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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

推しの子とフリーレンに共通するテーマ

「【推しの子】」と「葬送のフリーレン」は、どちらも2020年に連載が始まって2023年にアニメが放送された漫画です。
この2作品のテーマがよく似ているなと思ったので、似ている所と逆に違うところについて書いてみます。
多分今までに散々言われてると思うので、今更感はあると思いますが……。

※連載のかなり最近の部分についてもネタバレがあるので注意

1.テーマの共通点

この2作品では、どちらも作品の中心にいる人物が既に故人となっています。
推しの子では「星野アイ」、フリーレンでは「ヒンメル」です。

アイは主人公の母親というだけではなく、登場人物の多くがアイに影響を受けていて、アイの映画を作ったりもしています。
アイの優れたルックスや嘘つきという形容など、芸能界という作品の舞台を象徴する存在でもあります。

ヒンメルはもはや言うまでもないですね。フリーレンの旅の原動力であり、どのエピソードでもヒンメルとの思い出が出てきて、行く先々にヒンメルの足跡が残っています。

重要人物の1人が早々に死んでしまうという展開は珍しくないですが、作品のテーマ・根幹・軸・中心とも言える存在が故人という作品はそうは見かけません。
主人公より目立ってるキャラが回想でしか出てこないって普通に考えたらリスキーだと思うので、あまりないのは当然のことだと思います。

推しの子とフリーレンに共通するテーマ、それは「人が亡くなった後の世界に残ったその人の記憶や足跡」だと思っています。

推しの子ではフリーレンほど大きなテーマにはなっていないので、映画編のテーマと言った方がいいかもしれません。

2.テーマの相違点

しかしながら、この2作品では「人が亡くなった後の世界に残ったその人の記憶や足跡」に対する扱いが180度違うように思います。

フリーレン

フリーレンの舞台は、ヒンメル達が魔王を打ち倒してから約80年後の世界です。旅をしていた期間(人々の記憶に残っている期間)で言えば約80~90年前。エピソードの頭に付いている通り、ヒンメルの死からでも約30年です。

80~90年前に活躍した人物の人柄なんて忘れられていて当たり前です。
フリーレン等の例外を除けば、実際に会ったことがあるのは老人のみ、それもあと20年もすればいなくなります。
日本で80年前といえばちょうど第二次世界大戦の頃です。私はギリギリ総理大臣や各国代表の名前を覚えているくらいで、その人柄なんて全く知りません。昭和天皇にしても、いくつかのエピソードを聞いたことがある程度です。

そのくらい昔の人物であるにも関わらず、各地にはヒンメルの像があり、ヒンメル関連の祭りがあり、ヒンメルのエピソードが残っていて、ヒンメルの冒険譚で人生が変わった人がいます。
ヒンメルを中心に考えると、例外たるフリーレンはヒンメルの足跡が残っていることの観測者です。ヒンメル関連の話が事実なのか創作なのか判断して「確かにヒンメルの足跡は残っている」と読者に伝える役目を担っているのがフリーレンです。

フリーレンのテーマは、「実際に会ったことのある人がいなくなっても、故人の記憶や足跡が確かに残っている」というものでしょう。

推しの子

一方、推しの子の舞台はアイが亡くなってから十数年後(13年後?)です。出産してから活躍度がどんどん上がっていきその途上で亡くなったので、おそらく人々の記憶に残っているアイは亡くなる直前、20歳頃のアイです。

アイと交流があった人はまだほとんどが生きています。明確に亡くなったことが示されているのは上原夫妻くらいじゃないでしょうか?
さらにアイは大人気アイドルだったわけですから、多くの人がアイの活躍を知っています。
日本で13年前といえば2011年。東日本大震災があった年ですね。生まれてなかったとか幼かったとかでなければ、その頃の記憶は残っている人がほとんどじゃないかと思います。当然、友達の性格人柄なんかもよく覚えているでしょう。

しかし、映画編を見ると顕著ですが、大ファンかつ子供だった主人公達でもアイについて分かっていない部分が多くあります。
個人的に、靴下が左右違う・靴下に穴が空いてる・靴底ベロベロといういかにもなエピソードが後から創作だと明かされたのがぞくっとしました。こうして故人の輪郭が不明瞭になっていくんだな、と。

