督:クリント・イーストウッド
出演:ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー
映画公開:2014年12月(日本公開:2015年2月)
DVD販売元:ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント

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