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恋をしたから声を取り戻した人魚姫(ネタバレ含む感想)

   昨日、友人にシェイプオブウォーターについて熱く語ってしまったので、これを機に感想を書く。

  シェイプオブウォーターは大人のおとぎ話と表現するのがぴったりくる映画だ。おとぎ話と書いた通り、本作の土台はアンデルセン童話の「人魚姫」である。しかし当然、今回の設定は通常の人魚姫ではない。

  ヒロインは掃除婦をしている生まれつき発話障害で声の出ない中年の女性、その友人は同僚で太めの黒人女性とゲイの孤独な画家を営む男性。極め付けに王子様は半魚人(人間的な要素は0)という字面だけ見るとどういうこと?と言いたくなるような設定だが、ヒロイン周りの人たちは、あの当時(1962年冷戦下の米国)で存在を無視されていた人たちなのだ(半魚人除く)。

  あの当時、障害者や公民権運動前の黒人、LGBTの人々には、そもそも人権が無いような状態だった。だからこそ劇中に悪役として出てくる当時では階級が1番上であろう中年白人男性のストリックランドに対して意見が言えない。声自体は出せるのに誰も彼もが声を失っている。
  しかし、それに反してヒロインは愛する人と出会うことで徐々に声を取り戻していく。勿論、発声障害なので実際に声は出ないのだが、無礼な振る舞いをするストリックランドに対して手話でFワード出したりするようになる。本家の人魚姫が愛する人と会うために声を失うのに対して、この映画では愛する人と会ったことで声を取り戻していくのだ。
  そしてそんなヒロインの姿を見ている友人2人も行動を起こすようになる。ヒロインと半魚人が幸せな結末を迎えられるようにと自分で考えて動くようになる。

  対して悪役の立場にいるストリックランドは彼は彼で中年白人男性としての辛さがある。彼が指を失って障害者となってしまった後も腐り始めている指を無理矢理にくっつけようとしているのは彼の様な出世街道の白人男性が途中でそこから道を踏み外すこと(障害者になること)が許されていないからだ。1番立場があったところから無視される存在までになってしまうからだ。
  ストリックランドが途中で言う「自分はいつまでまともな男であれば良いのか」という台詞は誰もが認め合う社会であれば出てこない台詞だと思う。差別があるから恐れが生まれるし、差別に拍車をかける。家父長制によるマッチョな考えは誰をも傷つけるという差別を無くそうとする社会になってきた現代でも繋がるメッセージに持っていくところがすごく良かった。

  監督自身も「今のお話で今の問題を提示すると生々しくて説教くさく感じる。だから似ている年代のおとぎ話という体を取った」とインタビューで言っていたが、まさにその通りで、むしろおとぎ話なのに考えてみると今の状況とそっくりだというのは風刺が効いていて良かったと思う。
  そしてそんな状況の中だからこそ必要になるのが愛だということ。ヒロインと半魚人の愛はとても優しくて、ヒロインが愛を得たことでどんどん美しくなっていくところはとてもロマンチックだ。そしてそんな2人のために寄り添う友人2人の愛。ヒロイン周りの愛はとても優しくて幸せの温度がする。

  だからこそラストはジャイルズが想像するような結末であってほしいと観客は感じるのだ。そしてあの水中でのラストシーンの美しさは本当に必見であの美しさと優しさが心に響く。ちなみに私はめちゃくちゃ静かに泣いた。まさに愛が溢れていた。

  あと余談だが、個人的にカメレオン俳優マイケルスタールバーグ演じるソ連のスパイであるディミトリが大好きだ。彼はスパイという立場上、彼の「個」を出せないのだが、半魚人を救うときに「私はあの美しい生き物を死なせたくない」と言う。全く別種の生き物に恐れでは無く美しさを見出す人なのだ。そんな瑞々しい感性を持っている優しい人ということがマイケルさんの演技力も相まってものすごく伝わる。大好きだ。

  見た後に誰かの宝物になりそうな映画であり、私のお気に入りの一本だ。

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