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ヴィクトリア湖におけるグローバル化の一断面〜『ダーウィンの悪夢』

世界各地の映画祭で絶賛を博した衝撃のドキュメンタリー映画です。とはいえ、この作品の感想を書くのはとても難しい。正直、気分が滅入ってしまいます。

アフリカ大陸の内陸部、淡水湖では世界第二位の面積をもつヴィクトリア湖はかつて多様な生物が棲息し「ダーウィンの箱庭」と呼ばれていました。そこに、半世紀前、外来魚で肉食のナイルパーチが放流されたことから、湖の生態系は一変します。ヴィクトリア湖は、他の魚を駆逐したナイルパーチの一大勢力圏と化してしまったのです。

ナイルパーチの白身は美味しい。
湖畔の街、タンザニアのムワンザには、ナイルパーチの加工工場がつくられ、関連産業が発展し、多くの雇用機会が提供されました。ナイルパーチをヨーロッパや日本に輸送する飛行機が毎日のように飛来しては、加工魚を載せて飛んで行きます。豊穰な湖の生態系の破壊と引き換えに、経済的な活況がもたらされたのです。

しかし、その陰では、ストリートチルドレンがあふれ、エイズが蔓延し、街はドラッグに汚染され、売春婦が客とのトラブルから命を落とすような事件も発生するようになります。大きなビジネスチャンスを掴んだものは富み、そこからあぶれた大多数の人々の貧困は放置される。
ナイルパーチの切り身は先進国に輸送されますが、残りのアラは地元民が食べます。アラ捨て場にはウジ虫が大量に這いずり回り、アンモニア系の有毒ガスが発生して、そのために目を潰した女性も出てきます。

漁業研究所のガードマンは「前任者が殺されたおかげで仕事にありつけた」と語ります。
漁業キャンプの牧師は「1ケ月に10〜15人がエイズで死んでいくが、コンドームを使うことは教義に反するので、コンドームの使用を薦めることはできない」と嘆息します。

ナイルパーチを輸送する飛行機は、武器の密輸にも関わっていることが、次第に明らかにされます。ロシア人のパイロットは、アンゴラに戦車らしきものを輸送し、ブドウを積んでヨーロッパに戻ったことがある、と告白します。クリスマスの日、ヨーロッパの子どもたちはブドウをプレゼントされ、アフリカの子どもたちは銃を贈られる……。

先進国の繁栄は、発展途上国の貧困や混乱と表裏一体のものとしてある、という南北格差の問題は、古くて新しい問題です。21世紀のグローバリゼーションは、さらに最貧国の内部においてもその「格差」を拡大してしまいました。
グローバル化がなくともタンザニアは貧しい状態に置かれていたのではないか、と来日会見で質問した記者もいたようですが、映画をみれば、貧困の質がいかに複雑化したかが理解できます。その意味では、この映画の主題は「グローバル化でタンザニアがいかに変化したか」を描いたものといえます。しかもその変化はおそらく不可逆的です。
ヴィクトリア湖畔の街に露呈したその現実を、オーストリア出身のドキュメンタリー映画作家のフーベルト・ザウパーは4年間現地に住んで撮影しました。

かつて、サルトルは「餓えたる子どもたちの前で、文学は可能か」と問いかけました。今、私たちはこの映画を観た後で、いかなる声を発することが可能なのでしょうか。
この作品が封切られた後、ヨーロッパでは「ナイルパーチを食べることがタンザニアの生態系と人々の心を破壊する」として、ナイルパーチのボイコット運動が起きました。一方、タンザニアでは、政府の呼びかけによって、この映画のボイコット運動が行なわれた、といいます。いずれも問題の本質に迫るような賢明な行動とは思えません。といってそれに代わる明快なリアクションを思い描くこともまた難しいのも事実。

この作品にあっては、これからの行動指針や処方箋が安易に提示されることはありません。標的とすべき政治勢力や資本家たちが明確に指し示されているわけでもありません。グローバリゼーションにおける負の連鎖を断ち切ることの絶望的な困難とジレンマを思い知らされるのみです。

ザウパーは述べています。
「世の中にはひとつの事実がある場合、必ずポジティブな面とネガティブな面が同居しています。すべてがネガティブだと言っているわけではありません。ただ、ポジティブな面の方が見えやすい、誰の目にも付きやすいのです。例えば、誰かが高級車を購入したことは誰でも気がつきます。あるいはダルエスサラームの街にビルが建ち、豊かになったことは見えるのです。でも、その陰で静かにエイズで死んでいく子供は見えないのです。そういった目に見えない部分を見せるのが、自分の役割だと思っています。……(中略)……私の撮る映画を通して、皆さんが何かを感じて、考えたい、思考したい、と思ってくれればそれで満足です」

この映画についてはいくつかの批判も提起されています。諸悪の根源をナイルパーチに結びつけている、短絡的ではないか、というような批判です。それならそれで別の事実を提起して議論すればよいでしょう。何も知らずにいるよりも議論を喚起した、というだけでも意義はあるのではないでしょうか。「考える」ことも「実践する」ことも、ともに現実を知るところから始まるのですから。

*『ダーウィンの悪夢』
監督:フーベルト・ザウパー
映画公開:2005年1月(日本公開:2006年12月)
DVD販売元:ジェネオン エンタテインメント

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