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グラスの中身がお酒だったら、

「明日東京行くね」
「そうか、またな」

帰省したとき、やせ細った祖父母が私を迎えた。
ほとんど外出をしないから二人の肌は真っ白だった。

次に会うときは乾杯ができないとも知らずに、
私は東京行きの直前にひとこと挨拶に行くだけだった。

「明日東京行くね」
「そうか、またな」

***

盆暮れ正月には親戚が集まって宴会を開いていた。
決まって祖父が口上を述べ、今後のことを祈って乾杯をする。

私がそこにビールや焼酎を持って参加できるまで、
あと2年のところで祖父母は旅立った。

***

祖父母の家と私の実家は50メートルほどしか離れてなかった。

夕食を食べていると度々祖父母のどちらかが
「喧嘩した」
と言ってやってきた。

自分は悪くないと二人とも主張した。
うんうん、と言って話を聞くのはいつも父だった。
私はグラスとビールを持ってきて、
そして皆で乾杯する。

いつしかその頻度は減り、祖父母に会いに行くことも少なくなった。

***

我が家にとって乾杯は、みんなの1日を労わるためのものだった。
グラスの中身にかかわらず、毎晩乾杯をして、お疲れ様と言い合った。

私は早くグラスにお酒を入れて乾杯したかった。

まだお酒を飲めない頃、
クリスマスにはシャンメリーをワイングラスに注いで乾杯していた。
お酒に対する漠然としたあこがれがあった。

幼い私に、お酒は「通行手形」のように見えていたのだろう。

グラスにお酒を注いで、乾杯する。
そこからは大人の話。

顔を赤らめて楽しそうに話す大人の様子が
幼い私にはキラキラ輝いて見えていた。

ビールや焼酎で乾杯していれば、
祖父母の喧嘩話の相手をしていたのは私だったかもしれない。

グラスの中身がお酒だったら、
もっと色んな話ができたのかもしれない。

そんな子供じみた想像をしてしまうのは、
祖父母にもっと長く生きていて欲しかったからだ。

成長した私を見て欲しかったからだ。

あの頃できなかった話をしたかったからだ。

グラスの中身なんて関係ないとわかっていた。

祖父母ともう乾杯できない悔しさを、
会いに行かなかった後悔を、
グラスの中身のせいにしているだけだ。

「明日東京行くね」
「そうか、またな」

***

乾杯の習慣は結婚して実家を離れてからも続いている。

祖父母が眠りについて暫く経った頃、
「じいちゃんの好きなものは全部あんたが受け継いだね」
と母に言われた。

映画、
カメラ、
音楽、
読書。

それらを好きだと自覚したのは夫と出会ってからということを考えると、
夫と祖父はきっと話が合ったに違いない。

前から夫と父は似ていると思っていたけど、
祖父とも通じる部分はあるということは、
母娘そろって自分の父親に似た人を選んだんだな。

そう考えるとちょっと笑ってしまう。

祖父母と夫と私で乾杯する光景を頭に思い浮かべる。

夫はきっとへろへろになるまで飲まされて、
祖父は豪快に笑いながら椅子に座って焼酎のお湯割を飲んで、
祖母はちょっと嫌味を言いつつビールを延々と飲みながら泣き上戸に入って、
私はへろへろの夫を助けもせずにひたすら飲んで話して。

そうだなあ。

やっぱりグラスの中身はビールか焼酎だ。

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