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「いただきます」とマナー

あれくです。
一晩経っても怒りが抜けないけど動画にすると感情が抑えられそうも無いのでnoteに書きます。
動画はあくまで楽しさを伝えるコンテンツでありたいのだ。

まずは今回の主題とその経緯について。
皆さんは「チコちゃんに叱られる」という番組をご存じだろうか?
世の中の疑問を子どもが質問して答えられない大人を叱り、正しい知識を広める。という教育系番組だ。

私も2年ほど前までは知識のアップデートに役立つと視聴していたが、それ以降はまるで見なくなった。アップデートに役立たなくなったからだ。
この辺りの詳しいことは主題と関係が薄いので割愛させていただく。

だが2022年5月20日。
とある解答検証の際に、マナー講師が登場する。名前は伏せる。一切口に出したくもない。
番組スタッフが「いただきます」と行儀良く食べようとしたところ、そのマナー講師は「家で言え」とスタッフを怒号で罵倒した。

この回は様々な場所で炎上、番組は

そのマナー講師が先日、私がよく見ている動画チャンネルの動画に出て、同じことをしていた。
これが今回の背景だ。

「いただきます」の意味

さてそれでは本題に移ろう。

そもそも「いただきます」は何故言うのか?
これは小学校低学年の道徳の授業で教える範囲だ。

まず「食べる」という行為は須らく「他の命を貰う」ということだ。
それは牛や豚、魚、虫などの動物。キャベツやトマトなどの野菜などなど
どんなモノにも関係なく行われている。

この他の命を「貰う」を謙譲語にしたのが「いただく」だ。
つまり「いただきます」とは「あなたの命をもらい、私の命をつなげます」という「食べ物に、命に感謝を述べる」意味合いが強い言葉だ。
同時に、食べる・飲むなどの食事をすることへの謙譲語も「いただく」が使われるため、それを提供、作ってくれた人への感謝の意味も含まれている。

以前、どこかの学校でミニ豚を飼育し、出荷し、その肉を食べるという食育の授業が大きく取り上げられていた。様々な議論を呼んだ話題ではあるが、命を育て、奪い、繋げる。という食事の意味を伝える授業として、正しい姿だと私は思っている。

我々の命は無数の命によって存続されている。
故に述べる「いただきます」と。

合掌

「いただきます」を言う際に、多くの人は「手を合わせて」言うだろう。
私も余程急いでいない限りは毎回やる。
この行為は「命に祈る」ための行為だ。

葬儀や神事などですることの多いこの合掌は、亡くなった命を弔ったり、自分の祈りを神様や先祖・親族に捧げるためにする。

つまり食事における合掌とは「いただく命が安らかに天に昇れる」ように祈るためのものだ。

「頂戴します」と「頂戴いたします」

続いては国語とビジネスの授業。

多くの方が知っての通り「頂戴いたします」は二重敬語という「誤った」敬語だ。当然「頂戴します」を使うのが正解だが、この言葉自体は私自身も使ってしまうことがある。特にビジネスシーン、名刺交換などだ。

しかしこれを使ったからといって取引や商談に失敗したり、使われたからといって私自身が気分を害することはこれまで一度たりとも無い。

また、食事とは少々違うが「いただきます」ではなく「頂戴します」を使うシーンもある。私の場合は茶道などがそうだ。淹れてもらった茶や菓子をいただく際に、隣の方に対し「お先に頂戴します」と言ってからいただく。

マナーというのは、人との関わりで相手を不快にさせないような行儀・作法のことを指す。
確かに誤用ではある「頂戴いたします」だが、そこには「相手により丁寧な言葉を使おう」という気持ちが確かに伝わる。それで相手が不快にならないのは当然だ。

また、時代の変化によっては「頂戴いたします」が最終的に正しいことになるケースもある。だが現状ではやはり「頂戴します」が正しい言葉であることは間違いない。

「教える」とは

私も一時は「先生」と呼ばれ、子どもたちを教育、教える立場にいた。
大変ではあったが、とても楽しかった時間だ。

だからこそ堂々と言える。
教育は調教ではない。声を荒げる必要があるのは、危険があるときだけだ。

相手を怖がらせるために使うな。相手を守るために使え。
勿論仕方なく使うことも、子どもを育てる上では出てくる。それは重々承知している。だがそれは精々10歳程度までだ。それ以上は話せば大抵通じる。

分別の付く歳の人間に、わざわざ声を荒げ、委縮させ、挙句の果てに泣かせるのの何が教育か。見ている人々を不快にさせて何がマナーか。

マナーは確かに必要なものだ。
相手を不快にさせれば自分の敵を作る。
敵が多ければ生きるのも困難になる。

そういった問題を生み出さないためにもマナーというルールは無くてはならないものだろう。

まとめ

私は自分で料理することも、家族・友達に作ってもらう・作ることも、食事処で食べることもあります。

それら全ての場面で言いましょう、「いただきます」「ごちそうさまでした」を。黙食を求められているなら心の中で言うだけで十分です。
それで不快になる人なんてこの世にいません。

我々は命を繋げさせてもらうことに感謝を述べているのですから。

あとがき

正直怒りに任せて動画にしたかった気持ちも強い。
世論も味方であることが5月20日の時点で確定しているので、勝ち戦といって過言ではない。

だがそれでまた誰かが怒りに焼かれることも私の本意ではない。
だからこそ文章という感情の読み取りがしにくい媒体で、少しでも冷静さをキープしやすい方法で世界に発信している。

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