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可愛いと言われて喜ぶ女になるな

私の父は、ものすごく矛盾している人なので、私に「女は愛嬌」と言いながら「可愛いと言われて喜ぶ女になるな」とも言い続けた。矛盾している。何しろ、30数年前にご縁があって親しくさせていただいている修験道の先生によると、守護神が「十一面観音」である。十一の顔を持つ男なのだ。朝令暮改は日常茶飯事。「え、この前と真逆のこと言ってるけど」と指摘しても「俺の辞書に間違いはない」と豪語して決して訂正しない父親は、亡くなるまで私にとって支離滅裂、不可解な父親であった。

父は家父長制をよしとする人で、家族にそれを強いた。私には「女は愛嬌だ」「わきまえろ」と言い続けたが、その一方で父親は「可愛いと言われて喜ぶ女になるな」とも言い続けた。ご都合主義もはなはだしい。

「従順で素直で明るく、誰からも好かれる明るい子。賢くて仕事ができて男性に媚びない凛とした女性。年頃になったら見合い結婚して孫の顔を見せてくれる」

そんなやつ、いないって!と今ならツッコミを入れられるが、30歳になるまで私は父に押し付けられた期待と理想をなんとか実現できないかと思っていたから割と笑えない。

父は私に夢を持ちすぎていた。そして、今の日本社会では、女性全般に対して同じように甘えた理想がもたれていのもなんとなく笑えない。いや、結構ひどい現実だと思う。結局望まれているのは「都合の良い女」なのではないか。

シナリオライターを職業としている方には女性も多い。自立を謳ったドラマも多い。それでもなんとなく「結婚と仕事の幸せな両立」を暗示させるラストはいまだに多く、男をどん底に落とすようなラストは少ない。

昔、そのことについてシナリオの師に問うたことがある。

今、大御所と呼ばれたり伝説となっている女性脚本家の先輩の皆さんもどこか家父長制度を是としている節がある。なぜでしょう?と。

間髪を入れず、師は言った。「だって、そうじゃなきゃ仕事もらえないもの。当時は今よりもっと男社会だったんだから。女が書くっていうだけで一大事だったのよ」

ああ、そうか。脚本を書き始めた時、書いたもので表現したり訴えることで世界が変えられるんじゃないか。不遜にもそんなことを思っていたけれど、その「世界」自体が、男社会なのだ。小さな家庭という社会のなかで父の理想の押し付けとそれに巻かれろ、という女性たちに辟易としていた私は、振り上げた拳の持って行き場を見失い、途方に暮れた。

これじゃあどこに行っても一緒じゃないか、と。

あれから、月日が流れた。父の理想、現実、世間の風潮。それに触れるたびに揺れ動き、迷い、結局わたしが辿り着いたのは、その時々、覚悟を持って選択して生きていくことだった。男とか、女とか娘としてではなく、「ただのわたし」。それだけで生きる。時間はかかったけれど、挫折もたくさんあったし失敗もたくさんあるけれど、それを続けてきた結果、結局のところ、普通に主婦をして子育てをして、まだ何かをやろうとしていて夢を諦めていないいまの自分は「幸福だ」と堂々と言えるし、それは誰からもらったものでもなく、「わたしが頑張ったからだよ!」と胸を張って言えるくらいにはなった。

けったいな父親を持った報いと思えば、父の矛盾も少しは許せる。

一昨年亡くなった父の遺品整理をしていたら、旅先からまだ赤ん坊の私や3歳の私に宛てた葉書がたくさん出てきた。そこにいる父は、愛情深く、優しく、ユーモアに溢れていた。かいま見えていたのではなく、溢れていた。それに泣けた。

それも、十一の顔のうちの一つだ。

父は、たびたび各所の十一面観音を巡った。十一面観音の十一番目の顔は、裏にある。「暴爆大笑面」と言われていて大爆笑している顔だ。奈良のお寺でその顔を肉眼で見た時思った。「そう、本当はこう言う人なんだよね」と。私は、その顔の父を知っていたから。

父の笑顔を見るのは幸せなことだった。嬉しかったし、病気になった時は本気で奇跡の回復を信じ、子育てでただでさえヘトヘトでも色々と奔走したのは、時折見せる、暴爆大笑面から感じられる、「無条件の愛」があったからだと思う。

可愛いと言われて喜ぶ女になるな、と言う言葉の裏には、「お前の本質を見る人間と付き合え」と言う思いがあったのだと信じたい。

そう、色々理想は押し付けられたが、結局のところ父は私が「ただのわたし」だから、愛してくれていた。

「可愛いと言われて喜ぶ女になるな」

色々と誤解を呼ぶ表現ではあるけれど、でも、これは父親が言っておいてくれてよかった、と思う数少ない言葉の一つだ。多分、この言葉があったから私は父を最後まで好きでいられた。


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