81pNDpl2jpL_のコピー

擁護でも否定でもなく〜『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』

◆宇野重規著『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』
出版社:中央公論新社
発売時期:2016年6月

保守主義者を自称する人は増えているらしい。もっともその意味するところは人によって異なります。本書は保守主義を思想史的・歴史的に検証し、その再定義を試みるものです。

フランス革命に対抗して論陣を張ったエドマンド・バークを保守主義の原点とするのは教科書どおり。ただここで注意すべきなのは、バークは革命一般に反発したわけではなく、フランス革命のように歴史と断絶した急進的な変革に疑問を呈したという事実です。名誉革命で打ち立てられた英国国制(British Constitution)のような政治体制を重んじ、これを守り発展させていく漸進的変革こそ人間社会に適ったやり方だとバークは考えました。

バークによって基礎が確立された保守主義の新たな展開として社会主義に対抗するために主張されたものが次につづきます。T・S・エリオットやフリードリヒ・ハイエク、マイケル・オークショットたちの保守主義です。なかでも興味深く読んだのは、ハイエクに関するくだり。彼は集産主義を批判し「法の支配」を強調しました。法の支配が発展したのは17世紀イングランドですが、ハイエクはその起源を中世ヨーロッパではなく、古代ギリシアにおける「イソノミア」に見出します。デモクラシーが民衆による支配を意味するとすれば、イソノミアは「市民の間の政治的平等」を指すものでした。本書では触れられていませんが、イソノミアは柄谷行人が『哲学の起源』で言及して以降、あらためて注目されている概念です。

アメリカの保守主義としては、伝統主義とリバタニアリズムの系譜が考えられます。とりわけ後者は政府の権力の縮小化を主張する点で、個人の精神的態度をこえて政治レベルでの保守主義的政策を実現していく理論的支柱となりました。ミルトン・フリードマンとロバート・ノージックがその代表です。

フリードマンは何よりも政府の役割が拡大することで特殊利益が跋扈して、一般利益が損なわれることを問題視しました。「今日の新しい支配階級は、大学におさまっている連中であり、報道機関であり、とりわけ連邦政府の官僚機構である」。同じような主張を個人の人権や自然権を重視する立場から展開したのがロバート・ノージックです。

「日本の保守主義」を論じた一章では「明治憲法体制を前提に、その漸進的な発展を目指した」点に着目して伊藤博文や陸奥宗光を保守主義の文脈で論じているのが興味深い。その論法を現代日本にあてはめると、現行憲法体制を前提に強引な政権運営を抑えようとしている共産党やSEALDsの学生たちが保守主義者ということになるのでしょうか。(実際にそのように論じる文章もみかけますが……。)

著者の宇野重規は自らを保守主義者であるとは考えていない旨、あとがきに明記しています。ゆえに保守主義の正当化をはかることも過大な宣伝を行なう必要もない。俯瞰的な地点から保守主義を歴史的に概括したところに本書の特徴があるといえます。その意味では、よくいえばバランスのとれた記述になっていると思われますが、ここに挙げられた論客たちに関して、あらためて読んでみようという意欲が喚起されるほどの魅力を感じるには至りませんでした。とはいえ保守主義のよく出来た解説書であることは確かでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?