また、アイは率先して嘘をつく(理想を演じる)キャラだったので、ファンから見たアイと家族から見たアイはかけ離れています。序盤の怒濤のポンコツエピソードも明らかにこの差を描いたものでしょう。
ルビー、アクア、壱護社長、カミキ、B小町メンバーといった親しい人達の間でも細かい部分では認識の違い(解釈違い)があるはずです。

推しの子(特に映画編)のテーマは、「実際に会ったことのある人が大勢いても、故人の記憶や足跡は全然残っていない」というものだと思います。

比較

もちろん、2作品共に記憶に残されている部分と残されていない部分の両方が描かれています。なんなら、80年前と十数年前という違いもあって、ヒンメルよりもアイの方が残っている部分は多いと思います。
あくまで「どちらが強調されているか」という話です。
全然残ってない……ように見せて残ってる!というのがフリーレン、みんな知ってる……と思いきや意外と分からない!というのが推しの子だと考えています。

死後の年数以外だと、フリーレンにあたる人物が推しの子にはいない、いたとしてもラスボス(カミキ)、というのも大きな違いです。
当時のフリーレンがあまり人間に興味がなかったために、フラットな歴史の目撃者になっている気がします。アイを最もよく知るのはおそらくカミキですが、主人公陣営にいない上に彼は彼でいろいろと歪んでいるので……。

あとはヒンメルは裏表がなく、アイは裏表ありまくりというのも違いですね。

この2作品は共通したテーマを持っていますが、死後の年数・フリーレンポジの有無・故人の性格、この辺りがテーマの描き方を180度変えているように思います。
というか、180度違うテーマを描いた結果この辺りに違いが生まれた、ということですね。

3.無職転生「本編」

全く別の小説の話になりますが、無職転生というラノベがあります。
現代日本のニートが異世界に転生して「ルーデウス・グレイラット」として生きていく物語です。

無職転生は元々書く予定だった物語の過去編にあたるらしいです。無職転生以外にも同じ世界の物語はいくつか書かれています。
なので、元々書く予定だった物語の方は「本編」と呼ばれたりすることがあります。

さて、先に「本編」が書かれていたらどうなったかは分かりませんが、ルーデウスの物語が先に書かれた以上、「本編」のキャラ達にはルーデウスの影響が強く表れるのではないかと思っています。ルーデウスの物語には「本編」にも登場しそうな人物が既に登場していることも理由です。

そうなれば、無職転生「本編」は推しの子やフリーレンのように、故人が中心に据えられた物語になる可能性もあるんじゃないかと思います。

4.創作論的な話

推しの子とフリーレンのテーマ設定すげー!!と思った以上、小説書きの端くれとして似たようなテーマの作品を作りたくなってしまうものです。

ただ、これはちょっと簡単に作れるものではない気がします。
推しの子やフリーレンレベルに面白い物語を作るのが、ではなく、故人が作品の中心にいる物語を作るのが、です。

まず、無いものを中心に据えるのが難しいです。
前は有ったけど今は無いものを書くって、もはやチェシャ猫を書くみたいな話じゃないですか。
もうちょいまともな例えをするなら、無人の芝生の絵を描くよりも芝生に立っている人間を描くよりも、さっきまで人が立っていた芝生を描くのが難しいだろう、ってところですね。
書いてみたら出来ないことはないのかもしれませんが、とりあえず頭でイメージするのは難しいですね。

それと、多分ストーリーを作るのがかなり難しいです。
既に死んでいるのに話の中心になるくらいですから、そこらの主人公よりよっぽど主人公らしい人間じゃないと成り立たないと思います。
そんな主人公より主人公らしい人間抜きで物語を作るってバランスがかなり難しいです。
主人公より主人公らしいからには主人公らしい活躍はしていないとダメですし、かといって現在の話よりもそっちの過去編を見せてくれよ、となってもダメなわけです。

その点ではフリーレンの方がまだ書きやすそうではあります。
勇者と魔王の物語が超有名なテンプレなだけに、勇者と魔王の世界が舞台で勇者以外を主人公とした物語も世に溢れかえっています。そのテンプレに親しんでいる人間なら「なるほどー」ってなるようなストーリーではあります。

いつか切り口が見つかったら書いてみたいですね。

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