徒然諸々 永代通りを歩いて、頭を抱える

 門前仲町、木場、東陽町と永代通りを歩いた。
 何度か歩いているのだが、一向に街の雰囲気が頭に入らない。門前仲町には深川不動尊、富岡八幡宮があり、もっと下町っぽいイメージを持つ所があっても良さそうなのに……、ない。ここを舞台にした小説を考えているから、生きた人らしい雰囲気があると嬉しいのだが。
 ここは東京砂漠♩ 門前仲町、木場、東陽町と永代通りを行き交う人々は、毎日変化なく食べて、寝て、起きて会社または学校に行って、帰ってきて寝てという感じを受ける。イトーヨーカドー・西友に行ったら少しは違うかと思ったら、千葉か埼玉のイトーヨーカドー・西友の風景と変わらない。東京のイトーヨーカドーの住民に千葉や埼玉のイトーヨーカドーの周辺の住民が似ているのか、結局、イトーヨーカドー、イオンモール、西友、ライフ、サミットの近所の住民は日本のどの場所でも生態が似てしまうのか。
 どうしよう…。
 昔、郊外に住む住民や若者の姿を描いた小説が"リアル"であり、現在日本社会を切り取っていると盛んに言われていた。木場や東陽町に住む人々の姿を主人公に据えても、方言は別として、日本中のどこの話しとして通じるのか? 都会だけの風景ではないのか? 通うべきか。別の場所を見つけ、そこを歩いて想像を膨らませ小説の題材にするべきか。
 逆に立川、三鷹なの東京西部か、町田、川崎など東京西南はどうだろう。更にベッドタウンで、私が期待しているような"顔"が見える街ではないのかな。昔、山田太一さん脚本の『岸辺のアルバム』とうドラマがあった。調べたら東京都狛江市でに出来事をドラマ化した。また鎌田敏夫さん脚本の『金曜日の妻たちへ』というドラマは東急田園都市線沿線の話しだった。ドラマは参考になるのかな。昭和のあの頃より、もっと街はジオラマ化して住民はモブ化している気がする。むかし懐かしい風景だったら良いが、門前仲町も大宮も川崎も流山も、同じ風景に見えたら、同じ住民が暮らしいる錯覚に陥ったらどうしよう。モブ化した人々を描くだけで、リアルと評価されるのだろうか。リニアが東京、名古屋、大阪を繋がったら、どこも都会は街はジオラマ化、人はモブ化して。その周辺も都会のマネをして街はジオラマ化して、人はモブ化するんだろう。モブ化した人たちの関係の中から欠片のような違いを発見してゆくことになるのか。読者も作家が見つけた、欠片を読んで自分と同じと喜ぶだけになるのか。すでにスマホの普及で日本中に情報は満遍に伝わって、誰も彼もがモブ化してしまっているんだろうか。主役に成りえるキャラなんて、物語りだけの世界と笑われるようになってしまうのだろうか。
 涼しくなってきたし、立川、国分寺、三鷹くらいは散策してみて、私の頭の地図を広げよう。中延、荏原にも久々に行ってみよう。

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