とうふ

とうふを食べるときに箸を使うのは器用な人だ。

私はスプーンで食べる。

箸使いをそこまでマスターしていないからだ。

私にとってはカレーライスをスプーンで食べるのと同じ感覚で当然のようにスプーンをチョイスする。

とうふを箸で食べるのは私からすると匠の域だ。


おじいちゃんの家を訪れたとき、小腹が空けばとうふをよく用意してくれた。

おじいちゃんは、とうふの冷えたやつ(ひややっこ)をご飯を入れる大人用の陶器茶碗に乗せてかつお節をひと掛け、醤油を少し垂らして私にサーブした。

子どもだからという考えは一切なく、大人用の大きな箸を添えて。

そういうのが案外嬉しいものだ。

そして、とてもおいしかった。

あんなにおいしいとうふには未だに出会えていない。


おじいちゃんは朝に売りに回っている豆腐屋から自宅前でとうふを購入していた。

おじいちゃんの住むところは田舎だったので、徒歩圏内にスーパーマーケットなどなかった。

とうふは、腰が悪く運転ができないおじいちゃんが自分で購入できる数少ないものだった。

フレッシュでクリーミー、空白の多い冷蔵庫の真ん中に大切そうに入れられていた冷えたとうふ。

ほんの少しだけ掛ける濃い口醤油がまた合うのだ。

箸をろくに使えないその子どもはどうやってとうふ with 箸、を食べたのだろう。

でも、とにかく食べていたのだ。

茶碗に入れたとうふもいいものだ。

角々のとうふは茶碗の底に空白を作る。醤油が少し溜まる。

崩れたとうふが段々そこに集まり、どうやっても最後は箸を使って食べるのは無理だ。

底に溜まった細かいとうふと醤油。子どもにとって、それらはすべて食べるものだ。

きっと最後は茶碗に口をつけて飲み込んでいたのだろう。

案外、ご飯茶碗はとうふにベストな器だったのかもしれない。


おじいちゃんは私のことを褒めも叱りもしない人だったので、私は自由だった。

とうふを食べながら、味はどうかとおじいちゃんに聞かれたこともなかったと思う。

私もおいしかったのに味の感想など言わなかったと思う。

居間で2人でこたつテーブルに座って黙々と箸でとうふを食べる。

急かすものはなく、同じ味わいを同じ時間にゆっくり刻む。

夕暮れに日が差す。オレンジの景色。


これを粋と言わずして何を粋と言うのだろう。

箸でもスプーンでも食べ方は何でもいいけれど、豆腐はやっぱりあの豆腐がいい。


シンプルなのに濃厚ならば極上だ。


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