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「忘れもの」は届けない〜ママの試練

私は忘れっぽい。

忘れ物も昔から多い。そのため子供の頃は、母親に世話を焼かれっぱなしだった。「忘れ物ない?」「チケットは?」「ハンカチは?」「ティッシュは?」のべつ問い続けられてかなり口うるさかった。

そんなに大層な忘れ物、例えば 電車の切符や映画のチケット、試験の時の受験票なんていうものは絶対に忘れないけれど、何かちょっとしたものを、忘れてしまう。その日のために新調したハンカチとか、新しい鉛筆とか、そんなようなもの。あるいは、学校で持ってくるように指示された図工用のグッズ。毛糸とかアルミホイルとか。ちゃんと準備しているのに机の上に置きっぱなし、ということが多かった。

「今日こそうるさく言われたくない」ことに集中するあまりに、やっぱり何か一つ、忘れ物をしてしまう。ということをずっと繰り返していて実家では「ぼーっとしている」ダメなお姉ちゃん扱いであった。そして自分の自分に対する認識も「私は忘れ物が多くで、ぼーっとしてて抜けている」というものだった。

ところが社会に出ると私より忘れ物が多く、私よりぼーっとしている人はたくさんいた。むしろ、周囲の評価は、「仁香さんはしっかりもの」だった。自分の認識と周囲の認識のギャップを埋めるのに、結構時間を要した。あんまりしっかりしていると、「いけないのでは?」と思ってしまうこともある。それはきっと、私の母親が「相手に役立ちたいあまりに、相手の足りないところについ目がいってしまう」エニアグラムでいう、タイプ2だったことも影響している。

私の母親は、「相手に役立ち、感謝されたい」気持ちが強すぎて、相手の短所により目がいってしまう、という傾向があるのだ。だから、相手にどこもツッコミどころがないと、逆に不機嫌になる。

「ほうら。やっぱり私がいないとダメなのね」という気持ちになりたくて世話を焼きたいのだ、ということを理解したのはずっとずっと大人になってからで、子供の頃は「私がダメだから世話を焼いているのだ」と考えていた。この差は大きい、と思う。

私自身もなんとなくそれを直感でわかっていて、母に構って欲しくてわざと忘れ物をしていたところもあったと思う。「ほら、だめねえ。せっかく用意してあげたのに」と小言を言われる方が、「あなたは一人でなんでもできるのね」と突き放されるよりずっと良かった。

親になって、子供達が小学生になったときに決めたことがある。

「忘れ物は届けないぞ!」

「世話を焼かれるのが当たり前」になってしまうと、親も子供も後々辛い。学校の準備は手伝うけれど、(図工のグッズとか。毛糸、モール、トイレットペーパの芯!なんて時もある)持ち物に関しては、本人の管理。ということを前提にしている。

子供たちは、男の子、ということもあって忘れ物をしても存外平気。今は学校の先生も忘れ物くらいでクドクド言わないし、大事なことは毎月のプリントに書かれていて、保護者に直接依頼される。昭和の小学校よりは随分と明るくて平和だ。

「行ってきます」と飛び出してから青くなって「忘れた!」と戻ってくることもある。通学路で行き合った友達が絵の具バッグを下げていて、あ!と気づくらしい。それで良いよね、と思う。

学校で失敗したり叱られたりする経験を得て、自分なりの方法を作っていくだろう。いや、長男に関してはずっとこのまま全く気にしないのではないかと思う時もあるけれど……いくら忘れ物をしても叱られても、「平気!」ならそれはそれで逞しくて図太くて頼もしいではないか!

そのため、私は朝、忘れ物に気づいても学校に届けない。

でも、例外はある。水泳の道具と月曜日の朝の「上履きと体操着と給食着」だけは、「授業を受けてほしい+次のお当番に迷惑なので」持っていく。(親ってやっぱり勝手だな)そこで派手に恥をかけば、忘れ物なんて2度としないかも、とは思うのですが、そこまではまだ、割り切れない。

今朝も、次男がせっかく昨日やって、全部丸だったドリルを忘れていった。しかも今日は、「暇だー」といっていつもより10分早く出たのに!

私が気づいたときは、まだ校門が空いている時間だったので、正直迷った。次男は学校では優等生。きっと、焦るだろうなあ。パニクルだろうなあ。持っていったら喜ぶだろうなあ。安心するだろうな……。

本音を言えば、持っていって安心させてあげたい。安心した笑顔を見たい。

でも、ここはグッと我慢、我慢。

普段、味合わない感情をいっぱい感じて、帰っておいで。

おやつ用意して、待ってるからね。




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