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そして夫は「軍神」になった〜『キャタピラー』

芋虫ゴロゴロ~、と寺島しのぶが歌い出す。嗚呼、人間とは、かくも滑稽で哀しい生き物なのか。そんな思いがその場面で沸点に達します。いや、「哀しい」というような陳腐でセンチメンタルな語句では到底表現しえない、名状し難い思いがこの映画を観る者に襲いかかってきます。
いや、ここで結論めいた観想を書き急ぐことは控えましょう。

兵士が手足を失い芋虫(=キャタピラー)のようになって帰ってきた時、「軍神」と呼ばれ崇められるようになる。女は「軍神」の妻として気丈夫に振る舞うことを周囲から求められる。けれども……。

冒頭、火が燃え盛る建物の周辺を中国人女性が逃げまどい、それを追う日本兵の姿が映し出されます。そのすぐ後に、兵士・黒川久蔵(大西信満)の帰還シーンが続くことで、「生ける軍神」の名誉とは裏腹の戦地における蛮行がいきなり示唆されてしまうこととなります。

四肢を失い、焼けただれた顔で帰郷した久蔵。村人たちの眼差しは好奇の色を隠しきれませんが、表面的には「軍神」として崇め始めます。誰も彼もがすれ違う時には敬礼したり、手を合わせたり。当初は取り乱した妻シゲ子(寺島しのぶ)でしたが、村人たちの激励や雰囲気に押されるようにして夫の世話に力を尽くすようになります。

もっとも、夫への妻の「献身」ぶりを示すにあたって、甲斐甲斐しく食事をさせているシーンではなく、性行為が先に描出されることは象徴的ではないでしょうか。文字どおり彼は肉の塊のような存在に堕してしまったかのようです。

床の間の壁に掛けられた天皇・皇后の御真影の下に、金鵄勲章と久蔵の武勲を伝える新聞記事を額装したものが飾られている。作中、この三位一体の映像が繰り返し提示されます。勲章や自らを讚える新聞記事を見ては誇りを感じる久蔵でしたが、やがて戦地での自分の行ないを思い出してはその記憶に苦しめられるようになります。

そんな様子を見て、シゲ子は次第に違和感を覚え、戦争遂行を支えるイデオロギーの呪縛から逃れようとするかのような言動が目立ちはじめます。

彼女は農作業に出る時にも、軍神たる夫に軍服を着せてリヤカーに乗せ、外に連れ出します。夫を村人たちにお披露目するという意味以上に、軍神の妻としての自分の存在を誇示しているようにもみえなくありません。
家の中では、もっと直截的な言動に出ます。ひたすら食欲と性欲の充足のみを求める夫に対して、いたたまれなくなったシゲ子は、罵詈雑言を浴びせ、卵を投げつけ、身体に乗りかかって叩いたりするのです。

彼女の激しさには、理由がもう一つがありました。映画の後半にいたって、子どもを産めないシゲ子に対して、出征前、久蔵は「石女」と呼び、暴力を振るっていたことが明かされるのです。戦争が夫婦にもたらす惨禍という〈大きな物語〉のなかで、戦前の性規範・家規範の問題にも言及している点がこの映画を単なる〈反戦映画〉の枠組みから解き放っているともいえるでしょう。

不自由な身体をくねらせる夫を見て、シゲ子は思わず歌い出す。芋虫ゴロゴロ~。
それは生ける軍神たる夫へのアイロニーというだけでなく、すべてが「お国のため」に為されねばならない軍国体制そのものへの異議申し立てでもあり、また、女を「産む機械」と見做してきた男への嘲笑でもあり、さらには人間という存在の愚かさに対する自己憐憫でもあるのではないでしょうか。

やがて戦争は終わります。
日本の敗北を知った久蔵は……。そしてシゲ子は……。

屋内の薄暗さと好対照を成す山村の風光明媚が、かえって戦争の愚かさや悲惨さを静かに浮かびあがらせます。シゲ子と久蔵の行為のさなか、虫の鳴き声が響き続けているシークエンスの音効処理も見事だと思いました。

より深刻な設定で撮られたドルトン・トランボの『ジョニーは戦場へ行った』がひたすら帰還兵のモノローグに終始していたのに対して、この映画は縷々述べてきたようにむしろ帰還兵を迎える立場、「銃後の守り」をあずかる女性の視点に重きがおかれているのが特徴です。
戦場から祖国に帰還してきた男たちの苦悩や葛藤はこれまで掃いてすてるほど主題化されてきたのですから、本作における視点のおき方はやはり特筆に値するでしょう。

若松孝二が前作『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』を撮るに際して、同じ事件を国家権力の側から描いた『突入せよ! あさま山荘事件』を痛烈に批判したことはよく知られています。
どのような題材を取り上げるにしても、決して公権力の側に立つことはない。さらには公権力に振り回される脆弱な者たちの被害者性のみに光をあてて終わるわけでもない。映画作家・若松孝二の晩年の仕事は、そのような姿勢をより鮮明に打ち出したことで、私の心をいっそう強く捉えるのです。

*『キャタピラー』
監督:若松孝二
出演:寺島しのぶ、大西信満
映画公開:2010年2月(日本公開:2010年8月)
DVD販売元:ジェネオン・ユニバーサル

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