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戦後体制の歪みを直視する〜『ニッポンの正体』

◆白井聡著『ニッポンの正体 漂流する戦後史』
出版社:河出書房新社
発売時期:2024年5月(文庫)

ニッポン人の書き手がニッポン人に向けてニッポンの正体をスバリと指摘する。しかし考えてみればそれはとくに不思議な振る舞いというわけではありません。個人レベルで考えても自分のことを最も知らないのは自分自身ということはよくあることです。

白井聡がジャーナリストの高瀬毅を聞き手として戦後日本を縦横無尽に語る。これまでの著作で述べてきたことを敷衍したような発言が多く、白井の愛読者には目新しい知見はあまりありません。
そのうえで感想を記してみます。

まず戦後日本の民主主義は朝鮮戦争の休戦状態に依存しているという認識は白井独自のものではありませんが、やはり卓見ではないでしょうか。日本の民主化は、朝鮮戦争が始まったことによって、東西対立という世界的な構図に組み込まれることになりました。

 ……東西対立が厳しくなってくる中で、日本をアジアにおける第一の子分にするほうが大事であるということになった。さらに民主化を熱心に進めると社会主義陣営にシンパシーのある勢力が元気になってしまうので、民主化はほどほどにして、戦前の支配勢力に対して公職追放を解除したり、東京裁判の訴追を免除したりして、親米に転向した戦前以来の保守支配勢力を戦後日本の政治の構造の中心に据えた。(p18)

そうしてできた統治構造が今日までずっと続いているというわけです。そのことはいうまでもなく対米従属構造の半恒久化にもつながっています。

それと関連して在日米軍は二つのステイタスをもっているという指摘も重要でしょう。すなわち日米安保条約に基づく駐留米軍というステイタスと、朝鮮戦争国連軍としてのステイタス。付け加えると、横田基地には国連軍の一員としてイギリス軍やオーストラリア軍の武官も少数ながら常駐しています。

このような戦後の推移に照らしてみれば、自民党政権が朝鮮戦争の終結に向けた動きについて反発を示したことは何ら不思議ではありません。

聞き手の高瀬は日本社会の混迷ぶりを安倍政権をはじめとする政治のせいにしようとしているのですが、白井は「政治のせいだけとは言えない」と述べ、「日本人全体の心の萎縮」を問題にしているのも正論というべきでしょう。ただ、そういう話だと、今後の日本社会の再建について具体的な対策は打ち出しにくくなります。実際、本書では「ではどうすればいいのか」という疑問に応える形にはなっていません。とはいえ現状をきちんと認識しないでいかなる処方箋を書くこともできないことも確かです。

当然ながら白井の見解には素直に首肯できない点もあります。
今は政治主導ではなく官邸官僚の支配が行われているというのが白井の見立てですが、本当にそうでしょうか。官僚支配について述べたあとに、官僚が政治家に忖度して飛ばされないようにしているという話が続きますから、白井の議論はいささか一貫性を欠いています。
現状は政治主導(というよりも政治家主導)が歪んだ形で実践されているというのが私の認識ですが、本書を読んでも改める必要を感じませんでした。

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