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神は細胞に宿る!?〜『創造論者vs.無神論者』

◆岡本亮輔著『創造論者vs.無神論者 宗教と科学の百年戦争』
出版社:講談社
発売時期:2023年9月

世界を創造した神の実在を信じる者にとって、ヒトは進化によって生まれたという考え方は許容しがたいものです。創造論者と無神論者の対立は昔から存在してきてきましたが、2000年代以降はさらに激化の様相を呈するようになりました。

本書はそのバトルを素描していきます。両者の戦いは、宗教的言説と反宗教的言説の理論的な空中戦ではなく、近い将来の教育・医療・福祉・行政といった現実をめぐる戦いであるといいます。

読後感をザックリ言ってしまえば、キリスト教圏の自然科学や教育現場は本当に大変だなぁということです。当事者たちからみれば能天気な感想かもしれませんが、特定の宗教に対する信仰を持たない私のような人間には、創造論と無神論の論争は真理の探究という観点からみれば不毛としか思えません。実際、リチャード・ドーキンスら無神論者の「四人の騎士」が現れるまでは、欧米の自然科学者も創造論者と真っ向から議論することはなかったらしい。

ドーキンスは宗教の殲滅を強硬に主張したことで知られていますが、同時に信仰さえなければ宗教の存続を歓迎する旨の言明をしています。信仰なき宗教といえば「葬式仏教」のような形で宗教を存続させてきた日本社会のようなものではないでしょうか。

生物学者の福岡伸一は別の本で次のように述べています。

 ……科学も、哲学も、文学も、芸術も、音楽も、あるいは信仰や宗教も含めて、人間の文化が始まって以来、行ってきたあらゆる探求は、まず最初に生命の精妙さや不思議さに対する驚きがあり、そこから出発して「生命とは何か」「生きているとはどういうことなのか」という問いに答えを探そうとする営みだ、と言えると思います。

『ポストコロナの生命哲学』p142

福岡がこうした冷静な見解を広言できるのは、まさに日本に生まれ育った科学者だからでしょう。創造論者の政治力が弱い日本だからこそ、科学も宗教も同根とするような認識をごく自然に披瀝することができる。ドーキンスが「信仰なき宗教」と述べた時、日本を想定していたかどうかは知りませんが、いずれにせよ「宗教と科学の百年戦争」が勃発することのなかった日本の自然科学界は幸いであるとあらためて感じた次第です。

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