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お兄ちゃんへの鎮魂歌(レクイエム)

少し悲しいお話だよ

ううん、だいぶ悲しいお話だね


私のお兄ちゃんは、今で言う発達障害だったよ

軽い知的障害もあったよ

吃音もあったよ

身体が固くて正座ができなかったよ

運動も普通の子みたいにはできなかったよ


それでいて、彫刻のように整った美しい目鼻立ちをしていたよ


その当時、周囲の人間たちは、お兄ちゃんの障害を理解できなかったよ


父親は、ただでき損ないの息子だと思って、いまいましそうにしていたよ

そんな息子を生んだ母親にもつらく当たったよ

いつもいつもお兄ちゃんには、残酷なくらいつらく当たったよ

母親は息子を憐れんで、余計に庇おう庇おうとしていたよ


お兄ちゃんは幼いころから、ひどい喘息もちで、発作で眠れない夜が多かったよ

母親は一晩中お兄ちゃんの背中をさすってたよ

狭い家だったから、お兄ちゃんの苦しそうな喘鳴が気になって、私たち妹や弟も眠れなかったよ


お兄ちゃんとはうまく話が通じないことも多かったけど、気のいい人だってわかってたよ

野球と壁チョロ(ヤモリ)のような生き物が好きで、笑顔が底抜けに無邪気な、優しい人だったよ


仕事に就いてもなかなかうまくいかなかったよ


最後に勤め始めたばかりの会社の親睦旅行先で、急に具合が悪くなったよ

それで、お兄ちゃんは旅館の人に風邪薬をもらって飲んだんだ

そうしたら、急にショック状態になって、現地の大学病院に救急搬送されたよ

家族が病院にかけつけたら、ICUで人工呼吸器つけられて昏睡状態になってたよ

3日くらい付き添ったら、多臓器不全でスーッと亡くなってしまったよ

痩せっぽちのお兄ちゃんだったのに、一人暮らしを始めてから、風船のようにみるみる身体が膨らんで、最期は別人のような身体になってたよ


お兄ちゃんが息を引き取った時、母親は呆然として、魂が抜けたみたいになったよ

父親は、涙を流さず、黙って電気髭剃りで息子の髭を剃ったよ

まるで戦友を弔うみたいに見えたよ


「俺とお前(父親と母親)の板挟みになって、この子は犠牲になった」と母親に言ったそうだよ

私たちの知らないところで、父親はどれほど自分を責め続けてきたのだろう

無信仰な人だけれど、父親は、部屋にも仏壇にもお兄ちゃんの写真を飾って、毎日手を合わせ続けているよ

でも、父親は、命日にさえ、お兄ちゃんのことを口にしなくなったよ


たった33歳でお兄ちゃんは死んじゃった

悲しすぎて死んじゃった

寂しすぎて死んじゃった


親睦旅行に行く少し前、珍しくお兄ちゃんが私にこう言ったんだ

「おい、一緒にダイエーホークスの試合見に行こうや」って

でも、野球に興味のなかった私は、お兄ちゃんとの最初で最後の野球観戦になるとは思いも寄らず、

「えっ?どうしたの、急に。私行かない」って断っちゃったんだ

今でもそのことを悔やんでるよ

ごめんね、お兄ちゃん


お兄ちゃんのお葬式が終わって

霊柩車で火葬場へ行こうという時、

真っ青に晴れ渡った5月初めの空に

急に大きく稲光が走って

勢いよく雷が鳴ったよ

10分近くの間、その一帯だけの雷鳴だったよ

でも、不思議と雨は一滴も降らなかった


旅立つお兄ちゃんからの挨拶だ

気のいいお兄ちゃんらしい挨拶だ


お兄ちゃんは、その後よく夢に出てきたね


今もお兄ちゃんの魂を感じるよ

写真のお兄ちゃんのおでこは、仏さまのように光っているよ

尊いお顔だよ


合掌



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