「映画」という闘い
今回の作品はネタバレなしで感想を書くことにした。私は映画の感想を書くとき基本ネタバレありきで書いている。というのも、私が感想を書くのは自分の考えを整理するためが1つ。そしてHSPの方のように映画が気になるけれど精神的なところでどうしても映画が観られない人へその映画の魅力を伝えられたらと思って書いているのが1つ。あとは「ネタバレ」の基準が人によって結構違うので面倒な事にならないための布石だ。
今回ネタバレ無しで感想を書こうと思ったのは、より多くの人にこの映画を観てほしいと単純に思ったからだ。今の日本にこれほど相応しい映画もないだろう。
「1987、ある闘いの真実」はタイトル通り、1987年の韓国を描いた実話を基にした映画だ。ちなみに1987年の日本といえば、ちょうどバブル景気が始まり、俵万智さんの詩集「サラダ記念日」がブームになった頃である。そんな時期にお隣の国では大きな闘争が起きていた。
1987年、全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領の軍事政権下で治安本部の対共分室を率いるパク室長は共産主義者を撲滅すべく、取り調べを日ごとに激化させていた。そんな中、行きすぎた取り調べによってソウル大学の学生が死亡してしまう。治安本部は隠蔽のため遺体の火葬を進めようとするが、それに違和感を覚えたチェ検事により拷問致死であることが判明。さらなる隠蔽を行うべく動く治安本部に対し、反抗する検事、真実を明らかにしようと奔走する記者、政府に意を唱える学生たちが立ち向かう、というのがこの映画のストーリーだ。
ストーリーとは言ったが、この映画は実話を脚色した映画である。同年1月に起きた学生拷問致死事件は実際に起きた出来事であるし、それを契機に起こる一連の出来事も大体実際にあったことだ。1987年という激動の1年、大統領直接選挙を実現するために起きた韓国民主化闘争は、韓国の人々が民主化のために奮闘した実際の1年だ。
この映画の制作が始まったのは、朴槿恵政権下の頃だった。朴政権といえばご存知の方もいらっしゃるだろうが、大統領の意に沿わない文化人の「ブラックリスト」を作り、支援事業などにも介入するという言論統制を行っていた政権である。当時の韓国映画界でも、民主化の話を扱うと不利益を被るような状況だった。実際、この映画も中々製作費は集まらず、脚本も秘密裏に作成したほどだ。その後は朴大統領のスキャンダルが発覚したことで制作が行い易くなったが、監督曰く発覚前に勇気を持って出演を決めた俳優も多かったそうだ。
ちなみに、同じ様に民主化を描いたソン・ガンホ(彼もブラックリストに記載された俳優の1人)主演の映画「タクシー運転手」は「1987」よりも前の1980年に起きた光州事件を題材にした映画だ。戒厳軍による市民への暴行を目撃したドイツ人記者と彼を助けた運転手の物語だが、これは朴政権下の最中で撮影された。この映画は韓国で1200万人が観る大ヒットになった。このような映画がヒットになるというのも韓国映画界の作り手の質もそうだが、観客の質が育っているからだと思えて感嘆する。逆境の時代に制作した映画に観客が声援を送ることは、制作側へ大きな勇気を与えることだろう。
1980年代は、人々の心や精神の自由を抑圧するのに暴力が使われた時代であったが、現代においては暴力までは使われず、干されたり、重要なポストから外されたりする。この映画の時代も、制作した時代も、やり方は違えど人々の心や精神の自由を政治的に押さえ込もうとした時代だ。しかし、そうやって押さえ込もうとしても人々は抵抗する。実際、1987年はそんな1人1人の小さな良心が集まって歴史が変わった例である。
権力というものは大きい。それ自体が生き物のように思えるほど、得た人間の姿を変えやすく、力尽くで何でも出来ると思わせる。そんななかで、私たち1人1人はとても小さい。声だって1人で上げれば車の音に掻き消されるほどだ。それでも私が声を上げるのは、何でも思い通りになると思って私たちを馬鹿にしている人が許せないからだ。デモを行ったり、記事を書いたり、映画を撮る人がいるのは、「決して私たちを黙らせることは出来ない」という抵抗だ。
自分たちの思いのために行動した1人1人の姿が描かれたこの映画を、ぜひ、今観てほしいと私は思う。
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