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将棋ソフトカンニング疑惑を先取り!?〜『ビビビ・ビ・バップ』

◆奥泉光著『ビビビ・ビ・バップ』
出版社:講談社
発売時期:2016年6月

物語の舞台は、まもなく22世紀を迎えんとする近未来の世界。語り手は夏目漱石よろしく一匹の猫。ドルフィーという名のその猫は、ビッグバン以来宇宙で生起せる全事象がデータベース化された《超空間》に接続できるというワケで、神様視点を獲得しています。

肉体が滅んでも電脳内で生きつづけることが可能になった地球では、リアルと疑似現実環境の境界は曖昧模糊に。空間の移動もまた現代とは様相を異にするスピードと利便性を得ている一方で、貧富の格差は拡大し富者と貧者の棲み分けが明確になされています。

主人公はジャズ・ピアニストで音響設計士のフォギー。

その世界にパンデミック(大感染)の危機がやってきます。フォギーを可愛がってくれているロボット製造販売の巨大企業の偉い人、山萩氏との交流をとおして、フォギーは思いがけずその危機の渦中に巻き込まれ中心的な役割を演じることを余儀なくされます。その場その場で臨機応変に対処することをよしとする〈ジャズ者魂〉を発揮しつつ、さて、フォギーは人類の危機を救うことができるのか──?

おもしろいのは、そこに古き良き時代(?)の懐かしい人々がアンドロイドとして登場することです。異次元の空間を往還すると同時に、時代もまた錯綜します。エリック・ドルフィーとの共演やら、大山康晴と人間との対局やら、末廣亭での立川談志の高座やら、新宿ゴールデン街のバーで伊丹十三・寺山修司・野坂昭如らと同席するやら……。奥泉はみずからの余技や趣味にまつわる愛着と薀蓄を遺憾なく動員して物語を動かしていきます。
時おり混じる敬体のセンテンスもヒューモラスな雰囲気を醸し出すのに効果的。近未来SF小説という枠組を採りつつ、1960~70年代の日本文化をノスタルジックに批評するという趣向を同時に盛り込んでいるのが本作の特色の一つといえるでしょうか。

そしてフォギーの冒険譚のなかからいくつもの哲学的問題があらためて浮かびあがってきます。自己とは何か。主体とは? 生命とは? 進化とは? 人間とは?……波乱万丈の物語のなかに盛り込まれた人類永遠の問題をめぐる思考の迷路へと批評家ならばあえて誘いこまれて一文を草すかもしれません。
さらに野暮を承知で付け加えるなら、最終盤に描かれるフォギーと山萩博士とのやりとりには、奥泉の音楽に対する愛、ひいては人間という存在に対する愛が吐露されているように感じられました。

そしてもう一つ。棋士の芯城銀太郎と大山康晴ロボットとが対局する場面では、不正行為を防止するためにあらゆる電脳網から遮断された環境を確保することが詳細に描出されています。最近、将棋界を混乱させた某九段の将棋ソフトカンニング疑惑(その後に潔白が証明されましたが)を先取りするかのような描写で、このあたり奥泉の先見性が発揮されているともいえるでしょう。

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